囚はれのシネマ日記
DiaryINDEX|past|will
| 2004年04月17日(土) |
スマートで滑稽なキル・ビルVol.1 |
『キル・ビルVol.1』のDVDレンタルが始まつた16日。 TUTAYAの開店10時にわたしは自転車を走らせそれをさつそく借り出した。 なにしろわたしは『パルプ・フィクション』でタランティーノの禁断の味を知つてしまつたのだ。 すごく才気走つてゐてスマートでありながら滑稽で大衆的でもあるセンス。 映画的才能と言ふほかない。 『パルプ・フィクション』はのべ10回ちかく見てゐる。 そして『キル・ビルVol.1』はこの日2度見た。 アニメのシーンの流血のはげしさに嘔吐しさうになりながらも。
冒頭近く、なんとソニー&シェールの「バンバン」が効果的に使はれてゐるではないの! (ヴァニラ・ファッジやシェイラがカヴァーした名曲中の名曲なり) そしてロマンチックかつ戦慄的な歌詞が殺害シーンでの字幕に流れる。 これはフランソワ・オゾンの『ワンピース』からのヒントではないか? たぶんタランティーノも『ワンピース』のあのシーンのあの選曲に痺れた観客のひとりだと思ふ。 そしていつか使つてやらうとこころに暖めてきたのだらう。 とにかくこの「バンバン」は決定的にわたしを捉へてしまつた。
さらにこの映画にはアレハンドロ・ホドロフスキーの『サンタ・サングレ』を思はせる、手足や首を切り落とす残酷シーンが随所にある。 さらにこの映画は藤田敏八の『修羅雪姫』を引用してゐる(らしい)。 『修羅雪姫』のヒロインは梶芽衣子だつたが、この映画ではルーシー・リュウが凄みのある姫を好演してゐる。 ヒロインのユマ・サーマンが日本刀で東京は新宿あたりの宴会場(クラブと言ふべきかな)にのりこんで高倉健ばりにヤクザ50人ほどと渡り合ふ。 この宴会場といふのがまことに奇妙なしろもので、こんなのが今の東京のどこにあるのだらう、ザ・ピーナッツみたいな女エレキバンドの演奏に乗つてダサい男女がゴーゴーかツイストを踊つてゐる、アメリカのリトル東京のジャパネスクな店といつた趣、いつたい1900何年代の設定なのか? それはともかく障子を開ければそこはいきなり日本庭園で、修羅雪姫とユマ・サーマンの対決シーンでは白い和服と雪の庭があざやかに血に染まるなどまさしく様式美を踏襲してゐるやうに見える。 しかし修羅雪姫の死に方は『ハンニバル』のあの脳切断され男のやうにグロテスクで様式美とはズレてゐる。 対決シーンでは梶芽衣子の演歌といふか怨歌がながれるのでありました。 ヤクザ映画の様式美はタランティーノにとつてやはり、いつか使つてやらうの要素だつたといふことが分かる。 とは言つてもすさまじい殺戮現場なのに笑つてしまふやうな滑稽な殺され方やグロテスクを随所に混ぜるのが彼のやり方なのだ。
この映画は亡き深作欣二に捧げる、といふオマージュから始まる。 つまりヤクザ映画のタランティーノ流解釈といふことになるのだらう。 24日封切りの『キル・ビルVol.2』はマカロニ・ウェスタン風らしい。 たぶんわたしはそのタランティーノ流解釈も観にゆくでせう。
|