囚はれのシネマ日記
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| 2004年03月22日(月) |
明るく、さびしく、軽く、しずかな怒りに満ちた |
メールやお手紙で『潮だまり』の感想をぽつぽついただいてゐる。 メールはやはり40代以下の方、なぜか男性が多い。 わりと長めのもので、それ自体が作品であるやうな素敵なお手紙も。 全文引用したいほどの文章もある。 たとへば「アルプスの少女ハイジのやうに拝受しました」といふ可愛らしい比喩に始まるO・Y氏のメール。 または「その昔、海の向かうの駄々イスト、主売るレアリスト達が危機として戯れてゐた「言葉遊び」を彷彿させるやうな、エスプリとウィットに満ちた詩歌集『潮だまり』否、『シッ、お黙り』にここ数日翻弄されつぱなしです。」といふやうな凝つたエクリチュールのK・S氏のメール。 (この方はメールにうつくしい洋梨の写真を添へてくださつた)。 どちらもわたしの遊び相手になつてあげやうといふ心遣ひが嬉しいと思ふ。 お手紙は年齢にかかはらず女性が多い。 でも「フランス文学のことはよく分かりませんが…」と書かれると淋しい。 たしかに冒頭がおふらんすに始まるのでさう思ふのかもしれない。 でも最後まで読めばそれは構成上のアクセントのやうなものに過ぎないことをお分かりいただけるのに。 大雑把な言ひ方だが、女性は感傷を、男性は諧謔を好む傾向があるやうだ。 さきほどのK・Sさんのメールの結びのことばに不意をつかれた。 「明るく、さびしく、軽く、そして時折、しづかな「怒り」に満ちた現代詩集『潮だまり』」。 さうなんだわ。 しづかな怒りなんだわ、とはじめて分かつた。 何にたいして? それは今ある惨憺たることばの情況に対して以外にない。 「言葉には、溺れる。」といふ帯のコピーを「なんか違ふ」と感じたのはそのせいだつたのだ。 だつて溺れたのではなく怒つてゐたんですもの…
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