海を進む
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2005年04月26日(火) キキのワンピース

きのうの夜見た「天空の城ラピュタ」をもう一度見つつ。

ときどき、街や電車ですれ違う人の服装を見て、ああ、こういうの大好き!って思うことがある。
今日は、夜のスーパーで見かけた、私よりはだいぶ年上の女の人。
チャコールグレーのパーカーにデニムの膝丈スカート。靴はスニーカー。
ああいう格好が前から大好きなんだ。したことないけど。mcシスターっぽいな。
子どもの頃ラピュタを見たときには、シータみたいな洋服に憧れた。
なんの飾りもない、ただのひらっとしたワンピース。
キキもそんな格好してた。いま一番見たいのは魔女の宅急便なのに、ツタヤにDVDがなくて。
さんざん空想したわ。自分も黒いワンピースを着て魔法のほうきに乗ってるとか。
光る飛行石を持って悪党に追われてるとか。サツキとメイの家に住んで近くに大きな木があるとか。
感動するとか通り越して、やわらかい心に直接入り込んできたんだろう。
今はまったくそんな空想をしない。ある年齢を境に何かを失ったのは明らか。
でも失うばかりが大人になることでもなく、例えばわかりやすいところでは、
昔はよくわからなかった紅の豚が、今では大好きだったり。
手塚治虫の『ブラックジャック』の文庫版のうしろの解説に、確か小池真理子が書いていた。
「十代のあるときまで人はみんな心の中に詩人がいる。そしてその詩人はどうしてもあるとき
なんの前触れもなくそっといなくなってしまう。手塚作品は、もちろんその詩人に語りかけるものがあり、
その上、大人には、自分の中に詩人がいなくなってしまった穴があることを気付かせる。
だが、ここまでだったらその他の多くのすばらしい作者がすばらしい作品を作っている。
手塚作品がさらに偉大であるのは、詩人が出て行ってしまった誰もいない穴があるからこそ感じられる、
その心に響く、という部分を持っていることである。」
だいぶ前に読んだからうろ覚えだけどそんな内容のことを。
これを読んだとき私はまだ10代の半ばで、これからいつか詩人が出て行ってしまうと思うと
なんとも大人になるのが恐ろしくなった。
でも今は、子どもの頃には持っていた何かを失ってしまったと感じるときにこの文章を思い出すと、
救われる思い。大人になるのも悪いことじゃない。

また明日から仕事、の憂鬱な夜。でもまたあっという間に一週間は過ぎると思う。しかも今週は5日間だけ。
また明日から仕事、の真夜中や明け方にだんだん仕事へ気持ちが切り替わっていくときって、
だんだん元気を出すような感じで、けっこう好きかもしれない。
やるべきことがあるって幸せなことだね。

―今週の課題―
過食症についての解説の本と体験記を読むこと。


きなこ |MAILBBS