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2002年03月09日(土) SIDS〜娘が天に召された日��


〜初めていらしてくださった方へ〜

去る、2/21の夜、3号こと長女が翌日に1歳の誕生日を控えてSIDSでこの世を去りました。

これからしばらく、運命のその日と、その後について綴らせていただきます。

こういうことを詳細に綴るのは、反対の方もいらっしゃるでしょう。

しかし私は、私自身のために、綴らせていただきます。

事実の記憶を封印するでなく、表に出すことで

自分自身が立ち直る、術の一つにしたいと思います。

けしてお涙頂戴のつもりではなく、エゴに近いかもしれませんが。

語ることで、がんばろうとしてるんだと、

温かく見守っていただけるととてもありがたいです。

しかしかなり厳しい記憶ですし、日が浅いので生々しいです。

読むのは辛いという方はどうぞ、ご遠慮くださいませ。

というわけでしばらくの間、エンピツのジャンルは「苦悩・心」にさせていただきます。

3月1日の分からお読みいただけると、嬉しいです。

なお、この日記を読んでくださった方、特に小さな赤ちゃんをお持ちの方に

この日記を読んだことで、SIDSに関して、

過度に不安を抱かれるのは本意ではありません。

現在日本では2000人に一人の発症率、この数字が多いとも少ないとも申せませんが、

この日記をきっかけに、SIDSについて正しい知識と理解を深める

きっかけとしていただければ幸いに存じます。


SIDS家族の会http://www.sids.gr.jp/





帰省の準備を続けました。

自分のもの、1号2号のもの・・

恐ろしく手際の悪い準備でした。

頭の中身が全くまとまらなくて、

いったい自分が何をしているのかさっぱりわからなくて、

家の中をうろうろしながら荷物を詰めてました。


3号の衣服が入っている箪笥を開けました。

出産祝いなどでいただいて、まだサイズが大きくて手の通してないものも

たくさん入っています。

その中から、春になったら着せようと思っていた

新品のデニムのジャンパースカートを取り出しました。

それからよく着ていたピンクのパーカーも。

ほかにも何枚か、鞄に入れました。

ぬいぐるみも入れました。

友人が出産祝いに、3号の名前入りで作ってくれたテディベアも。

4,5日前に買って、まだ3度ほどしか履いてない、小さなピンクの靴も。

持たせて、あげたい。



目を覚まし、食事を済ませた1号と、郵便局や銀行へ行きました。

必要なお金の準備、留守にするため月末月初の

いろいろな引き落としのための準備など。

こんなときでも、やるべきことはやらなくてはならないから。

1号が、態度で、言葉で、私を気遣ってくれているのが判りました。

5歳の息子は息子なりに、必死だったとおもいます。

でも、ぼそりといいました。

「何でまだ0歳なのに、死んじゃったんかなあ・・」

(この言葉は、その後も何度か、1号の口にのぼりました)



帰宅したあと、携帯電話がおかしいのに気づきました。

画面は動くのですが、音関係が全くしない。

着信音もバイブ機能も全滅。

結局主人が1号を連れて携帯ショップに持っていってくれました。

私は皆と家にいました。

電話を、待っていました。

主人からの電話ではありません。

刑事さんからの、電話です。

解剖が終わったら連絡する、必ず午前中には電話するからといわれていたので、

今か今かと待っていました。


プルルルルルル。

電話が鳴りました。

「あ、○○警察署の○○ですが・・あ、奥さんですか?」

「あ、はい」

「えーと、ご主人は?」

「すいません、今ちょっと出てまして・・」

「そうですか。えーとですね、今終わりまして今から署の方に向かいますんで

奥さんたちも迎えにきてもらえますか」

「は、はい。判りました」

「それでですねえ、奥さん。先に結論申し上げますね」


結論。



「お嬢さんは、病死です。乳幼児突然死症候群です。

だからね奥さん。窒息とか、布団かぶってたとか、全く関係ないです。

お嬢さんは、病気だったんです。いいですね。自分を責めたらあきませんよ。」

「ぁ・・・」

「詳しいことは、また、後ほど。それではお願いしますね」

「わ、判りました、ありがとうございました・・・」

電話を聞きながら、涙がこぼれました。


義父母、両親、妹、皆が私が電話を切るのを待っていました。

私は泣きながら受話器を置きました。

「何?何って言うたの?」

「・・・窒息じゃないんやって」

「じゃあ何?!」

「病気やって。乳幼児突然死症候群やって!」

うわあ、とも、ああともつかない声で皆うめきました。

悲鳴とも、ため息とも取れるような声で。

そして皆が泣きました。

何でそんなものにうちの子がなるんだという思いと

息が出来ずに苦しんだよりはよかったのかもしれないという思いの

混じったような声と涙でした。



SIDSは、眠ったまま、そのまま、逝ってしまうと聞きます。

もしも、息が出来ないともがき苦しんだのでなく、

眠ったまま苦しまずに逝ってくれたのなら。

それだけでも、それだけでも、救いになると思いました。

(ごめんなさい、ここの記述はかなり書くのをためらいました。
それは、もし窒息死でお子様を亡くされている方が読まれた場合、
大変つらい思いをされてしまうと思ったからです。
病死であろうが、窒息等の事故死であろうが
亡くなった事実に変わりはないですし、
その子を惜しむ気持ちも辛さも、同じです。
病気なら親に責任がなく、事故死なら責任があるということでもありません。
だってそうですよね、誰も我が子を死なせたくなんかないのですから。
私自身、本当にSIDSだったのか。単に窒息と判断するだけの必要十分条件が
そろわなかったから、SIDSと診断されただけじゃないのかと
今でも思ってしまったりします。
(そんな風に考えるべきでないのは承知ですし、亡くなった事実も変わりませんが・・)
ただこのとき、このあと、きっと苦しまずに逝ったんだと思うことで
私自身が気持ちを保つことが出来たのも事実ですので
あえて避けずに書かせていただきました。
ご意見ございましたら、ありがたく拝聴させていただきます)


主人に電話を入れました。

「解剖終わったから、迎えに来てって」

「判った。それで?」

「うん、やっぱりSIDSやって」

「・・・そうか」



主人と1号が帰ってきました。

「携帯、どうなった?」

「それがなあ・・・店の中で店員さんとも何度も確認して、

これは駄目だな、交換だってことで話しついたんだけど、

メモリの転送できなさそうだから、お前手書きでアドレスメモるって言ったろ。

で、そのまま一度持ち帰ることにして。

そしたら携帯屋出たときにお前から電話あっただろ。終わったって。

そのあと何気なくお前の携帯もう一度触ったら。。。いきなり直ってるんだけど。」

「は?」

「いや。直ってるんだって。」

「・・・・ばぶちゃんが遊んでるのかな」

あの子、携帯大好きだったから。

(実は後日談がありまして、葬儀のあと2日くらいしてまた壊れたんですよ。

今度は音だけじゃなく、一切の操作が出来ない、充電も出来ないになりまして。

ところが。大阪帰って来たらいきなりけろっと直りまして。今現在も何ともないです。

・・・やっぱり3号遊んでたんでしょうか(苦笑))






読んでくださって本当にありがとうございます。

一緒に泣いてるよとおっしゃってくださる方がたくさんいて

本当にありがたいかぎりです。

皆さんのご好意に励まされ、甘えさせていただいてます。ありがとう。

ごめんなさい、まだ当面続きます。


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