徒然帳 目次過去未来
2006年05月24日(水) .....氷帝パラレル/4-1(テニスの王子様)

静かな音に、目を覚まされた。
毛布にくるまって寝ていたリョーマは、耳に届くかすかな音に、むくりと起き上がった。
窓から見えるのは灰色の空。雨が降っていた。
目を凝らさないと見えないほどの小雨なので、出かける分には支障はないだろうと、リョーマは判断すると着替えはじめた。勿論、大雨だったら出かけるつもりはサラサラないリョーマである。
慣れたように着替えてリョーマが食堂に向かうと、途中の廊下で跡部家の執事、樋口がにこやかに挨拶をしてきた。
「おはようございます。リョーマ様」
「あ……おはよぅ」
「今日はお出かけでございましたね」
「うん」
「午後には雨は上がるそうですよ」
樋口の言った通り、廊下の窓から見える遠くの空は、徐々に明るくなっていた。数時間もすれば雨はやむだろう。車での移動だろうし、景吾の事だ……きっと買い物なら大きな(というか行き着けの)デパートかなんかに連れて行かれるのだろうから、それならば傘は必要ないなと、リョーマは考えた。

だいたい必要品は既に跡部家で揃えてもらっている。制服から筆記用具など細かいものまでだ。リョーマがあらためて買うものなどほとんど無いのが現状である。まさに至れり尽せりであるが、それでも買うものはあるもので、リョーマと景吾は出かける約束をしていた。
ただリョーマ的には買い物ぐらい一人でできるのだが……実際、一人で出かけようとしてたぐらいである。夕食時に「買い物行きたいから地図教えて」と言い出した為に、景吾から待ったが掛かって、一人での外出ができなくなったのだ。
散歩についてもそうである。
地理を覚えるまでは禁止されている。
(……ったく。ホント、心配症だね……)
くれぐれもよろしくとリョーマの両親に頼まれたのもあるだろうが………十中八九、景吾の心配症が占める割り合いが大きいに違いないと、リョーマは確信している。
もう昔からだからしょうがないと半ば呆れているが、会わない内に症状が昔より酷くなったんじゃないかとちょっと不安になった。
(昨日も学校に行っただけで慌ててたし)
もうちょっとテニス部の活動を見ていたかったと、溜息ものである。あの話しかけていたレギュラー陣のプレイなんかは是非、見たかったと、景吾の帰宅後に文句を言えば「学校が始まったら嫌でも見れるだろーが」と一蹴されて終わりだった。
だから今日はおもいっきり遊ぶ!と決めていた。
「良かったですね」
「うん」
好きなようにするんだと思えば、早起きも苦ではなかった。いつもは今頃は眠りこけて熟睡している頃である。誰かに起こされなければ起きれないぐらい、リョーマは寝汚い。景吾にぶっ叩かれるまで眠っているリョーマにしては、珍しくも目が覚めて朝から機嫌が良かった。
「で、景吾はもう用意万端で待ってるの?」
彼の寝起きは驚くほど早い。
アンタはジジイかと思うほど、跡部景吾の1日は早かった。
早くに起きてロードワークをこなしてからテニス部の朝練に行くほどである。毎日よくやるよと、リョーマはぼやくが、それが景吾の基礎体力づくりになっているのを知っている。景吾が天才だけで満足しているような人間ではないという事に。
感心するし、尊敬している。
(でも、真似しようとは思わないケドね)
睡眠を我慢したいとは思わないリョーマであった。

その代わり食事なら抜いてもかまわないが……と思っているあたりどうしようもない。ほっとけば栄養補助食品で済ましてしまう横着ぶりである。それがバレて大目玉を喰らったりもしたが、それでもリョーマの優先順位は変わらなかった。

1.お風呂
2.睡眠
3.食事

勿論テニスは別格である。
とにかくお風呂が好きなリョーマは、時間があれば1日何回でもお風呂に入っていてもイイぐらいで、何時間でも長湯ができるほどのお風呂好きだ。逆に1日の終わりに入らないと寝れないという質であるから睡眠よりお風呂の地位が、リョーマの中では優先される。
お風呂と睡眠さえしっかり取れるならリョーマ的にはノープロブレム!
ぶっちゃけ3番目以下はどうでもいいのだ。
ズバリ、なんでもいいので『食事』と上げているだけである。
………実際問題リョーマの食事に対する意欲は低い。
実家では母親が、跡部家ではメイドが食事を供していたからこそ。誰かに食事を貰わなければ、リョーマの成長はなかっただろう。栄養失調で入院間違いナシだ。
それを解っているからこそ、リョーマが一人で帰国した時に、一人暮らしではなく跡部家に預けられた理由がここにあった。

跡部家なら安心だ。
食堂に行けば勝手に食事が出てくる。
面倒臭がりのリョーマが、栄養補助食品に手を出す心配もない。
「自活は果てしなく遠いな…」と言われているリョーマであった。




「景吾様でしたらまだですよ。これから起こしに行く所です」
「え?!」
樋口の台詞にリョーマが驚いた。
まだ寝ているなんて……にわかに信じられない。
あの、景吾であるから尚更である……。
「へぇー……珍しい」
「最近は特に忙しそうでしたから、急に休みになって、今まで表に見せなかった疲れが出たのでしょう」
「あー……なるほどね」
プライド高い跡部景吾が、人前で弱音を吐く事などありえない。
俺様、何様、跡部様だ。
有言実行の彼は撤回などしない。
生徒会も部活も、言葉通り完璧に立ち回ったのだろう。
「景吾に手抜きなんてありえない……っていうか、考えられないし」
「景吾様はいつでも全力投球ですから」
樋口が苦笑する。
「しかも裏方を見せないで何でもやっちゃうから凄いんだけど、明らかにオーバーワーク気味なのは問題だよね。樋口さんも怒っていいよ? 誰か言わないと景吾はそのままなんだから……」
言っても聞かない確率は高いが、全てじゃない。
ちゃんと理由も言えば素直に聞く耳はあるのだ。
景吾だって馬鹿じゃない。
ただ、その時に集中……のめり込んでいなければ……という注釈が付くのが難点だが。それでも言わないよりはマシだろう。

ちょっと怒り気味のリョーマの様子に樋口の口元がほころぶ。心配から来ている怒りであるから微笑ましい。
「お小言はリョーマ様が言ってくださいませ。私が言うよりもきっと効きますからね。あの方は本当にリョーマ様には甘いですから、大抵の事は聞いてくださいますよ」
「うー……ん、そう?」
「心配されれば誰だって嬉しいものですよ」
「樋口さんでも?」
「ええ、勿論です」
なによりも溺愛しているリョーマに心配されたなら、景吾は本望だろう。確かに反省もするだろうが、嬉しさのほうが倍増だろう。感激して1発で機嫌が良くなるはず一一一一リョーマこそが景吾の栄養剤だ。
リョーマが笑えば景吾も笑みを浮かべているし、リョーマが悲しんでいれば心配しまくっている。実に、リョーマに振り回されている景吾である。
我が道をゆく王様である彼を、ここまで一喜一憂させることが出来るのは、リョーマただ一人である。リョーマだけが、本当の跡部景吾を曝け出せるのだ。

ポンと、樋口が手を叩いた。
「リョーマ様。景吾様を起こしてきてくださいませ」
「は?」
「景吾様も私のような年寄りではなく、若い子が良いでしょう。リョーマ様がお声をおかけになられたら、きっと1発ですね。さぞかし清々しく起床できる事でしょう……」
何が? ……とは聞き返せなかった。
名案だと樋口が破顔して、リョーマが何かを言う前に「では、頼みました」と言い残して、さっさと立ち去ってしまったからだ。
残されたリョーマが一人廊下に立つ。
(景吾を起こすのか………)
しばらくぼんやりしていたリョーマだったが、仕方ないなぁ……と諦めの溜息を吐きつつ、肩をすくめて景吾の部屋に向かったのだった。







一一一一かくして、跡部景吾の部屋。
トントンと軽くノックして数秒、中からの返事はなかった。
(ホントに寝てる……?)
半信半疑ながらも静かにドアを開けて、リョーマは景吾の部屋へと入り込んだ。
何度か跡部家に泊まりの経験があったので、部屋は見知っていたが、リョーマが呆れるほどのあいかわらずのシンプルな部屋である。
黒を基調とした室内には物がほとんどない。あるのは彼にとって必要なものだけである。机とオーディオ、ベッドに、ソファーの横にラケットがあるぐらいだ。
余計なものは置かない主義の彼の部屋は、雑誌で紹介されているような生活感の無いものである。広い部屋なだけにちょっと寂しいが……、でもそこが景吾らしいと、リョーマは苦笑した。
一通り部屋の中を見回してからベッドに寄ると、樋口の言った通り、景吾は寝ていた。
「………………ホントに寝てたよ」
すやすやと幼い表情である。眠りが深いのか、いつもは気配に敏感で誰かが近付けば自然と覚醒してしまう景吾であるはずなのに、今はリョーマが近寄っても起きる気配は見られなかった。ドアの向う側にいても気づくほど気配には敏感なのに……。
あまりにもその珍しい姿に興味がでたのか、リョーマはさらに近付いてみた。
景吾の顔を覗き込むほどすれすれに接近したが、やはり起きる様子はない。
「景吾、景吾」
呼びかけてみる。
声にも反応はなかった。
髪にも触ってみたが一一一一効果なし。
もうちょっと大胆に頬をムニッと摘んでみたが、やっぱり起きる様子はなかった。
(凄っ……眠りが深いじゃん)
これでは起こすのは無理だと、リョーマは判断した。
むしろ、この状態で起こしたら、後が怖い。
気持ち良く寝ていた時に起こされるものほど嫌なものはない。寝る事が好きなリョーマは、良く判る。自分だったら起こすなんてもってのほかだ。
それに一一一景吾のこの様子に起こすのが忍びなくなってきた。
(忙しいって言ってたしなー……やっぱり疲れてたんだろーな……)
確かに買い物とテニスは楽しみにしていた。
早起きするほどだ。

一一でも、景吾の睡眠を削ってまでの執着はない。

アメリカにいた頃とは違って、今はいつでも機会はある。
欲しいものもすぐに手に入れたいわけではない。どうしても……という切羽詰まったものではないし、テニスはそれこそ何時でもいい。何も天気の悪い日にやらなくとも自宅にテニスコートがある跡部家だ。いくらでもこの先、機会はあるだろうし、できるだろう。

ジッと景吾の様子を見つめていたリョーマは、ドアに備え付けられている内線を取り樋口へと連絡を入れる事にした。手短に話を済ませると、ソファーに座りこむ。
居心地良いソファーはリョーマの身体をすっぽりと包み込んだ。
「一一一一仕方ないね」
天井を見つめながらリョーマはポツリとこぼす。
口元に浮かんだのは楽しそうな笑みであった。

どうせテニスに付き合ってくれるなら、万全の体調でいて欲しい。疲れきった状態でやり合ってもそれは本来の彼の実力ではないから、例え勝っても素直に喜べないことをリョーマは知っているからだ。
全力でお互いが向き合う一一一あの瞬間が、好きだから。
(楽しみは最後にとっておくのもアリだね、景吾)
目を閉じたリョーマの耳に、雨の音が静かに木霊した。





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