女の世紀を旅する
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2003年12月24日(水) ダイアナ元妃の謀殺説の新事実

《 ダイアナ元妃の謀殺説の新事実 》
2003.12.24






 1997年8月31日にパリで元妃とエジプト人富豪のドディ・アルファイド氏ら4人が乗った乗用車がセーヌ川沿いのトンネル内の壁に衝突し、元妃とアルファイド氏ら3人が死亡した。アルファイド氏の父親で高級デパート「ハロッズ」を経営するモハメド・アルファイド氏は「息子や元妃は謀殺された」と訴え続けているが,たしかに様々な証拠から謀殺説が濃厚となっているようだ。

 今年に入って,ダイアナ元妃の驚くべき手紙の内容が披露された。彼女は事故にみせかけて殺される可能性をズバリ手紙で示唆していたのである。





●ダイアナ死去の直後から流れた謀殺説

1997年8月末のダイアナ元妃の死去以来、世界中でダイアナさんをしのぶ本が無数に発行された。ダイアナさんと一緒に死去した富豪のドディ・アルファイド氏の出身地だったエジプトでも同様の傾向だ。しかし、エジプトの場合、日本や欧米と決定的に違う特徴がある。ダイアナさんがイギリスなどの諜報機関によって殺害されたという説を展開する本が多いのである。
 このうち、「誰がダイアナを殺したか・・・王宮からの司令」(Who killed Diana? By Orders of the Palace)、「プリンセスの苦悩」(The Torture of Princess)、「恋に殺されたダイアナ妃」(Diana, A Princess Killed by Love)など3冊は、エジプトではベストセラーになった。「イスラム教徒に改宗していたダイアナ妃」(Diana's Conversion to Islam)などという本もある。

 いずれの本にも共通しているロジックは、次のようなものだ。

 ダイアナさんが殺されたのは、恋人のアルファイド氏がイスラム教徒だったから。アルファイド氏と結婚するならば、ダイアナさんはイスラム教徒に改宗することをイスラム教の側から強く求められる。だが、彼女が改宗すれば将来、イギリス国王の母がイスラム教徒だということになってしまう。このことに強い危機感を覚えたイギリス政府と王室は、二人がいよいよ結婚する決意を固めたため、交通事故に見せかけて殺害してしまった・・・。

 こうしたダイアナ謀殺説が最初に流れたのがエジプトだった。エジプトは中東のアラブ地域では、最も欧米社会に対して開かれた国の一つであり、欧米、アラブ、ロシア、中国など各国の情報機関が中東で情報を集める際の拠点となっている。

 そのため、カイロの外交関係者の間では、普段からさまざまな国際情報が流れている。こうしたルートで、ダイアナさんらが死去した翌日には、すでに謀殺説が流れはじめていた。

 数日後には、リビアの最高指導者カダフィ大佐が、ダイアナ謀殺説を支持する発言を行い、これを機に謀殺説が世界に広がった。インターネット上にも多くの謀殺情報サイトが作られ、一時は世界中で約300のサイトが謀殺説について載せていたという。



●謀殺説の内容

 謀殺説はいずれも確たる根拠を持ったものではない。そのことをはっきりさせた上で、謀殺説の内容について触れる。

 まず、事故が起きたいきさつについては、ダイアナさんが乗ったベンツが事故現場となったトンネルを通り抜けようとする直前、路面に滑りやすい薬品がまかれたという主張がある。ベンツの後ろからパパラッチ(追っかけカメラマン)に扮したイギリス諜報部員がバイクに乗って急接近し、ベンツの運転手が避けようとして滑り、壁に衝突したという。

 ダイアナさんは、1997年9月中にアルファイド氏と結婚する予定で、すでにエジプトのテレビによく出演するイスラム教の聖職者によって改宗を済ませていた、という説もある。イギリス王室の反対にもかかわらず、ダイアナさんが改宗を強行したことが、イギリス政府に「最後の手段」を取らせることになったのだという。

 食習慣がキリスト教などと大きく異なるイスラム教では、イスラム教徒以外の人と結婚することは歓迎されない。イスラム教徒の男性は、キリスト教とユダヤ教の女性とは結婚しても良いことになっているが、妻とその親族がイスラム教に対して理解を示すことが必要とされ、相手の女性が結婚する前にイスラムに改宗することが望ましいとされる。(女性は異教徒とは結婚できない)

 ドディ・アルファイド氏の父親、モハメド・アルファイド氏は、サウジアラビアやブルネイの王室の資金運用を任された結果、富豪になったとされている。いずれの王室もイスラムであることを非常に誇りとしており、当然ドディ氏の結婚相手がキリスト教徒のままでは不快に思うはずだ。ダイアナさんがアルファイド氏と結婚したければ、イスラム教に改宗しなければならない、ということになる。
 また、ダイアナさんがアルファイド氏との結婚を急いだのは、おなかに赤ちゃんがいたからだという説もある。




●イスラム教への改宗意志があったため謀殺されたとする説

 改宗についての情報は、事故そのものに関する情報より、信憑性が高い。というのは、ダイアナさんが以前、パキスタンを公式訪問した際、モスクの聖職者に対して、イスラム教への改宗意志をみせたといわれているためだ。

 イスラム教への改宗を希望する人は、パキスタンかエジプトに行き、しばらくそこに住んで改宗するよう、アドバイスされることが多い。ダイアナさんがエジプトだけでなく、パキスタンの聖職者に改宗を相談したとすれば、それは理にかなったことというわけである。

 そして実は、イスラム世界の人々にとって、ダイアナさんの死にまつわる話の中で最も重要な部分は、彼女がイスラム教徒に改宗した、もしくは改宗しようとしていた、という点である。そして、その直後の死。この二つが結びつくことによって、イスラム教徒、特にアラブの人々は、謀殺説がピンときてしまうのである。これはイスラム側が好みそうな憶測であることを指摘しておきたい。

 もっとも,アラブの人々がピンとくるのは、イギリスがフランスとともにアラブ世界を分割統治した20世紀初頭の植民地時代以来の陰謀の歴史があるからだ。イギリスは言葉巧みにアラブ世界の統治者たちを相互に対立させ、その後は武力を背景として土地を割譲させ、統治した。





●アラブとヨーロッパの歴史的対立

 アラブとヨーロッパとの間には、宗教、文明を挙げて敵対し続けた歴史がある。中世には、ムハンマドの軍隊がイスラム教を掲げてイベリア半島まで遠征する一方で,ヨーロッパから派兵された十字軍がキリスト教の名のもとにシリアやパレスチナなど中東の地に侵略した。今、中東でおきている出来事もこうした敵対の延長にあると考えることも出来る。

 数次にわたる中東戦争は、米英の支援するイスラエルとアラブとの戦いであり、パレスチナにいたアラブ人の多くは土地を追われ,難民となった。アラブ人は、今も対立の歴史を背負って生きている。ダイアナ死去もその文脈で読み取れば、欧米寄りの第三者である日本人から見るのとは全く違う事件に映ってもおかしくない。

 しかも、イスラム社会では,モスクの聖職者が説教の中で政治的な話をする。モスクの説教は、日本の法事の際のお坊さんの説法や、欧米の日曜日のキリスト教会での説教と同じように、人々にとっては身近な存在だ。

 モスクの説教では、世界の出来事を分かりやすく解説してくれるのだが、その論調はイスラムに敵対する欧米やイスラエルを攻撃するものだ。ダイアナ死去の物語をイスラム的に説けば、イスラム教徒になろうとしていたところを殺された、ということになる。分かりやすいので、イスラムの人々は皆、この筋書きを信じることになった。

 一方、イスラムを敵視し続けた欧米からみれば、キリスト教世界を象徴するような慈善事業にいそしみ、しかもヨーロッパ文明の中心の一つであるイギリス王室に属するダイアナ妃が、イスラム教徒に改宗するということは、まったくの悪夢にほかならない。

 キリスト教世界から見れば、仇敵であるイスラム世界は、テロリズムや「野蛮な」公開処刑、女性差別といったものに満ちあふれていなければならない。ダイアナさんの慈善事業がイスラム教に基づくものというイメージになってはまずい。イスラム側に寝返る前に、消えていただきたい、という願望は、彼女の死が謀殺だったかどうかにかかわらず、存在する。





●元プリンセスを包囲したスパイ群像

 その死から丸2年たった1999年にも、ダイアナ元妃の死にまつわる陰謀説が囁かれた。同年年12月にフジテレビが放映した『世紀末スペシャル』第1弾では、イギリス対外諜報機関“MI6”の元工作員の証言から世界に名だたる諜報機関が彼女の死の周辺にうごめいていた事実が明らかにされた。

 悲劇の事故の約2ヶ月前、一人のイスラエルの対外諜報機関モサドのベテラン工作員が、ある人物との接触を試みていた。ダイアナ事故の際にベンツS280を運転していたホテルリッツの警備担当、アンリ・ポール氏だ。

 ホテルリッツは中東の武器商人とヨーロッパの仲介人との打ち合わせ場所となっており、モサドはホテルの顧客のプライベートな情報を知り得る立場にあるアンリ・ポール氏を情報屋としてスカウトしようとしていたのだ。アンリ・ポール氏は、フランスの諜報部員と接触していたことや、事件で死亡した際に彼の遺体の衣服から大金が発見されたことなど黒い噂は絶えない。
 番組では、アメリカ・ニューヨークのジャーナリスト、ジェラルド・ボズナー氏に取材すると共に、かつてイスラエルのシャミル元首相の情報関係顧問を務めたアリ・ベンメナシェ氏に接触、知られざる事実を明らかにした。

 またダイアナ元妃交通事故現場から立ち去った白いフィアット・ウーノの持ち主で、事故の鍵を握る人物にも接触した。(この人物はのちに車内で不自然な自殺をとげている。)



●ダイアナ元妃の素顔

 夫の不倫や王室での生活に疲れ果てていた1995年9月、ダイアナ元妃は王立プロンプトン病院で、心臓外科医のハスナット・カーン氏に出会う。「自分が安らげる場所を見つけた。彼は私が必要とする全てのものを与えてくれる」と語るダイアナ。しかし、愛情が深まるにつれ、彼女の所有欲が高まっていく。そして一緒に表に出ることを嫌うカーン氏ととの間の溝が深まっていった。1996年7月に“非公式に婚約”というサンデー・ミラー紙の報道でカーン氏はダイアナに別れを告げた。

 そしてダイアナは傷心の旅に出て、そこでドディー・アルファイド氏と出会うことになる。事故の3ヶ月前、ダイアナはルモンド紙に「私は本能に従って行動します。一番の助言者ですから…」と語っている。

 ジャーナリスト、サリー・ベデル・スミス氏によるとダイアナは“境界パーソナリティー障害”という精神的な病いにかかっていたという。この病気は衝撃的な行動や、自暴自棄の感情、対人関係を維持できない、などが主な症状。一見すると魅力的で洞察力があり、ウイットに富み、快活であるが、その一方で非常に落ち込みやすいのが特徴だという。
 



●謀殺説の新事実

 トーマス・サンクトン著『プリンセスの死』が1998年に欧米で話題となった。言わずと知れたダイアナ妃の死について書かれた本だが、日本版は草思社から1998年4月に刊行された。この本の注目すべきは著者が集めた資料一万ページで分かるように、徹底した取材で詳細な分析を加えていることである。そこから浮かび上がってくるものはやはり「謀殺説にもきわめて信憑性がある」という新事実であった。その新事実だが・・・

 同じホテルに居合わせたイタリア情報部員は「あの8月31日の夜、リッツホテルには英国の情報部員(MI6)が徘徊していた」と語る。その夜のセキュリティ・ビデオにはうろうろしているMI6の人間が写っている。パリの英国大使館には七人のMI6部員がいて、その中からパパラッチを装ってダイアナの車を尾行する監視役が存在していた。また事故当時から奇妙なことが続いている。報道カメラマンが事故の現場写真をロンドンのオフィスに電送したところ、オフィスに侵入した何者かによって受け取る側のコンピューターを破壊されてしまったという。この手口が情報部員によるものと疑ってもさほど不自然ではない。やりそうなことだ。

 死亡した運転手アンリ・ポールは軍隊時代にフランス情報部に在籍し、英国はじめ各国の情報部員と接触する立場にあった。さらに助かったボディガードのトレバー・リース・ジョーンは、事故現場のトンネルにさしかかるとシートベルトをいきなりガチャリと締めたといわれる。ボディガードは常にシートベルトは締めないのが鉄則であるにもかかわらずである。彼の服は特殊な保護服であったとする者もいる。ダイアナの死後、フランスは彼女の遺体を解剖しようとしたが、血液検査さえ英国側の拒否にあって断念している。ダイアナ元妃の遺体はそのまま英国に運ばれ、解剖されたらしい。

 なぜ英国は必要にフランスでの解剖を執拗に拒否したのか。事実の経過から導き出されるのは「ダイアナの妊娠をフランスに知られたくなかった」という一点に尽きる。

 ドディ氏のアルファイド家の宗教はイスラム教であり、英国政府と王室は、二人の結婚は絶対に阻止する必要があった。ダイアナ元妃とドディ氏は昨年(1997年)の末に結婚する手筈になっていた。あの夜ドディ氏はダイアナを迎えに出かける前、執事に「夜中の12時には部屋に婚約指輪を置いて、シャンパンを用意しておくように」二度も念を押している。当然のように執事は「ドディ氏はダイアナさんにプロポーズするつもりだと思った」と証言する。そしてあの惨事である。伝え聞くところによるとダイアナ元妃は妊娠約六週間だったという。光の扉が開いて瞬時に閉ざされたような二人の運命だった。



●ダイアナは手紙で謀殺される危機を示唆

 英紙デーリー・ミラーは2003年10月20日、故ダイアナ元皇太子妃が「交通事故に見せかけて私を殺す計画がある」と執事に宛てて書いた直筆とされる手紙の写真を公開した。手紙は元妃が97年8月にパリで交通事故死する10カ月前に書かれた。手紙が本物であれば元妃の謀殺説を裏付ける有力な証拠となるだけにBBCなど英メディアはトップニュースとして報道した。

 手紙は元妃が住んでいたケンジントン宮殿のレターヘッド付き便せんにペンで書かれていた。皇太子夫妻の離婚確定から2カ月後の96年10月の日付がある。元妃は「ブレーキ故障で私が頭部を負傷する事故を起し、皇太子が再婚できるようにする計画がある」と書いている。元妃は謀殺を企てた者の名前を書いているが、同紙は「法的な問題に対応できない」という理由でその部分を黒く塗りつぶしている。同紙は「元妃が信頼していた人物だ」と説明し、元妃に近い人物であることを示唆している。

 また、元妃は手紙の中で執事のポール・バレル氏に「この手紙は将来に何かあったときの保険として保管してほしい」と書いた。バレル氏は元妃の死後にエリザベス女王から「この国には計り知れない権力が動いているから身の安全に気をつけなさい」と脅しめいた言葉をかけられたと主張している。
 同紙によると、手紙はダイアナ元妃の元執事ポール・バレル氏が保管していた。

 バレル氏は、「元妃は、手紙を封印する時、私に『日付を書いておきます。万が一に備えて、あなたに預かってもらいたい』と言った」と語っている。バレル氏は、ダイアナ元妃の所持品を盗んだとして窃盗罪で起訴されたが、検察側が昨年11月、訴訟途中で起訴を取り下げ、無罪となった。ミラー紙は同氏に高額の謝礼を払い、バレル氏の手記を連載している。元妃の事故死については、暗殺説も根強くささやかれたが、フランス捜査当局は、運転手が飲酒のうえスピードを出しすぎていたのが事故原因との結論を出している。

 問題の、直筆と思われる手紙は次のようなものだ。

「ポールへ(執事、バレル氏)
 10月のこの日、私は今、自分のデスクに座り、誰かが私を抱きしめてくれて、頭をしっかり高く上げているんだよと、励ましてくれたらどんなにいいだろうと考えています。私の人生は最も危険な時期にあります。(チャールズ再婚の)障害をなくすために---は私の車に事故を起こさせ、ブレーキを利かなくして、頭に重傷を負わせようとしています。」



 


カルメンチャキ |MAIL

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