+ナス日記+

2010年04月19日(月) 合わせ鏡

合わせ鏡ってありますよね。鏡の中に同じ鏡像が延々と続くアレ。
人の欲望ってアレに近いと思うんです。
あ、ここで言う欲望は生理的な欲望とは違う
人間的な欲望のコトです。
目標とか、ポリシーとか、理想とか、夢とかいうやつです。
なんかポジティブな響きで、崇高なものとして
結構いいコトとして受け入れられている罪作りなモノです(笑)

欲望を満たすために毎日切磋琢磨して、感覚を研ぎ澄まし
たゆまぬ努力と勉強を継続する、いわゆる頑張りや。
欲望が満たされないので毎日愚痴をこぼして
出来るわけが無い。なぜなら〜のせいでね…が得意技の諦め上手。
お互いの意見がぶつかってケンカとかよくやってますね。

コレって、相反するものに見えて同じコトだと思うんですよ。
自分に対する「欠乏感」。
足りないと思うから満たしたい。求めているのに満たされない。
あそこに到達すればこの苦しさも終わる。と思っているのに
到達すると、さっきと同じ景色が広がっていて…その繰り返し。

じゃあその欠乏感はどこから来るのか。
多分、何か…自分にとって大きな影響を与える何か…
人かもしれないし、出来事かもしれない。
とにかくそれに、「〜〜だから」という理由で
自分自身を否定されてショックを受けたんだと思うんです。
ただそこにあるだけのものに、何かしらの理由をつけて
否定・肯定するのって、人間しかしません。
元々人間だってただそこにある生物なだけなのに。
単純な科学のはなしで、生命として存在維持できるから
在るだけなのに、これは保つべき、あれは消し去るべきとか言って
自他共に傷つけあっている。可哀相なことに。

自分的大事件として記憶に残ってれば解りやすいんですが
意外と忘れてしまうような些細な事、あるいは日常的なものとして
染み込んでいると、それを当たり前と認識するのでやっかいです。
当然のこととして実行を繰り返し、繰り返しが確信を呼び…
循環してさらに強化してしまう。

その出来事は遥か昔に終了しているし
当事者が目の前で今まさに否定してるわけでもないのですが
あたかも過去から今この瞬間までずっと否定されているに錯覚する。
対抗するために、理論や努力や感情や仲間やら
そりゃもういろんなものを用いて、倒そう、超えようとするんだけど
いくらやっても果てが無い。
そりゃそうだ、それ合わせ鏡の幻なんだから(笑)
自分にとっての大問題が、他人にとっては何の意味も持たないのは
あわせ合う鏡を持っていないから。
ちなみに、合わせあう鏡を持っている場合
お互い「気が合う仲間」とか呼び合ったりして
同じ幻を追い掛け回すこととなります。

アレに打ち克てば…アレさえあったなら…
行けども毎日同じ渇きに悶えているのなら、努力でも愚痴でもなく
自分の中にある鏡を消し去ること。
鏡を消すには、欠乏感を植えつけた事象に向かい合って
「そんな否定、元々はないものだった」と認めること。

こないだアップした「鏡の境界」の鏡の向こう側には
そんな合わせ鏡を全部なくしちゃった後の世界が広がっています。


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