観能雑感
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2006年11月07日(火) 近藤乾之助 関根祥六の会

近藤乾之助 関根祥六の会 PM6:00〜 観世能楽堂

 久し振りに開催される両師の会。今回初めて個人宅に電話してチケット購入。乾之助師夫人が丁寧に応対して下さった。
 中正面を希望し、入手できた席は残念ながらあまり良い位置ではないガラス張りの席の前。縦の通路を隔てたこちらよりは見やすい正面席寄りは研究者の席に割り当てられており、複雑な気持ち。
 開演時間の6時を過ぎてからの入場が非常に多く、最初からうんざり。観客の1/3近くが途中入場ではなかろうか。中には番組の切れ目を意識して入ってくる人もいたけれど、それは少数派。大部分は係員の案内で堂々と入場。この悪習、早く止めてもらいたい。自分が公演に足を運ぶ他ジャンルでは考えられない暴挙。
 このところよく眠れず、あまりいい観賞状況ではなかった。

おはなし  増田 正三

 前述のように途中入場者が途切れない状況で落ち着かなかった。個人的にこれといって目ぼしいな内容はなく、収穫は番組の狂言に関する表記に誤りがあることが判明したこと。

仕舞 
『放下僧』小歌  関根 祥六  近藤 乾之助

 両流儀合わせ8名の地謡が一列に並ぶ中、祥六師、乾之助師の順で舞った。観世流は地頭の祥人師の声ばかりが聴こえてきた。硬い響き。一方宝生流は柔らかく軽やか。この小歌の節回しは以前から断然宝生流の方が好きである。

舞囃子
『養老』水波之伝  関根 祥人
笛 松田 弘之(森) 小鼓 鵜澤 洋太郎(大) 大鼓 安福 健雄(高) 太鼓 小寺 佐七(観)

 「養老」の神は高天原の神ではなく、自然そのものに近い山神。シテと囃子がエネルギーの奔流となって舞台に渦巻いていた。

『巻絹』五段神楽  金井 雄資
笛 一噌 仙幸(噌) 小鼓 幸 清次郎(清) 大鼓 亀井 実(葛) 太鼓 小寺 真佐人(観)

 祥人師と同様、黒紋付に袴というごまかしの効かない出立でも観る者の視線を逸らさない吸引力あり。憑依が解けた時点でふっと体が軽くなったように見えた。

仕舞
『杜若』キリ  近藤 颯一郎
『船弁慶』キリ  金井 賢朗
『羽衣』クセ  関根 祥丸

 おそらく子方として勤めていない曲はないと思われる祥丸君は、すでに注視に耐えうる肉体を獲得している。後姿は祥六師、祥人師にそっくり。颯一郎君はいろいろな事がこれからなのだろう。賢朗君は二人の中間地点に位置しているようだった。今後能楽師として歩んでいくかは未確定事項であろうし、現状はそれぞれ異なっているように見受けられた。

小舞
『法師ヶ母』  山本 東次郎

 なぜか番組には法師ヶ酒と記載されていた。自らの酒乱が原因で家を出た妻を訪ね歩く男の悲哀が、東次郎師の確かな謡と身体で表現された。

舞囃子
『天鼓』盤渉  近藤 乾之助
笛 松田 弘之(森) 小鼓 幸 清次郎(清) 大鼓 安福 健雄(高)

 思うように動くわけではない足のことを考えると、この選曲は本人にとって挑戦だったのではなかろうか。力強い足拍子は望むべくもないが、それを補ってあまりある身体の在り様だった。音に戯れるのではなく、愛用していた楽器を演奏できる貴重な機会として無心に鼓を打つ少年の姿がそこにあった。

『砧』後  関根 祥六
笛 一噌 仙幸(噌) 小鼓 鵜澤 洋太郎(大) 大鼓 亀井 実(葛) 太鼓 小寺 佐七(観)

 とうとう力尽き眠気が押し寄せてきて、ほとんど記憶なし。「菩提の種となりにけり」で留めた直後の付祝言は蛇足に感じた。

 この日、粟谷菊生師の本葬が行われた。増上寺の近くにいたため看板を目撃。もとより参列することは叶わないので、心の中で手を合わせた。
 


こぎつね丸