観能雑感
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| 2006年10月28日(土) |
オペラ 『イドメネオ』 |
オペラ 『イドメネオ』 新国立劇場 PM2:00〜
モーツァルトのオペラ・セリエ作品において代表的存在。作曲時24歳。 3階中央ブロック最後列に着席。座席が互い違いに配置されていないため前列に座っている人の座高が高いと悲劇だが、今回まさにそうだった。第1幕は隣席が空席だったのでそちらに体を傾けていたがその後埋まったため、仕方なく背中を背もたれに付けずに観ることに。最後列だからできたことであって、もしそうでなかったら、舞台は大部分遮られて見えなかったであろう。客席はほぼ満席状態。
『イドメネオ』 全3幕
【作曲】ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト 【原作】アントワーヌ・ダンシェ 【台本】ジャンバッティスタ・ヴァレスコ
【指揮】ダン・エッティンガー 【演出】グリシャ・アサガロフ 【美術・衣裳】ルイジ・ペーレゴ 【照明】立田 雄士 【舞台監督】斉藤美穂
【合唱指揮】三澤洋史 【合唱】新国立劇場合唱団 【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団
【イドメネオ】ジョン・トレレーヴェン 【イダマンテ】藤村 実穂子 【イーリア】中村 恵理 【エレットラ】エミリー・マギー 【アルバーチェ】経種 廉彦 【大司祭】水口 聡 【声】峰 茂樹
クレタの王イドメネオはトロイ戦争から帰還する際嵐に遭遇。「陸に上がった時一番最初に会った人間を生贄にささげる」ことを条件に、海神ポセイドンに救済を願う。彼が最初に目にした人物は王子イダマンテだった。父のよそよそしい態度を悲しむイダマンテ。一方イドメネオは人質であるトロイの王女イーリアがイダマンテを愛していると知り、さらに苦悩する。故国を離れクレタに身を寄せているアルゴスの王女エレットラも同じくイダマンテを愛しており、生贄にするのを避けるため彼女のアルゴス帰還に同行させるという王の決定を喜ぶ。しかしポセイドンの怒りに触れ、クレタに大災害が発生。大司祭からの要請に、イドメネオはやむ終えずイダマンテを生贄にささげる決定をする。怪物退治を終え帰還したイダマンテは運命を受け入れるが、怒りの解けたポセイドンの神託により、イーリアを妻としクレタの王位に就く。 パンフレットによると、クレタ王朝にイダマンテという王子の名前は見出せないとのこと。イドメネオは娘を生贄にささげたと言われており、その行為が残虐であると責められ国を追われた。
藤村実穂子、中村恵里の二人の日本人キャストが舞台を最初から引っ張っていった。残念ながらタイトル・ロールのジョン・トレレーヴェンは声が前に出てこず、イドメネオの苦悩が伝わってこない。2幕目以降は良くなっていったものの、基本的な印象は変らず。中村は可憐で心優しいイーリアを丹念に演じ、一方誇り高く強気なエレットラをエミリー・マギーが力強く、時に妖艶に歌い切った。藤村は歌そのものはさすがとしかいいようがないが、ケルヴィーノやオクタヴィアンのように子供で中性的な役や、オルロフスキー公爵のように浮世離れした人物とは異なり、二人の性格の異なる女性から熱烈に愛される男性をメゾが演じるのは無理があるというのが正直な感想。本来カストラートのために書かれた役なのでメゾを起用したのだろうが、この役はテノールが歌ったほうが演技としては自然になるような気がした(モーツァルト自身、後のウィーン版ではテノールとした)。とは言え、モーツァルトのオペラ作品の中でも屈指の名曲である、登場人物それぞれの思いが交差した第3幕の四重唱は、息が詰まりそうになるくらいの緊張感をはらんで圧巻。 託宣が下った後、エレットラの怒りと復讐を誓うアリアは幸福な空気に包まれる場には相応しくないと初版ではモーツァルト自身の手で削れられたそうだが、歌として大変盛り上がるので歌われることが多いとのこと。ドラマティコの聴かせどころであるし、誰かの幸福が誰かの不幸と同義であることを強烈に印象づけるため、あった方がいいと個人的には思う。 今回一番拍手が多かったのは指揮者だったように思うが、異論はなし。オケがよく応えた。合唱が多用される曲だがこちらも大健闘。そして何より凄いのは、モーツァルトの才能。
プログラムの解説で、オペラ・セリエの中の神は名前はギリシャ・ローマ神だが、扱われ方はキリスト教的であるとういう指摘があり納得。本来持つ冷厳さと異なり、彼らは作品の中で最終的に信仰に報いる。
こぎつね丸
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