観能雑感
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| 2006年10月26日(木) |
国立能楽堂特別企画公演 琵琶と能楽 |
国立能楽堂特別企画公演 琵琶と能楽 PM6:30〜
能と狂言、それぞれ同じ曲を3日間日替わりで異なる演者により上演という稀な形態に芝祐靖氏の琵琶独奏が付くという超豪華企画。今回雅楽が目当てでチケット購入。3日間通うことは無理なので一番興味を引かれた2日目を選んだ。 展示室では「能を彩る楽器」―鍋島家伝来雅楽器展―が開催中。多彩な収蔵物に目を見張るばかり。子供の練習用ではないかと推測される細く、小さめの龍笛が珍しかった。 中正面後列脇正面寄りに着席。場内満席。
琵琶独奏曲 『楊真操』 藤原貞敏が唐で廉承武に授けられた三秘曲のうちのひとつ。伝楊貴妃作。 貴人口の前に琵琶が一本立てて置かれていたが、これは弦が切れたときの予備だと思われる。切戸から烏帽子、直衣、袴姿の芝氏が登場。調弦した後演奏開始。楽琵琶はやはり大きい。残念ながら目付柱が演奏する姿を隠してしまった。時に撥音そのものを響かせ、優美で繊細ながらも土着な雰囲気。平安時代、月夜に公達が一人琵琶を弾じる姿を想像しつつ、しばし夢心地。
琵琶・龍笛二重奏曲 『蘇莫者』 右方舞楽。走舞。盤渉調。乱声、音取、序、破から成り、管弦として演奏される場合は破のみ演奏。舞楽として演奏される場合破は八多羅拍子だが、管弦として演奏される場合は只拍子(2/4+4/4)拍子になる。曲の典拠には二説あり、役行者が下山途中に笛を吹いている際、その素晴らしい笛の音に合わせて山の神が老猿の姿になって舞った姿を舞にしたという説と、聖徳太子が信貴山で笛を吹いている時に山の神が現れ舞った姿を舞にしたという説がある。 演奏を開始する前に再び調弦していたが、単なるチューニングなのか、それとも次の曲の調性に合わせたのかは不明。 龍笛の吹き始めは、演奏者に他の選択肢はなかったのかと正直思ったが、徐々に持ち直していった。後に伺ったところ、普段はもっとよく鳴るそうなのだが、馴れない能舞台(恐らく初めてであろう)に師匠との一対一の共演(通常雅楽ではこのような演奏形態は取らない)に酷く緊張したのではないかということだった。奏者は大分若い方に見えた。琵琶は先程とは変って低音を力強く演奏していた。 雅楽は胡坐か椅子に腰掛けて演奏される。能管を胡坐で演奏するのは想像しずらい。椅子に腰掛けていても、やり難さを感じるくらいである。自分が吹いている笛が超体育会系であること改めて思い知った夜だった。
狂言 『月見座頭』 シテ 山本 則直 アド 山本 則俊
則直氏の芸風ゆえか、虫の音を楽しむ姿も朴訥な印象。上京辺の男は先に和歌の剽窃をしておきながら、座頭がそれに習うとそれは古歌であろうと指摘するあたり、人間性が垣間見える。楽しく舞い歌い別れてから、別人のふりをしてあの座頭をいたぶってやろうと思い立つ、その間際の則俊師の後姿が恐かった。座頭は、先ほどの人物と今、わざとぶつかってきた人物が同じだと気づかないはずはないと思う。人は色々だと呟いて再び歩き出す姿は、どんなに酷い目にあってもただ淡々と生きている座頭の人としての大きさを表しており、上京辺の男の卑小さが際立つ。この曲、やはり名曲だと思う。 後見座に久々に山本泰太郎師の姿を見る。さらに痩せられたよう。大事にしていただきたい。
能 『蝉丸』 シテ 梅若 六郎 ツレ 観世 清和 ワキ 宝生 閑 ワキツレ 殿田 謙吉、梅村 昌功 アイ 山本 東次郎 笛 松田 弘之(森) 小鼓 大倉 源次郎(大) 大鼓 國川 純(高) 地頭 観世 銕之丞
ワキの道行がかなりしっかりと謡われ、これは長丁場になりそうだと予感したがその通りに。 ツレの面は諦観を漂わせ、己の運命を静かに受け入れる姿は少年というよりは青年。清和師の舞台に共通する印象として、あまり細やかな心象風景を感じさせないが、今日もその例に漏れず、一人取り残され地にくずおれる姿は形式的だった。 アイで源博雅が登場するのはいろいろ無理があれども、山中で一人雨に濡れながら途方に暮れている少年に手を差し伸べる姿は、彼の優しさを端的に表していて観るたびに好ましく思う。 シテは朱地の摺箔に緋長袴。黒頭は両側に少し残して後は元結で結ばれていた。面は強いて言えば増に近かったが不明で、終演後掲示を確認すると「逆髪」という専用面。高貴さと諦観を併せ持った良い面。身体の線がはっきり解るこの出立では、六郎師の度を越した肥満体があからさまになるので少々興ざめではあったが、謡の力と身体能力で登場した瞬間から逆髪という人物を強力に描き出す。長袴でもカケリがモソモソしないのはさすがであった。他者に嘲笑されつつも、物事の理を見極めた彼女の精神は静寂と狂乱を行き来しているが、決して混乱はしていない。しかし川面に映った己の逆立つ髪を見て、一瞬心が乱れ後ずさる姿は切なかった。姉と弟が再会する際に吹かれたアシライが、辺りの静寂と二人の束の間の安堵感を彩り実に効果的。なぜかクセのあたりで唐突に眠気が襲来し、無念。弟は引き止めるが放浪し続けることを選ぶ姉の姿はいつ観ても鮮烈。橋掛りで一度振り返るも、背を向け去って行く姉を見えない目で見送り続ける弟。哀しいけれどどこか清々しさが漂う空気を断ち切ったのがシテがもう少しで幕に入ろうという時に起こった無遠慮な拍手。 シテ、ツレ、三役、全て銕仙会で固められた地謡とも高水準で、充実した舞台だったと思う。
座席の背の部分には新しく導入される液晶字幕のパネルが配備されていた。要するに海外のオペラ・ハウスで使用されている「フィガロ・システム」と同種のもの(あちらの方が遥かに精緻な構造のようだが)。稼動は来月17日からとのこと。英語に対応しており、日本語を解さない観客には朗報ではなかろうか。
こぎつね丸
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