観能雑感
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| 2006年09月30日(土) |
第6回 緑桜会 能の会 |
第6回 緑桜会 能の会 梅若能楽院会館 PM2:00〜
主催者である山村庸子師は故田中一次師の笛に惹かれて能楽の世界に足を踏み入れたそう。今年はその田中師の27回忌にあたり、この会を偲ぶ会にしたいと企画したとのこと。 残念ながら実際の演奏を聴くことは叶わなかったが、田中一次師は私にとって憧れの存在である。何枚か持っている能楽囃子の音源でもっとも気に入っているのが田中師の舞囃子集。おこがましいが、ダメはダメなりに能管を吹いている者として、こういう演奏を目指したいと、そういう気持ちだけは持っている。 中正面後列脇正面寄りの列の端。笛座が良く見え視界良好。見所は女性客の姿が目立った。
お話 今日の能と田中一次師 増田 正三
とりとめもなく話題が飛ぶこの方の話は苦手。予想通りと言おうか、肝心の田中師の話はあまりなく、これまで読んだ文章の内容を超えるものではなかった。それより入場の際手渡された梅若六郎師が師を偲んだ文章の方が余程雄弁であった。能管の音には吹く人そのものが色濃く投影されるが、田中師の音から思い描いていた人物像は、六郎師の言葉と見事に一致した。周囲の何事にも惑わされず、あるべき高みを一人真っ直ぐに見つめている。そんな印象を田中師の音から受ける。人付き合いが苦手であったという点に個人的に共感。 増田氏の話から得た収穫は、以前にビクターから刊行された能楽囃子大全のCD可の予定があるということ。全10巻以上あるにもかかわらず、現在たった1枚のCDにまとめられているのみで、何とか個別にCD可されないものかと願っていた。すぐには実現しないだろうけれど、とりあえずは朗報。田中師の笛がもっと聴けそうである。もうひとつは、故島田巳久馬師が病気のため片肺だったこと。初耳。アレルギー体質でいつも咳き込んでいる自分には励みになる事実。 話のテーマとは全く関係ないが、六郎師の後援会の現会長は現自民党総裁の母上だそう。その前の会長はその父上である岸信介前総理。ふうん。
居囃子 『三井寺』 シテ 梅若 六郎 笛 松田 弘之(森) 小鼓 横山 晴明(幸) 大鼓 柿原 崇志(高)
サシからクセまで。手練揃いで聴き応え抜群。我が子を探し放浪する母親が、旅の途中でほんの一瞬でも湖面に映る月を見てふっと心が和らいだのではないかと思えるような、笛の音だった。 もともと肥満体の六郎師だが、この日その姿がよく見える位置から見てみて吃驚。明らかに度を越している。袴の上に盛り上がるように肉が溢れているのがはっきり確認でき、首周りにも何重にも垂れ下がっていた。この姿での仕舞、舞囃子は見るに耐えないし、能一番終るまで正座しているのも無理だろう。そして何よりこれでは健康状態は確実に赤信号なのではないか。
狂言 『昆布売』 シテ 山本 則秀 アド 山本 則俊
庶民の逞しさ、したたかさと大名の間抜けぶりの対比が面白く、音楽的要素も含まれており好きな曲。淡々と、しかし確実に意のままに大名を操作する則俊師の昆布売りが爽快。 上演中、子供の声が気になっていたが、その当人が白洲の上を音高く歩き始めて吃驚。連れてきた大人の責任。あらゆる劇場の客席は託児所ではない。
能 『天鼓』弄鼓之楽 シテ 山村 庸子 ワキ 殿田 謙吉 間 山本 則俊 笛 松田 弘之(森) 小鼓 横山 晴明(幸) 大鼓 柿原 崇志(高) 太鼓 金春 惣右衛門(春) 地頭 梅若 六郎
弄鼓之楽は他流の呼出と盤渉を合わせたような小書。ワキは登場の後すぐ揚幕前に行き、老父を呼び出す。楽は途中から盤渉へ。盤渉調は成仏という観点からは外れる調子なので、遊興という点に重きを置いた演出となる。 前シテは尉髪ではなく唐帽子。年老いた父という点を強調するならば尉髪の方が個人的には良いと思う。男性の役者がシテの場合、女性の役なのにどうしても男性にしか見えない時があるが、今回は女性が男性の扮装をしているようにしか見えず、少々辛かった。ハコビがべったりしているのも気になった。性別を超える身体を獲得するのは容易なことではない。面は小尉だろうか、細面で老父の諦観と絶えることのない悲しみがよくでており、非常に良い面で見とれてしまった。ワキとの同吟が声の高さの違いから、大変そうだった。地謡後列は中入の際切戸から退出し、後場開始前に再び登場。 後シテの面は童子だろうか、やや中世的でとても優美な印象。権力者に殺されたという事実は当人にとっては瑣末なことで、現れた天鼓は再び鼓が打てる事をただ喜んでいる様子。長い筈の楽だけれど、あっと言う間に終ってしまったという感じ。もっと聴いていたかった。 今回囃子目当てだったので十分楽しんだけれど、能一番としては物足りなさを感じるのは否めなかった。
こぎつね丸
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