観能雑感
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2006年04月29日(土) 国立能楽堂特別公演

国立能楽堂特別公演 PM1:00〜

 片山九郎右衛門師のシテがあるのでチケット入手。国立能楽堂主催の公演は座席を確保できただけでも良しとせねばならない。
 展示場には平家物語にちなんだ品々が並び、なかでも目を引いたのは琵琶「青山」とともに和琴。雅楽では弦楽器が最も格式が高いとされているが、その最高位に位置するのがこの和琴。その名のとおり、日本固有の楽器であり、音色は清澄でいて力強く、自然そのものの力を取り込んだかのようである。製法は秘中の秘とされ、今では制作できる人がいないとか。個人蔵とあった。間近に見られて良かった。
 脇正面やや前列寄り、ほぼ中央に着席。場内ほぼ満席。

能 『加茂』(宝生流)
シテ 寺井 良雄
前ツレ 野月 聡
後ツレ 藪 克徳
ワキ 福王 茂十郎
ワキツレ 福王 知登、永留 浩史

間狂言 『御田』(大蔵流)
シテ 山本 泰太郎
立衆 山本 則孝、山本 則重、山本 則秀、山本 則直、遠藤 博義、若松 隆

笛 松田 弘之(森) 小鼓 住駒 幸英(幸) 大鼓 亀井 実(葛) 太鼓 助川 治(観)
地頭 佐野 萌

 今回は替間で田植えの様子を見せる『御田』が上演される。
 真ノ一声、笛が荘重かつ清々しく響き、脇能らしい場を作る。前シテの掛ける泣増が美しく品位があり、本性を暗示。女性ならではの華やかさの中に神性を内包したシテはなかなかの出来。
 来序にて狂言のシテである神職登場。田植えの開始を宣言し、狂言版下リ端に乗ってビナン鬘を付けた早乙女達が橋掛りに並ぶ。時にユーモラスな内容の唄と所作を交えつつ、田植えが進行。生活に密着した行事であるとともに、神事でもあったということを強く意識した。
 後ツレは上品で愛らしく、御祖の神としては少々軽いかとも思ったが、後シテを迎えるに相応しい、華やいだ空間になった。後シテ、流儀の特性もあってか、別雷の神としては豪快さに欠け、若干物足りないが、予想範囲内。地謡は今ひとつという気もしたが、全体として爽やかにまとまり、この曲の特性は活かせたのではないか。

能 『摂待』(観世流)
シテ 老尼  片山 九郎右衛門
子方 鶴若  小早川 康充
ツレ 源 義経  片山 清司
立衆 増尾十郎兼房  武田 宗和
立衆 鷲尾十郎  岡 久広
立衆 郎党  浅見 重好、津田 和忠、関根 知孝、木原 康之、関根 祥人、藤波 重彦、藤波 重孝、武田 尚浩
ワキ 武蔵坊弁慶  宝生 閑
アイ 佐藤の家人  山本 東次郎
笛 一噌 庸二(噌) 小鼓 鵜澤 速雄(大) 大鼓 亀井 忠雄(葛)
地頭 観世 銕之丞

 山伏に身をやつし、平泉を目指す義経一行を「山伏摂待」の高札を掲げて待ちわびる佐藤継信、忠信兄弟の母、老尼と継信の遺児、鶴若。弁慶から息子たちの最後の様子を聞く。一夜明け、鶴若は義経に付き従おうとするが、とりなされ、立ち去る一行を老尼とともに見送る。舞、音曲性を尽く欠いた、語りにより構成された曲。
 まず狂言方により山伏摂待の事触れがなされ、次第で義経一行登場。高札に警戒しつつ、佐藤の館へ到着。鶴若と対面するが、容易に正体は明かせない。アシライでシテ登場。銀鼠に小花紋の縫箔。面は姥。老尼に乞われつつも、云わば指名手配中の身ゆえ、自ら名乗ることをせず、自分たちの素性を当ててみろと言う一行。わざと名を偽って告げられても惑わされることなく、老尼は淡々と言い当てる。それでも真実を明かさない一行に鶴若は失望し、老尼に奥へ戻ろうと言うが、見兼ねた義経が、誰が義経なのか言い当ててみろと鶴若に告げ、鶴若は迷うことなく、父を返してくれと義経の膝元へ駆け寄る。この際の片山清司師の詞が、類型ではなく、心の内から出てきたもののようで、後に続く鶴若を抱きとめる所作とともに、胸に迫ってきた。
 継信の最後の様子を聞かせて欲しいと言う老尼の願いに、弁慶が屋島の合戦での様子を滔々と語る。ワキ方の聞かせ所であり、宝生閑師の語りに引き込まれる。数珠を手に聞き入っていた老尼だが、矢が継信に当たった瞬間、僅かに手が動き、心の動揺が伝わってくる。弟忠信の様子も語られた後、継信が最後に心配していた母と息子を探し出し、恩義に報いたいと思っていたが、このような身の上になってしまい、それも果たせないままだったという義経の苦しい心情を、地謡が引き継ぐ。悲しみの中の酒宴の後、鶴若は鎧と馬を用意せよと命じ、義経と行動を供にしようとするが、この方たちは山伏なのだから弓矢は不要なのだと老尼にたしなめられる。ならば兜巾、篠懸を用意せよと言う鶴若に、弁慶は涙ながらに、今日は出立の準備をし、明日迎えに来るからとなだめる。幼さゆえ、それ以上何も言うことが出来ない鶴若を老尼が抱き寄せ、去っていく一行を見送り、終曲。
 近世以降の武士道にみられるような形式的な哀感ではなく、心の底から湧き出る哀しみが横溢した、哀切極りない曲。シテ、ワキともに役者が揃い、見応え、聴き応え十分。片山九郎右衛門師の後姿は上品かつ確固とした意志に溢れていたが、最後に一行を見送る姿は無力感に満ちていた。子方も難しい役ながら健闘。語り中心の作品を手練れの大小が支え、こちらの方も聴き応え十分。地謡は若干力みが気にかかったが、全体として充実した舞台だった。
 
 国立能楽堂主催の公演を観るのは久し振り。パンフレットは詞章の部分が独立して別紙になっていた。

 傾斜が少ない国立能楽堂の座席は前列の人の頭が邪魔になることが多い。今日もそうだった。相変らず開演に遅れた観客を係員が案内しているが、係員の仕事は中入等、しかるべき時に遅れてきた観客を入場させることではなかろうか。


こぎつね丸