観能雑感
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| 2006年01月14日(土) |
銕仙会 1月定期公演 |
銕仙会 1月定期公演 宝生能楽堂 PM1:30〜
小書の付かない『二人静』はめずらしいため、今回初めて銕仙会の初会へ行くことにした。チケット購入時は三役は不明だったので、番組が届いた時は内心小躍り。 見所は満席。関係者席には井上八千代氏の姿が。中正面後列脇正面寄りに着席。
『翁』 シテ 観世 銕之丞 千歳 小早川 泰輝 三番三 山本 泰太郎 面箱持 山本 則孝 笛 松田 弘之(森) 小鼓 曽和 正博、森 貴史、住駒 充彦(幸) 大鼓 原岡 一之(葛) 地頭 野村 四郎
火打石を切る瞬間を目撃したのは今回が初めて。幕内からにゅっと手が出て、小さく火花が散る。面箱の則孝師がまとう、これから始まるのは儀式であるという、緊張した空気に、急速に見所が静まっていった。舞台上の翁を見つつ、人と大地がもっと密接に関係していた時代には、ここに表される祈りははるかに切実なものだったのだろうといような事を、ぼんやりと考える。翁というのは、多くの人々の願いを結集させるための、器のようなものなのかもしれない。 静謐な空気から一転して躍動的な三番三の登場。泰太郎師の舞う姿を観ている内に、不思議と自分も一緒舞っているような、未だかつてない不思議な感覚に捕われる。大地に対する祈りを感じた。三番三に必要なのは、洗練ではなく土着性であると思う。鈴之段の、徐々に高揚していく過程は、観ているうちに体に力が入ってしまった。 松田師の笛に荘厳さの中に宿る力強さと温かみを感じた。全体の雰囲気を決める笛の役割は大きい。 原岡師は恐らく披きであると思われる。みな、こうしてひとつひとつ階段を登って行くのだ。これからもご精進下さい。
能 『二人静』 シテ 馬野 正基 シテツレ 浅見 慈一 ワキ 村瀬 堤 アイ 山本 則重 笛 中谷 明(森) 小鼓 亀井 俊一(幸) 大鼓 柿原 光博(高) 地頭 浅井 文義
眼目はシテとツレの相舞。作者不明。映像では見たことがあるが、実際の舞台で観るのは今回が初めて。 シテの幕内からの呼びかけは不気味で迫力があった。馬野師は謡は良いが、所作が今ひとつ。惜しい。装束はシテ、ツレ同装。面はシテが若女、ツレが小面。序ノ舞は、最初を除いてよく揃っていたと言っていいと思う。 菜摘女に静の霊が憑依し、また静本人の霊も現れて同時に舞を舞うという、一種異様な状況に重きが置かれ、物語そのものはさほど胸を打つものではない。しかし、昔語りを終えた後でつぶやく「思い返せば昔もそれほど楽しくはなかった」という一言は、悲しく響く。 中谷師、やはり序之舞は少々辛そうである。
狂言 『二千石』 シテ 山本 東次郎 太郎冠者 山本 則俊
主に無断で都見物に出かけた太郎冠者。腹を立てつつも都の様子を語って聞かせるよう命じる主に、謡が流行っていたと言って「二千石」を謡う。その謡は先祖が恩賞を賜った際の大切なもので、みだりに謡ってよいものではないと激昂する主。太郎冠者を斬ろうとするが、太刀を振り上げた手元が先代にそっくりだと泣く太郎冠者に主の気持ちも緩む。 登場時から不機嫌であった主が、ますます気分を害して行くところが、東次郎師の全身から余すところなく伝わってくる。緊迫した雰囲気の仕方話の臨場感から、今度は現実に太郎冠者を成敗しようとする緊張感へと続く場面は圧巻。一転して太郎冠者の言葉に涙する対比が鮮やかであった。先代と似ているという言葉は本当だろうけれど、それにより死を免れた太郎冠者が、ことあるごとに先代と似ていると口にして、結局太刀を貰ってしまうところは庶民の逞しさを感じた。代々子孫が家を継いで行く事はめでたいと、笑って留めるところも気持ちのよい幕切れ。
能 『鷺』 シテ 観世 敦夫 ツレ 観世 榮夫 ワキ 宝生 閑 ワキツレ 森 常好、舘田 善博、森 常太郎、則久 英志、宝生、欣哉、殿田 謙吉、大日方 寛 アイ 山本 則直 笛 一噌 仙幸(噌) 小鼓 大倉 源次郎(大) 大鼓 亀井 忠雄(葛) 太鼓 金春 惣右衛門(春) 地頭 山本 順之 敦夫君は、定期公演での初シテとのこと。しばらく見ないうちに本当に大きくなった。もう中学1年生。変声期真っ只中といった感じの声だった。時分の花とは良く言ったもので、白一色の装束を纏った少年が大人たちに囲まれて舞台上にいると、それだけで清らかかつ美しい。これからは大人の役者として修行していかなければならない。健やかな成長を期待したい。
こぎつね丸
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