観能雑感
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2005年11月06日(日) 友枝会

友枝会 国立能楽堂 PM1:00〜

 入手困難なチケットのため、伝手を頼らせていただいた。ありがたや。中正面後列脇正面寄りブロックに着席。見所は満席。
 疲労とストレスのためかいろいろ不調。持病による痛みあり。出かけられるだけで十分嬉しい。

能 『浮舟』
シテ 友枝 昭世
ワキ 宝生 閑
アイ 野村 扇丞
笛 一噌 仙幸(噌) 小鼓 北村 治(大) 大鼓 柿原 崇志(高)
地頭 粟谷 菊生

 横越元久作詞、世阿弥作曲。素人の作品に世阿弥が節付け。薫と匂宮という二人の男性からの求愛に悩み、身投げしたところを横川の僧都に救われた浮舟が主人公。旅の僧に改めて回向を願う。今回初見。
 シテは薄黄の水衣に棹を手にして登場。舟に乗っている態。面は増のように見えたが不明。憂いを含んだ大人びた表情だった。橋掛かりに立った姿はどこか虚ろで、浮舟という女性を象徴しているようだった。本性をほのめかしつつ中入。
 後シテは緋長袴に唐織を内掛けのように羽織った姿で登場。常座に立ったところで後見が唐織を受け取る。卓越した身体技術を有する昭世師ではあるが、長袴ではカケリの動きが鈍くなることは否めない。曲中唯一動きのあるのがこのカケリだけに、今回の装束選択は疑問。緋長袴は高貴な女性の装束である。確かに浮舟は桐壺帝の皇子の姫であるから貴種の出ではある。しかし父は忘れ去られた存在でその暮らしぶりは質素であった。長袴のイメージとは結びつき難い。動きを犠牲にしてまで着ける意味はあったのだろうか。
 浮舟は僧の弔いにより成仏できたことを喜び、終曲。
 あっさりした構成でこれといってしどころもなく、また出家した浮舟が回向を願って登場するのも、またその心残りがどのあたりに存在したのかも不明確で、何とも掴み所のない曲。己の意志というものをほとんど表明できずに翻弄され続けたけれど、やっと自分を見出したのが出家という選択だったのではなかろうか。だとすれば現世にそれほど未練を抱きようもないのではないか。自ら望んだわけではないが、存在そのものが虚ろであるということが浮舟を象徴するならば、巧みに表現されていたと思う。しかし、観ていて充実した時間が流れているとは思えなかった。

狂言 『舟渡婿』
シテ 野村 萬
アド 野村 万蔵、小笠原 匡

 万蔵師の婿には、馴れない状況に戸惑う初々しさが欠けていたように感じた。萬師の妻に髭をそられてしまって愕然とする姿は実に切実。舟の上で酒を飲み干してしまったのを恥じる舅に、「舅殿に差し上げるためのものですから構いませんよ」と答える婿。人の心の温かみを感じる、好きな場面である。

半能 『石橋』
シテ 友枝 昭世
シテツレ 友枝 雄人
ワキ 宝生 欣哉

笛 一噌 隆之(噌) 小鼓 観世 新九郎(観) 大鼓 國川 純(高) 太鼓 金春 惣右衛門(春)

 何せ半能なのであっと言う間に終了。昭世師の体の使い方は見事だとは思いつつ、獅子の舞には残念ながらあまり緊迫感がなかった。隆之師の笛にはやはり力感がない。乱序、獅子には何とも物足りなかった。

 4時前に終了。不充足感を抱いた方も多かったのではと思う。


こぎつね丸