観能雑感
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| 2005年10月29日(土) |
チャイコフスキー記念 東京バレエ団 『M』 |
チャイコフスキー記念 東京バレエ団 『M』 ゆうぽうと簡易保険ホール PM6:30〜
1993年の初演以降、3度目の上演。部分的に映像で見たことがあるのみで、今回初見。シと聖セバスチャンという重要な役を若いダンサーが踊る。無論初キャスト。 ゆうぽうとホールの中に入るのは初めて。客席の勾配が急で、観やすい。2階席5列目下手寄りに着席。ほぼ満席状態。 『M』 振付/美術・衣装コンセプト: モーリス・ベジャール 音楽: 黛 敏郎、クロード・ドビュッシー、ヨハン・シュトラウスII世、エリック・サティ、リヒャルト・ワグナー、L.ポトラ/D.オリヴィエリ
少年: 福士 宙夢 I-イチ: 高岸 直樹 II-ニ: 後藤 晴雄 III-サン: 木村 和夫 IV-シ(シ): 古川 和則 聖セバスチャン: 大嶋 正樹 射手: 野辺 誠二 船乗り: 中島 周 女: 吉岡 美佳 海上の月: 小出 領子 【禁色】 オレンジ: 高木 綾 ローズ: 上野 水香 ヴァイオレット: 井脇 幸江 【鹿鳴館】 円舞曲: 貴顕淑女: ソファのカップル: 大島 由賀子、野辺 誠二 海: 男: ピアニスト:高岸 浩子 *群舞のダンサー名は省略
「M」が内包するもの、それは海であり、神話であり、変身であり、そして死である。そして三島由紀夫であり、黛敏郎であり、モーリス・ベジャール自身のMでもある。 ブルーグリーンの衣装を纏った女性ダンサーが表現する海の中に、老女に手を引かれた少年があらわれる。おもむろに「イチ、ニ、サン」と叫びだす少年の声に続き、老女は「シ」と名乗ってその扮装をとき、男性の姿になる。衣装も白、顔も白塗りなのは「死」を意識してなのか。 イチ、ニ、サンはそれぞれ三島の分身を表すと言われているが、舞台上からは各々の明確な区別はなく、ダンサー名から識別できるのみ。彼らとシの踊りに『道成寺』の乱拍子とそれに続く急ノ舞が使用されていた。それ以外に部分的に十三弦の筝も使われていたように思う。 射手は紋付袴姿で、弓道の作法にのっとって弓を引き、その直後聖セバスチャンが突如として現れる。水を掬い取って飲むしぐさが踊りの中に含まれているが、自ら流した血を飲み干しているようで、衝撃的。舞台は三島の作品世界を暗示しつつ進み、やがて盾の会の制服らしき衣装(実際のそれとは大分異なっている)に身を包んだ男性ダンサーを従えた少年の前に、三方が据えられる。海を表した女性ダンサーが再び登場し、男性ダンサーは手に桜の枝を手にしている。少年が白い扇で顔を覆い自決すると暗いライトの中に大量の桜吹雪が舞い散る。これらを包んでいたものと思われる黒い布の下に降り注ぎ、その対比が鮮烈で、この布が取り去られる瞬間は実に鮮やかであった。 横たわった少年の体からシが紅い紐を引き出し、主だった登場人物達がそれぞれ手にとって舞台の奥に消え、再び海と老女に手を引かれた少年が登場する。老女はやはりシであり、舞台上手に置かれた黒板に舞台の進行とともに書き足していった「死」の文字を完成させ、終了。
この作品はベジャールの三島に対する愛であり、敬意であり、祝福であり、慈しみである。少年の死の場面を海と桜で彩ったのも、少年が再び海へ返って行き再生を暗示させるのも、その表れだと思う。個々のダンサーの踊りには、あまり注目しなかった。皆健闘していたけれど、初演の小林十市、首藤康之がどんあ踊りをみせたのか、やはり気になる。 死の場面の音楽は『トリスタンとイゾルデ』の「愛の死」だったが、ピアノで演奏された。あのうねるような重厚な音はピアノ一台では表現しきれず、もちろん演出上の意図があってのことだろうが、少々物足りなかった。ピアノ用編曲を弾きこなすのには、相当な腕が必要だとも思う。 一番印象に残ったのは、冒頭の場面、自ら名乗りをあげつつシが少年を後ろから抱き上げたところ。死は斯様に誰にでも訪れ、それから逃れる術はなく、そして人はそれに対して無力である。
今年、奇しくも三島が最後に撮った短編映画『憂国』のフィルムが、ほとんど劣化していないまま見つかった。三島本人が自宅に保管していたものは夫人の意向で公開されなかった。
体調がひまひとつ優れないまま観たのが残念。次の再演時にも観てみたいと思う。
こぎつね丸
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