観能雑感
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| 2005年07月30日(土) |
セルリアンタワー能楽堂 定期能7月公演 第二部 |
セルリアンタワー能楽堂 定期能7月公演 第二部 PM4:30〜
本当は第一部の『弱法師』が観たかったが、某狂言方ご出勤なので諦めた。Bunkamuraチケットセンターには繋がらず、ぴあに繋がった時点ですでに売り切れ。辛うじて二部のチケットを入手する。チラシもなにもなかったため、三役は当日になって初めて知る。 体調悪し。ただでさえ暑さに弱いため辛い。行くのを諦めかけるが結局出かける。駅を出てから方向を勘違いしてしばしさまよう。気分がますます悪くなってきて、帰ろうかと思うも、会場へ向かった。解説が始まったのとほぼ同時に見所へ入る。中正面最後列。ちょうど目付柱の前。 周囲にどんな人が座るかはその日になってみないと判らず、こればかりは自分の力ではどうしようもない。今回は完全にはずれ。椅子の肘掛は越境、能が始まるとほとんど椅子の半分くらいしか腰掛けていない状態の前のめり。ひんぱんに体を動かしてそのたび座席がきしみ、耳障りな音とともに振動が伝わる。橋掛りに演者が登場すると、そちらに正対するために体をねじり、こちらの視界を塞ぐ。抗議しようと思ったが、見所は水を打ったように静か。諦めた。劇場は公共の場で、周囲に対する配慮があってしかるべき。それができない、するつもりがないのなら、一人でテレビでも見ていていただきたいと、心の底からそう思う。 蝋燭能なので、解説が終了すると黒子の衣装に身を包んだ方が火を灯していった。何故黒子にならねばならぬのかは不明。あまり意味がないように見えた。 今回気力の問題で感想はごく簡単に。
おはなし 三宅 晶子
六条御息所は教養があって、趣味が良かったが、一方で普通の感覚の人だったのではという言葉に納得。それゆえに時代を超えて共感を得るのだろう。
狂言 『清水』 ベテラン同士で安心して観ていられた。蝋燭狂言は効果がいまひとつだと思う。狂言は昼間の話がほとんどだからだろうか。
能 『葵上』
シテ 友枝 昭世 シテツレ 友枝 雄人 ワキ 殿田 謙吉 ワキツレ 則久 英志 アイ 竹山 悠樹 笛 一噌 仙幸(噌) 小鼓 曽和 正博(幸) 大鼓 亀井 広忠(葛) 太鼓 助川 治(観)
前シテは照日巫女にしか見えないという設定だが、それを裏付けるように、ぼんやりと、怪しいたたずまい。しっかりとした謡出しで、無念が垣間見えるよう。後妻打ちのところは、溜め込んだ想いが解放された故か、ある種晴々として見えた。 後シテは緋長袴を着用。足裁きがもたつかないのはさすが。被いていた衣を身体に巻きつける所作が妙に生々しく、少々ぞっとする。最後はたとえ一瞬でも御息所の魂が救いを得たかのようであった。
先日、しっぽの生えた最愛の存在が、常世の国へと旅立って行った。極めて高齢であり、また命あるもの全てに避けられない事態ではあるが、だからといって悲しみが軽減するわけでは決してない。身体は穴を穿ったように空虚だが、何故だかとても重い。知らせによると、最後まで立派だったようだ。当たり前だけれど、大切な存在というものは、どのような姿をとっていようが、それが価値のあるなしには全く関係ないということ。離れて暮らしていても、この空の下生きていてくれるという事実が、どんなに支えになっていたことか。今はもう、地上のどこにも存在しない。悲しくて辛くて、やりきれない。それでも、この悲しみも彼女が与えてくれた大切な財産だと思う。しっかり受け止めなければいけない。そして、私がいなくなるその日まで、心の中にずっと在り続ける。思い出すのは楽しいことばかり。言葉では表し切れないけれど、いっぱいいっぱい、ありがとう。
こぎつね丸
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