観能雑感
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2005年08月09日(火) 能楽観世座サマースクール2005

能楽観世座サマースクール2005 宝生能楽堂 PM6:30〜

 初めて足を運ぶ観世座の公演。前日にシンポジウムが開催されたが平日の昼間では行くのは無理。中沢新一氏の話には興味がある。
 いろいろ尾を引いているが、日々なんとか暮らしている。最愛の存在がいる世界といない世界、全く同じではありえない。生き続けるということは、こういう事態に否応なく遭遇することなのだろう。
 中正面前列、目付柱のほぼ正面の席に着席。見所はほぼ満席。

解説 松岡 心平

 『芭蕉』という曲について、その背景を簡単に説明。小書の平調返についても触れられた。

能 『芭蕉』平調返 蕉鹿語
シテ 野村 四郎
ワキ 殿田 謙吉
アイ 野村 萬
笛 一噌 隆之(噌) 小鼓 鵜澤 速雄(大) 大鼓 国川 純(高)
地頭 梅若 六郎

 前シテは利休茶と山吹茶の段織唐織に深井。シテの次第が繰り返された。面は無垢な少女、思慮深げな妙齢の女性、諦観を湛えた年嵩の女性とその時々で異なった表情を見せた。特にどうということもなく中入。送り笛の最後が完全に息が足りなくなって音が出ず。間語り、萬師の語りは聴こうと思わなくても自然に耳に入ってくる。これが可能な人は、実際のところ限られている。
 後シテは草柳の地に金の扇絵が縫いこまれた長絹に裏柳の大口。淡い緑の濃淡で、芭蕉の葉が月光を受けて白っぽく輝く様子を想像させる配色。扇の地も煤けたような銀で、洗練された色合せ。 
 殿田師は優れたワキ方であるが、掛ヶ合の際、この曲には若干武骨であると感じた。もう少ししっとりした情趣がでればよかったと思う。
 平調返の小書が付くと、序ノ舞の序の部分が平調で始まり、常より長く奏されるとの説明があった。そのまま進んで最後常の黄鐘になると、そのように聴こえたが、実際のところどうなのかは不明。舞が始まると若干半覚醒状態になってしまった。笛が魅力に乏しいので、今ひとつこの小書は生きなかったように感じた。淡々と終曲。
 これといって大きな破れがあるわけではなく、むしろ精緻と言っても良いのだろうが、残念ながらこの曲が持っている奥深い世界を感じ取れずに終ってしまった。『芭蕉』を観るのは三度目だが、自分にとってはもっとも印象に残らない一番。地謡は梅若と宗家派の混合だが、統一感があり、耳には心地よい響き。しかし、訴えてくるものがない。シテも同様で、静かに佇む姿は美しいが、それ以上のものがなかった。良い能とは何なのかを、改めて考えた。

 前列の方が頻繁に頭を動かし続けるので鬱陶しかった。シテを常に完全な形で捉えていたいのなら、中正面には座らぬことだ。
 以前宝生会別会で、謡本を複数開き、ページをめくる音やメモを取る耳障りな音を立て続け、こちらの観賞を妨げた人物がまた隣だった。愕然。今回は袖本だったので音は煩くなかったが、こういう偶然はあるのだなぁとげんなり。世間は狭い。

 


こぎつね丸