観能雑感
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2005年07月16日(土) 英国ロイヤル・バレエ団 2005年日本公演 『マノン』

英国ロイヤル・バレエ団 2005年日本公演 『マノン』 PM6:00〜 東京文化会館

 ギエムの全幕物を観るのは自分にとってこれが最初で最後の機会になるかもしれないと思いつつ、チケット確保。
 ロイヤル・バレエが『マノン』を日本で公演するのは今回が初めてのはず。ヨーロッパでは人気作品のひとつだが、本邦ではマノン・レスコーというファム・ファタルの知名度が今ひとつのためか、ほとんど演じられない。振付のケネス・マクミランとギエムはあまり上手くいかなかったようだが、彼女自身、非常に思い入れのある作品で、日本での公演を希望していた。それが今回やっと実現。
 この来日公演のもうひとつのレパートリー、フレデリック・アシュトンの『シンデレラ』もアリーナ・コジョカルでぜひ観たかったが、能楽座のチケットを購入してしまったので断念。貧乏・体力なしなので仕方がない。パンフレットの写真のアリーナはやっぱり激しく可愛かった。ぐはぁ。
 会場は大入の札が張られていた。四階席、舞台下手寄りの2列目に着席。見渡す限り満席。

マノン シルヴィ・ギエム
デ・グリュー  マッシモ・ムッル
レスコー  ティアゴ・ソアレス
ムッシュー G.M.  アンソニー・ダウエル
レスコーの愛人  マリアネラ・ヌニェス
マダム  エリザベス・マクゴリアン
看守  ウィリアム・タケット
乞食のかしら  ジャコモ・チリアーチ

指揮  グラハム・ボンド
演奏  東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団

 第1幕、旅館の中庭、いろいろな人々が入り混じった喧騒の中、馬車が到着してマノンが現れる。このとき、謂わば民芸の中にひとつだけ交じった白磁のごとく、周囲から歴然とした差でもって際立っていなければならないのだが、まさにそのとおり。衣装もマノンと後に現れるデ・グリューだけが白でそれ以外の登場人物は茶系がほとんどと、視覚的にも意識されている。ギエム本人はクールな大人の女性だけれど、いかにも物慣れない可憐な少女のように見える。素晴らしいマホガニー色の髪は結い上げられていた。デ・グリューと初めて出会う場面、完全に自分達だけの世界に入って見つめ合う。しかし、周囲ではマノンに興味を示す、老紳士、兄のレスコーは同じく彼女に興味を示すムッシューG.Mに取引を持ちかけたりと、不穏な空気が充満。マノンは生来の媚態を身につけていて、自分に対する視線を意識しつつも、お構いなしにデ・グリューとその場を後にする。修道院に入るためという当初の目的からすると唖然とする行動。デ・グリューも神学生なので二人は二重に背徳的。ムッルのデ・グリュー、若い情熱が否応なしに迸るという感じ。
 次の場面はデ・グリューの部屋。父に手紙を書いているデ・グリューをマノンが邪魔して、刹那の喜びに身を任せる。若さのみがなし得る、後先考えない疾走感が甘美に表現されていて、第3幕とともに印象的な場面だった。マスネの音楽が瑞々しさととともに、僅かに見え隠れする不安定さも表現。デ・グリューが出かけると同時に兄とムッシューG.M.がやって来て、彼女に毛皮と宝石を与える。戸惑いつつも、取引に応じるマノン。ギエムは、納得ずくで自らの欲望い正直に従ったという意思的なマノン像を見せた。
 第2幕、高級娼館でのムッシューG.M.のパーティー。あからさまな欲望が渦巻く中、G.M.と供に豪華な衣装に身を包んだマノンが登場。かつての初々しさは影を潜め、贅沢な暮らしを楽しんでいる様子。金持ちの男たちの好色な視線も、それを受けるのが当然といった態。ここでは男性数人とギエム一人のアクロバティックな踊りがあるが、互いの関係性を示唆していると思う。そんなマノンもデ・グリューの真摯な瞳の前に立つと、相手を見返せなくなる。デ・グリューの踊りは比較的古典的な王子の振付に近い物が含まれていて、それがこの場で彼一人他の人物達とは異なる価値感の持ち主であることを象徴している。マノンに唆されてG.M.相手にカード賭博を行うも、いかさまがばれて二人で逃げ出す。次の場面は再びデ・グリューの部屋。緊張感なく旅支度を整えているところに憲兵とムッシューG.M.がレスコーを連れて踏み込んでくる。レスコーはその騒ぎの中でG.M.に撃たれて死ぬ。
 第三幕、港では娼婦達が流刑地であるアメリカ行きの船に乗り込もうとしている。陰鬱な踊りが展開。そこへマノンとデ・グリューが到着。ギエムは短く刈られた髪のウィッグに、ボロボロの服。彼女も売春のかどでルイジアナへ流刑になる。逃げ込むように船に乗り込み、その後をデ・グリューが追う。次の場面は看守の部屋。すでに病み衰え、ぐったりしているマノンを看守が辱める。そこにデ・グリューが現れ、看守を殺す。二人は湿地帯へ逃げ込む。これまでの出来事が走馬灯のように流れて行く中、二人は最後の時間を激しく燃焼させ、ついにマノンは息絶える。一番体力的に苦しいところに来るこの非常に激しい踊りだが、よろめきつつも、命の炎を燃やしつくしたという感じ。圧倒的な迫力を持って迫ってきた。

 全体的に、当たり前と言えば当たり前だが踊りの質が高く、群舞にも隙がない。個人的にはマノンの兄、レスコーが好演したと思う。精力的な小悪人を小気味よく演じていた。ムッルは長身のギエムと並んでもバランスが良く(そうでなければ彼女のパートナーは勤まらないと思われる)、丁寧かつ情熱的な踊りだった。ギエムの踊りの完璧さについては今更言うまでもない。役に対する深い解釈をしつつも、表出するのはあくまでもさらっとした質感という印象を受けた。勿論素晴らしい出来であることに異論はないが、モダンの方が彼女の持ち味はより生きるような気がする。

 マノンというのは都会に咲く徒花である。純真な愛も欲しいが豪華な暮らしも捨てられない。デ・グリューを何度も裏切る。デ・グリューも神学生でありながら、一人の女性へ耽溺し、そのことに対してあまり疑問を持たない。謂わば破れかぶれな者同士の悲しい末路の話であり、作品としての完成度の高さは認めつつ、今ひとつ好きになれない理由は、こんなところにありそうである。観終わったときの印象が、爽やかでもなければカタルシスもないのだ。そこが魅力なのかもしれないが。

 ギエムというのは本当に完璧な肢体の持ち主だとしみじみ思う。長くまっすぐに伸びた足の美しさよ。見た目だけでなく、細くて強靭な筋肉という、ダンサーなら誰もが欲しがる資質も備えているのだから、こちらはため息とともに見つめるしかない。
 昨年の来日公演はチケットを取り損ねて観られなかった。秋には日本で最後のボレロを踊る公演がある。プレオーダー、当選していればよいのだが。


こぎつね丸