観能雑感
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2005年07月07日(木) 能楽座自主公演 ―追悼・一噌幸政― 

能楽座自主公演 ―追悼・一噌幸政―  国立能楽堂 PM6:00〜

 毎回豪華出演者が揃う能楽座公演。興味はあれど開演時間が早く、諦め続けてきたが、今回幸政師追悼ということで思い切って出かけることにした。
 幸政師が舞台から遠ざかっていった時期と私が能楽堂に足を運び始めた時期が一致しており、残念ながら実際の舞台で師の笛を聴いたのは2回のみである。番組に名前があっても代演だったことが何度かあった。最後の機会でもこちらの体調が非常に悪く、薬の副作用もあってほとんど記憶にないという情けなさ。残念ながら、そういう縁だったのだろう。それでも、師の笛は録音も残っているので有難い。
 週明けから口唇ヘルペス発現、翌日に胃痙攣で身動きとれずと、疲労が重なっているのか体調悪し。当日は仕事を早めに切り上げて会場へ向かう。平日夜の自由席は労働者にとっては辛いので、指定席である正面席のチケットを購入したが、何と階の正面、ほぼ舞台中央に相対する良い席でびっくり。前列だったが、自分としてはもう少し後ろで観る方が好きである。これは贅沢な繰言。
 当日手渡されたパンフレットに個人を悼む手記が載せられており、山本東次郎師の手になるものは大変興味深かった。幸政師が塩化ビニールの水道管で能管を自作し、申合せの際使用しても誰にも気付かれなかったという仰天エピソードが語られている。故人の笛に対する純粋な想いを随所に表した文章だった。
 
 席に座ってパンフレットなど読んでいると、突然隣の席の方から「この会はいつもこんなに空いてるの?」などと話しかけられた。会場を見回してもそこそこの入り。開演時間にはまだ十数分ある。「よく入っている方ではないでしょうか」と返答すると「これで?もうすぐ開演なのに?困るじゃないの」と、まるでその方にとっては悪いと感じられた客入りが私のせいだと言わんばかり。妙な人の隣になってしまったなぁと、後は適当に返事をしつつ、開演時間を待った。さらに吃驚だったのは、休憩時間をはさみ、その方がいなくなると同時に今度は若い女性がその席に座り、偶然目に入ったチケットの座席番号は、まさにその席を示していたこと。つまりその方は他人の席に堂々と座り続けていたのである。開演前は正面席が指定席だと気付かずに座っていた方々がいらっしゃったが、事前に気付いて移動していった。世の中、恐ろしいことばかりである。
 見所は勿論満員にて開演。

舞囃子 『巻絹』   大槻 文蔵
笛 藤田 六郎兵衛(藤) 小鼓 曾和 尚靖(幸) 大鼓 山本 哲也(大) 太鼓 観世 元伯(観)

 地謡は観世榮夫師を地頭に、銕仙会を中心に構成。文蔵師の舞姿は流麗だが、身体そのものの強さには欠ける。一本通った軸のようなものが感じられず。藤田流の笛は相対的に聴く機会が少ないが、装飾音が多いという印象。いつも思うが、吹いているときの表情や体格だけ見ていると六郎兵衛師、ものすごく大きな音を出しそうだが、実際は違う。細くて繊細な音。大小は関西勢。普段聞きなれている音と比較すると、ゆったりした印象。山本哲也師は初見だが、前から密かに思っていたことが確信へと変わる。・・・顔が怖い・・・。しかし、私は強面の方が羨ましい。

一調 『三井寺』
謡 粟谷 菊生
小鼓 大倉 源次郎

 菊生師は声が出し難そうだが、聴かせる。小鼓は通常使用しない音も出すのが一調ならでは。一調の奥深さを味合う程の観賞力は持ち合わせていないけれど、小鼓、面白みには欠けるような気がした。

小舞 『住吉』  野村 万作
 地謡は萬斎師を地頭に3名。各々の声がはっきり識別できるくらいに聴こえてくるのはどうなのだろうか。折り目正しい舞振りは素晴らしくも、少々息苦しさを感じた。

舞囃子 『卒塔婆小町』  片山 九郎右衛門
笛 一噌 仙幸(噌) 小鼓 曾和 博朗(幸) 大鼓 山本 孝(高)
 
 梅若六郎師を地頭に、主に梅若系で構成された地謡。九郎右衛門師の声を聴いて、改めてこの方の謡は良いと実感。立ち姿そのものに力があり、身体を縦に貫く軸の存在が感じられる。ただ体を右に捩る、それだけでも表現として確立していた。二つの意志が混在し、突き動かされる体をどうすることもできずに翻弄される様から、下居の後立ち上がった時は、文字通り憑き物が落ちた態。浄化された空気を纏って終曲。囃子も充実しており、舞囃子の中では本日最高の出来。

独吟 樂阿弥  茂山 千之丞
 狂言方の独吟を聴くのはこれが初めてだと思われる。この方ならではの伸びやか声で、力みのない謡振り。

仕舞 『鐵輪』  近藤 乾之助
 足の具合は悪いながらも、それを自然のものとして身体を再構成したかのよう。立ち姿の緊張感と強さは、観ていて嬉しくなってくるもの。決して生々しく表出しないが、だからこそ内に溜めた怒りがじんわりと伝わってきて、一瞬寒気を感じる。後妻打ちでは何もない筈の空間に女の黒髪が現れ、三十番神に取り囲まれた時は、その姿は見えずとも、圧迫感が如実に迫ってきた。見事。

一管 『獅子』  藤田 大五郎
 裃姿で登場した大五郎師。吹き始める前に、故人のことを一瞬想起したのではないかと思えるような間があった。最初の音を聴いた瞬間から何故か涙が出てきて戸惑う。この方は決して枯れない花を体得したのだと思う。残念ながら、この音を表現する言葉を、私は持たない。笛方として前人未踏の地に一人で立ち続けるこの方に、敬意を払わずにはいられない。

舞囃子 『弱法師』 梅若 六郎
笛 一噌 隆之(噌) 小鼓 観世 豊純(観) 大鼓 安福 光雄(高)

 地頭は大槻文蔵師に、銕仙会、梅若系の混合地謡。紋付姿にもかかわらず、盲目で手に持つ杖のみで世界を感知せざるを得ない者の心細さが如実に伝わってくる。弱々しいとは絶対に言えない体格の六郎師ではあるが、常座に立ったときの寄る辺ない様、孤独な姿に胸を突かれた。正に芸の力。

仕舞 『雲雀山』  宝生 閑
 
 地頭を欣哉師、他2名。ワキ方の仕舞を観るのは今回初めて。今後もそうはないであろうと思われる。物語の情景が浮かんでくる舞振りであった。退場時、舞手と地謡の動きが完全にシンクロしていて、感心。

一調一管 『唐船』  近藤 乾之助
笛 一噌 幸弘
太鼓 金春 惣右衛門

 乾之助師は助吟に金井雄資師を伴って登場。幸弘師は珍しく緊張した様子で、吹き始めの音が若干揺らいだがその後はいつも通り。気合の入った、充実した演奏ではあったが、そもそも舞いであるという点を考えると、若干の疑問が頭を過ぎった。

独吟 狐塚小歌  茂山千作(千五郎代演)
 
 千作師は怪我のため休演。心配である。千五郎師は熱演と言っていいのだろうが、仕事歌であることを考えると少々力み過ぎではなのかと思った。

半能 『融』舞返 思立之出
シテ 観世 榮夫
ワキ 福王 茂十郎
笛 松田 弘之(森) 小鼓 観世 新九郎(観) 大鼓 安福 健雄(高) 太鼓 三島 元太郎(春)
地頭 梅若 六郎

 ワキは小書により下歌、名ノリ、上歌、着キゼリフの順に謡う。ワキ座に着いたたらすぐに後場の待ち謡に入り、シテが登場。
 茂十郎師の弊で場の形成能力があまりなく、半能になるとそれが顕著になってしまった。シテは白狩衣に紫指貫、初冠。面は中将だと思われるが、妙に白く、何だか間の抜けた表情で、何故この面を選択したのかと疑問に思う。もっとも、個人的な印象に過ぎないので、当然異なる意見もあろう。舞は小書付きのため、常の五段早舞にクツロギが入り、さらにテンポが速まった五段が追加されたと思われた。残念ながら、舞の舞手としては榮夫師にあまり魅力を感じなかった。よって興味は囃子そのものに移ってしまう。研ぎ澄まされた音色、力強く、しかし決して突出しない笛の音に聴き入る。普段は中正面で観ることが多いため、笛方の様子を正面から見ることが少ないが、こうして見てみると、松田師は全身でシテの行き方を感じとろうとしているのがよく解る。主張はある、しかし決して独りよがりにならないこの方の笛の在り様は、こんなところに現れているのかと思った。小市民であるが故に、舞台を観つつも様々な考え事が浮かんで来てしまうこともあったのだが、この時間だけは音に没頭した。このまま時間が止まってしまったらいいのにと思った。無論、そんなことは在りえない。
 この『融』と言う曲、追善にはいかにも相応しい。

 何とも贅沢な時間だった。楽しい時間はすぐに過ぎてしまう。

 戦後の混乱、流儀内の事情、あまり恵まれなかった健康等、幸政師を取り囲む状況は時に非常に過酷であったと思われる。今は様々な重荷から解放されて、ただのんびりと笛を吹いていてくれらと思う。生者の都合のいい思い入れに過ぎないことは承知している。しかし、そう願わずにはいられない。


こぎつね丸