観能雑感
INDEX|past|will
銕仙会7月定期公演 宝生能楽堂 PM6:00〜
野村四郎師の『野宮』観たさにチケット購入。見所はほぼ9割程度の入り。脇正面後列に着席。 夏の能楽堂の冷房がかなりきついことは体験上熟知しているので、必ず長袖を持参するが、本日は防御を上回る攻撃を受けてしまった。とにかく寒い。足の下から忍び寄ってくる冷気、カーディガンなどものともしない低温。これまで経験した中で、もっとも冷やされた見所だった。
能 『野宮』 シテ 野村 四郎 ワキ 森 常好 アイ 山本 泰太郎 笛 藤田 大五郎(噌) 小鼓 鵜澤 速雄(大) 大鼓 柿原 崇志(高) 地頭 山本 順之
シテは薄黄に樺色の段織唐織、面は是閑作の増。全身が微かに揺れているようにも見えたが、気になる程ではなかった。沈んだ調子の次第、サシから一変して、僧の問いかけには有無を言わせない強さで応対。ただの里女ではないことを窺わせる。クセのあたりで不覚にもやや半覚醒状態となってしまった。正体を示して中入。 間語、語調の強さが曲趣を削ぐように感じられた。 後シテ、紫長絹に緋大口。車争いの場面は淡々とした中に無念さが滲む。序之舞、面の表情がだんだん若返って、少女のようになっていった。まるで、源氏と出会うより遥か以前の、愛憎や恋慕、嫉妬や諦観、そんな様々な感情とは無縁だった頃こそを懐かしんでいるかのように思えた。続く破之舞は、身にまとわりついた想いを振り落とすかのように、激しく、しかし鳥居の前に立ち、足を出し入れする所作には、成仏への憧憬と、しかし結局それは適わぬ願いなのだと俯く姿が見て取れた。あるがまま、車に乗り静かに去って行くシテの姿を見送りつつ、終曲。 今回は適わぬ願いを抱きつつ、それでもいいと静かに佇む御息所であった。勿論、演者の心の内など観る側は知る由もなく、またそれで良いと思う。見所に座っている間は、かなりいろいろ思考を廻らしつつ観ていたつもりだったが、しばらく時間を置くと、不思議と残っている物が僅かであることに気付く。本当に、能は一言では言い表せず、だからこそ面白くてこうして何度も足を運んでしまう。 橋掛りが近いため、大五郎師が出て行く時と帰ってくる時の様子がよく見えた。頭で考える以前に足が動いてしまうという態で笛座目指して歩んでいく後姿に、畏敬の念を抱く。衰えたりとは言えども、音そのものが持つ強さは、決して失われないものなのだと思った。本日の囃子は充実していて、耳を傾けているのが嬉しかった。地謡も健闘。 橋掛りを帰って来る大五郎師に、普段はしない拍手を送っていた。
一番目の後の休憩時間は5分と短いので、普段はせいぜい足を伸ばしにロビーへ行くくらいなのだが、本日は体が冷え切ってしまったため、止むを得ずトイレへ。同様の人、多数。あちこちで寒さを訴える声が聞こえてきた。運良く開始前に見所へ戻れた。
狂言 『箕被』 シテ 山本 東次郎 アド 山本 則孝
夫は連歌狂い。ほとんど家にいつかず、帰って来たと思ったら連歌の会を催すから酒食の用意を整えろと妻に命ずる。日々の糧にも事欠いている現状を省みない夫の言葉に、妻は離縁を申し出る。止む無く同意した夫。離縁の証の品を渡そうにも、何もなく、手近にあった箕を渡し、それを被いて出て行く妻。その姿に興を覚えて思わず歌を詠み、それに妻が付ける。結局連歌が縁で寄りを戻すことになった。本日初見の曲。
自分には過ぎたことだと思いつつ、どうしてもやめられない連歌。東次郎師の後姿には生活感漂う哀愁があった。妻が実家に帰ると言い出すのも他に手立てがないからで、互いに相手を疎ましく思っているわけではないため、別れの際も双方どことなく釈然としない風。妻の後姿に興を覚えてつい歌を詠んでしまうところは、謂わば習性。ここで返さないのは後の世に差支えると夫の歌に付ける妻の姿は凛々しく、夫ならずも惚れ直してしまうと思う。盃を交わしつつ、こうして二人で連歌をして仲良くくらして行こうと誓う。家で連歌をしていれば、余計な出費も防げ、一石二鳥というところだろうか。身近な人であっても、意外と知らないことはあるものである。不器用な中にお互いを思う気持ちが隠されていて、可笑しくも温かい気持ちになれた。楽しい時間だった。
能 『車僧』 シテ 浅見 慈一 ワキ 舘田 善博 アイ 山本 則秀 笛 松田 弘之(森) 小鼓 鵜澤 洋太郎(大) 大鼓 柿原 光博(高) 太鼓 助川 治(観) 地頭 観世 銕之丞
天狗が僧を魔道に落とし入れようとして失敗する話。作者未詳。本日初見 車の作り物が脇座に置かれる。曲中の僧は車に乗って諸国を遍歴している。舘田師のワキを観るのは今回初めて。ひょっとすると、ご本人も初めてなのかもしれない。天狗の仕掛けてくる問答にまったく動じず、それどころか帰って混乱させるふてぶてしい様子がよく出ていた。 慈一師のシテも本日初見。前シテは山伏装束に直面。意外にと言っては失礼だが、堂々と、しかし怪しい様子でこちらも好演。結局山伏、実は愛宕山の天狗太郎坊は業を煮やし、自分の庵室に訪ねて来いと言い捨て消える。来序で中入。謂わば子分である溝越天狗が登場し、なんとか僧を笑わせようと滑稽なしぐさをするが、僧は無反応。ワキ方にとっては、笑うのをこらえるのがなかなか大変らしい。 大ベシに乗って後シテ登場。袷狩衣、白大口、黒頭、大癋見。手には団扇。この大ベシが実に颯爽としていてカッコいい。冬の冷たい空気の中を悠然と滑空している感じ。 太郎坊は僧に雪の中、車を走らせてみろと挑むが、僧は法力でやすやすと実行。車を動かすには牛を打たねばだめだとの僧の言葉に太郎坊は惑うばかり。結局仏の力には適わないと退散する。後シテ、もう少し大きく動ければ良かったと思いつつ、後場の二人の対決も面白かった。若手の健闘は観ていて嬉しいものである。地謡も、銕之丞師の直球な重量感が曲趣に合っていたのではなかろうか。
こぎつね丸
|