観能雑感
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第17回 二人の会 十四世喜多六平太記念能楽堂 PM1:30〜
観て決して損はしない会なので、今年も出かける。見所はほぼ満席状態。脇正面前列補助席に着席。
能 『花筐』 シテ 塩津 哲生 子方 内田 貴成 ツレ 佐々木 多門 ワキ 宝生 閑 ワキツレ 宝生 欣哉、梅村 昌功、大日方 寛 笛 松田 弘之(森) 小鼓 北村 治(大) 大鼓 柿原 崇志(高) 地頭 粟谷 菊生
橋掛りで使者から皇子の天皇即位を告げられ、それとともに手紙がシテへと手渡される。シテの発する第一声は曲の成否を左右しかねない重要なものだが、これが実に見事。落胆と自分に対する気遣いに喜ぶ気持ちが混ざった複雑な感情を、品位ある女性の態で表現し、今後への期待がますます高まる。菊文様入唐織に、面は増。本舞台に入り、正中で手紙を読み上げていく、そのやや俯いた表情は高貴さと憂いを湛えて、こちらはただ見入るばかり。出来の良い舞台では、面が役者本人に一体化し、生きているかのように表情を変えるが、今回まさにその状態。渾身の力を込めて舞台に立つという点で、現在この方が随一だと思われるが、それでいて実に優美な女性振りなのは何とも不思議。シテは喪失感を抱えつつ中入。送り笛がその哀しみを過剰になることなく際立たせる。 続いて天皇一向が登場。子方は4歳前後といった様子で体も小さく、鬘桶は常に使用するものの半分くらいの高さ。 ツレを伴い一声でシテ登場。片脱ぎした唐織は前場のものとは異なっていた。ツレの小面がとても可愛らしいのが印象的。シテとの同吟のバランスも良く、手にしていた花筐をワキに落とされてしまうときも、「あっ」という形に口が動いたのではないかと思えるくらい面が生き生きとしていた。下居姿も緊張感を保っていて気持ちがいい。 シテの充実振りは後場になっても変わらず、発する声、動きのひとつひとつ、どれを取っても気を逸らさせない力が漲っていた。今は即位し継体天皇となった皇子を物狂いの身になっても追ってくるという情熱、高貴さは決して失わず、しかし同時に艶とした空気も含んだ実に魅力的な女性が眼前にあった。廷臣の要請で狂う様を見せる李夫人のクセは、劇中劇と言ってもいいくらいの完成度。 やがて狂女は照日ノ前だと認められ、天皇一行とともに去って行き、終曲。 長い曲だが漫然としたところがなく、あっと言う間に時間が過ぎて行った。塩津師は心身ともに充実している様子。こういう舞台に接すると嬉しくなる。勿論、しっかりと丁寧に謡われた地謡が一曲を支えたことは言うまでもない。
蛇足に類する点ではあるが、子方には少々はらはらさせられた。登場時からなんとなく雲行きが怪しかったのだが、クセの前あたりで限界が来たのか、泣き出してしまったのである。後見であり恐らく父親である内田成信師が終始付きっ切りで、時に実に怖い顔で時折何かささやいていたのだが、双方同じ方向を向いているため子方にはその表情は目に入らなない。入っていたらもっと激しく泣いていたのではないかと思えるほどに、怖かった。子供といえども舞台の上では役者の一人である。こういう事態の発生は、無論ないほうがいい。 片や我を忘れて狂う美女、片や己の悲しみに身を任せるお子様。何とも不思議な光景であった。 退場し、幕内から「ありがとうございました」という元気な声が漏れてきたときは、思わず笑ってしまった。周囲にも同様の方散見。
狂言 『樋の酒』 シテ 山本 東次郎 アド 山本 則重、山本 則俊
それぞれ米蔵、酒蔵に閉じ込められた太郎冠者、次郎冠者。主には下戸だと思われている次郎冠者だが、早速ためらいなく酒を飲み始めるのが面白い。則俊師のしれっとした様子がさらに可笑しさを誘う。東次郎師の動きを見ていると、何もない空間だが、高い壁越しに話をしているのがありありと伝わってくる。以前観た和泉流では橋掛りと本舞台に分かれての演技だったが、舞台中央に並んでいた。互いに謡いつつ酒を飲み、楽しい時間を過ごしているところに主が帰宅。最初は白を切る太郎冠者も、樋を使って酒を飲んでいたことがばれ、それでも慌てないところがいい。 思えば当時酒はかなりの高級品。こんな機会にこっそり飲まなければ、思うさま味わうことなどできなかったに違いない。主従の攻防は、いろいろな家で繰り広げられていたのかもしれない。 気持ちの安らぐ、良い時間だった。
能 『正尊』 シテ 香川 靖嗣 子方 高林 昌司 シテツレ(源義経) 佐々木 宗生、 (江田 源三) 粟谷 浩之、 (熊井 太郎) 井上 真也、 (姉和 光景) 友枝 雄人、(正尊郎党) 粟谷 充雄、大島 輝久、松井 俊介、塩津 圭介、佐藤 寛泰 ワキ 殿田 謙吉 アイ 山本 則秀 笛 一噌 隆之(噌) 小鼓 鵜澤 洋太郎(大) 大鼓 亀井 忠雄(葛) 太鼓 観世 元伯(観) 地頭 友枝 昭世
本曲の起請文も重習いのひとつ。シテは本日が披き。 土佐坊正尊が義経の命を狙っているらしいとの情報に、正尊一行の宿舎を訪れる弁慶。揚幕前でのやり取り、敵意を明確にして詰め寄る弁慶に対し、ふてぶてしいまでに知らぬ存ぜぬを決め込む正尊の対比が面白い。金入沙門帽子に黒水衣の取り合わせがいい。義経の前に引きずり出されてもそれは変わらず。今回の上洛は熊野詣であると言い張り、起請文を読む。心憎いまでに落ち着き払って淡々と読み進めるシテ。この場にいるということ事態が捨て駒を意味するのだがら、己の行き先を見定めているという点で、心の内は義経一行よりも遥かに穏やかなのかもしれない。それを背後から見つめるワキ、少しでも怪しい様子があったらただではおかないというような鋭い視線。結局嘘とは知りつつも、あまりの見事な出来栄えに、義経は酒宴を披き、静が舞を舞う。シテは中入。義経一行のツレは物着。ワキ方の後見が二名後見座に現れ、ワキも物着。手際よくかつ慎重に装束を着付けていく欣哉師の姿は滅多に見られないものなので、つい観察してしまった。弁慶は山伏姿から法被に紗門帽子へ。 正尊一行が一声で橋掛り登場。シテは長刀に長範頭巾。それを迎え撃つ義経も片脱ぎ。ワキ方後見が大小の間から長刀を出し、そこをすり抜けてワキの装束を直していた。初めて目にする光景。小柄な欣哉師だから難なくこなしていたが、双方が逆だったらこうはいかないのではないかと思ってしまった。 そしていよいよ本曲最大の見せ場である斬組が開始。かつて観世流で観たときは、あくまでも劇中の表現であるという範囲を出るものではなかったが、今日は本物の殺気のようなものが漲っていた(実際に殺気などというものを体感したことがないので、あくまでも喩えではあるが)。役者の目が、大げさに表現すれば殺意を孕んでいて、恐怖を感じるくらいだった。斬り合った後に階の一段目に足を付くという型あり。この後大島輝久師は切りかかってくる刀を前転して飛び越え切戸から退場。一連の動きが淀みない。仏倒れも溜めることなく、一気に倒れて行って豪快そのもの。欄干越えの後橋掛りで仏倒れという荒業も出た。これは一番若くて軽い塩津圭介師。最後に一人残った家来、友枝雄人師扮する姉和。橋掛りに一人残って名乗る姿は実に堂々としていて、大将討たせじと弁慶に切りかかってくる。迎え撃つ殿田師も真剣そのもの。結局敗れて飛び安座の後退場。鮮やかだった。とうとう正尊と弁慶の一騎打ち。最初は得物を使用していたが、遂に素手で組み合う。本気で相手を倒したいというような、切迫した様子。大迫力。結局正尊は捕らえられ、義経の郎党に引きずられて橋掛かりを退場。終曲。 元気な若手がいる流儀ならではの、臨場感たっぷりな斬組を堪能した。その点では今日の席は最適。ワキの殿田師の好演も光った。 隆之師の笛、お調べから元気がなく、先行き不安である。
どちらの曲も見応えがあり、流儀の充実振りが窺えた。このような舞台に接するのは、本当に嬉しい。楽しい1日だった。
追記:『花筐』のシテの面は小面であるとの指摘を頂戴した。面の種類を書く時は、実は毎回かなり悩んでいる。境界が曖昧なものも少なくなく、また流儀によって同種に分類されるものでもかなり印象に差があるというのは、一鑑賞者としての実感。 記述はできるだけ正確を期したいと思っている。何と言っても自分にとっては大切な記録である。が、研究者でもなければ演者側の人間でもない我が身の知識は、残念ながらごく限られたものである。今現在の自分にはこう見えたという、それ以上の事は決して書けない。よってこのような間違いはこれまでに多々あるだろうし、これからも数多くあるだろう。それでも、私は良き観賞者になりたいと常々思っている。道は遠く険しいが、その過程も楽しみたい。 って、ここに集積してある駄文の全てが何もかも誤りだったりするかもぬるるるるるるるる。
こぎつね丸
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