観能雑感
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『フィガロの結婚』 新国立劇場 PM6:30〜
今回は『フィガロ』と『コジ・ファン・トゥッテ』の上演。両方とも行きたかったがそうもいかず、『フィガロ』を選択。耳に馴染んだオペラだが、実際に舞台で観るのは初めて。もっと、私が劇場で観たオペラの数などごく僅かなのだが。4階席、前から2列目、上手寄りに着席。下の方はほとんど見えないので良くわからなかったが、空席はところどころあった模様。オーケストラ・ピットも隠れてしまうので、開演前に身を乗り出して見る。
指揮 平井 秀明 演出 アンドレアス・ホモキ 美術 フランク・フィリップ・シュレスマン 衣装 メヒトヒルト・ザイペル 照明 フランク・エヴァン アルマヴィーバ伯爵 ヴォフフガング・ブレンデル 伯爵夫人 エミリー・マギー フィガロ マウリツィオ・ムラーロ スザンナ 松原 有奈 ケルビーノ ミシェル・ブリート マルチェッリーナ 竹本 節子 バルトロ 妻屋 秀和 バジリオ 大野 光彦 ドン・クルツィオ 中原 雅彦 アントーニオ 晴 雅彦 バルバリーナ 中村 恵里 二人の娘 三浦 志保、小林 昌代 合唱 新国立劇場合唱団 管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
舞台の床は台形上になっていて、それにあわせて壁が作られ、奥に行くにしたがって狭まっている。白い壁に取り囲まれた部屋には同じく白っぽいダンボールのようなものが置かれ、調度はほとんどない。引越ししたてなのか、それともこれから出て行くのか、落ち着かない雰囲気。登場人物たちの衣装は極めてシンプルで全てモノトーン。セットは曲が進むにしたがって解体していく。 フィガロは当初音楽に後れ勝ちで、スザンナは声量乏しく、さらに声にも歌にも表情というものがなく、そそれがレチタティーボになるとさらに顕著になる。これでは堪らないと思ったが、時間が経つに従って徐々に解消、第4幕の『恋人よ早くここへ来て』は、愛する人へのひたむきな愛情と優しさがこもっていた。 アルマヴィーバ伯爵は、残念ながら一本調子な歌い方で、訴えかけてくるものがない。それゆえか、オーケストラの静かに語りかけてくるような音が引き立った。二人の男性主要キャストがいまひとつなのに対し、断然光を放っていたのが伯爵夫人役のエミリー・マギー。第3幕(?)の、失われた愛と我が身の境遇を嘆くアリア(タイトル不明)は秀逸。情感豊かに、しかし決して過剰ではなく、丁寧な歌唱に好感度大。終幕後のブラヴァは彼女にこそ捧げたかった。 第3幕にある婚礼のシーンはカット。音楽のみ流れて隣室で婚礼が行われている態を取っているのだろうが、ストーリの流れの大きな転換地点であるので、あった方が良いと思われる。でないと、続く庭園の場面への移行が不自然になる。実際、舞台の流れを理解していても、頭で考えないと理解しずらかった。ただでさえ、この後は人物が入れ替わり、ややこしい展開になる。解りやすさのみを徒らに尊ぶ昨今の風潮には大いに抵抗を示したいが、製作者側の独りよがりは別次元の問題。バルバリーナがスザンナの手紙を留めたピンを落としてしまったと歌う『落としてしまった、どうしよう』の前に、伯爵が彼女を陵辱するシーンがあり、それからこのアリアへと続く。「失くしてしまった」がダブルミーニングになるという趣向だが、あざと過ぎの感あり。 第4幕では登場人物はほとんど下着姿。外見上の差異を極力少なくし、階級を取り払い、人間の本質を暴くということなのだろうか。となると、人物の入れ替わりは何故実現したのか。表面上を取り繕っただけで容易に騙される人間の愚かさの中に真実が見える、というのがこの場面の主題ではないのか。自分本位の登場人物達の中で、唯一俯瞰する視点を持つ伯爵夫人が歌う許しの歌と、続く全員の合唱が、舞台上の展開とすっきり合致せず、せっかくの美しい音楽が損なわれてしまったように感じた。
まだ音楽が完全に終っていない内に拍手が起こってしまい、興ざめ。無粋極まりない。すぐ後ろの人はずっと鼻をすすり続けていて迷惑。私はあくまでも音楽を聴きに来ているのだ。
メインキャストに魅力が乏しく、脇が健闘してもとりあえずこんなところかという出来。再度、エミリー・マギーを讃えたい。オケは健闘したと思う。
2幕目の終わりあたりでセットが急に傾いたが、あれは演出ではなく、アクシデントに見えた。
こぎつね丸
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