観能雑感
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2005年01月23日(日) 第14回 研究会別会

第14回 研究会別会 観世能楽堂 AM11:00〜

 初会のチケットを取り損ね、今年は新年に『翁』が観られないかもしれないと諦めかけていたといころ、この会で観られることを知り、チケット入手。
 自由席ゆえ早めに会場に着かねばならず、休日の午前中はゆっくりしていたい身には辛い。10:10くらいに到着。中正面後列脇正面寄り、舞台を縦に横切る通路脇に着席。9割程度の入り。

『翁』
千歳 北浪 貴裕
武田 尚浩
面箱 山本 則孝
三番三 山本 泰太郎
笛 松田 弘之(森) 小鼓 鵜沢 速雄、古賀 裕己、清水 皓祐(大) 大鼓 柿原 弘和(高)
地頭 谷村 一太郎

 お調べが終っても見所はざわついたまま。これから神事が始まるという緊張感に欠ける。前に座っている方が首を右に左に頻繁に動かすので、視界を遮られることおびただしい。周囲にどんな人が座るのかは自分ではどうにもできないので、毎回祈るような気持ちだが、はずれと出た。
 思えば、観世流の『翁』を観るのは今回が初めて。翁扇の定番である「蓬莱山図」がなんだか目新しく感じる。扇を顔近くに当て、反り返るような型はこれまで眼にしたことがないような気がする。洗練は感じるが、荘厳さや重厚さには欠ける印象。
 三番三が『揉之段』を踏み始めるやいなや、途中入場者が押し寄せる。話しながら見所を歩いていく人、空席に座ろうと前をすり抜けて行く人(足をどかさなければならない)、また荷物が後頭部に当たり、とてもではないが落ち着いて観ていられない。神事も何もあったものではないという感じ。
しかし、泰太郎師の三番三は若々しさと力感があり、気持ちが良かった。
 鵜沢速雄師はこのところ代演続きで心配だったのだが、久し振りにその鼓の音を聴けて満足。タイミングを合わせるためにコミを取る声は聴こえてこず、やはりその方がいいように思う。さらにお痩せになったようで、くれぐれもご自愛願いたい。
 松田師の『翁』を実際に舞台で聴くのは初めて。期待通り、荘厳さと生命力を併せ持った音で、ヒシギは雲間から顔を覗かせた冬の太陽を思わせた。

狂言『柑子』
シテ 山本 東次郎
アド 山本 則直

 名手が勤める小品はいいものである。主から預かった柑子を食べてしまった言い訳をもっともらしく話す、その語り口は軽妙そのもの。柑子を頬張る様子を見て、口の中に酸味が広がった。柑子は高級品だけれど、これほど見事な話術を披露されたら、私が主ならばお咎めなしにしたいところ。

仕舞
『高砂』   岡 久広
『敦盛』クセ   観世 芳伸
『羽衣』キリ  浅見 重好
『鵜飼』   観世 芳弘

能『砧』
シテ 寺井 栄
ツレ 関根 知孝
ワキ 村瀬 純
ワキツレ 村瀬 堤(番組に記載なし)
アイ 山本 則直
笛 一噌 仙幸(噌) 小鼓 観世 新九郎(観) 大鼓 安福 健雄(高)
地頭 武田 宗和

 人は変われど前列の方が頭を左右に動かすのは変わらず。さらに酷くなる。今日はとことんついていないらしい。
 遠くからゆえはっきりしないが、シテの面は曲見だろうか。心労のためか憂いを湛えつつも美しく、目を引く。若干クモラセ気味にしているのが、効果的。
 夕霧の挑発的とも取れる発言にも動じず、妻はあくまでも女主人としての威厳を保つ。内心不安で堪らないけれど、必死にそれを覆い隠している風情。砧の作り物は脇座に置かれる。観世流ゆえ、
地謡の「宮漏天高くして〜」は大小が手を止める。今年も帰らないという知らせに、これまで自分を支えてきたものが折れてしまったように、自失する妻。死んでしまうのは恨みではなく、希望が無くなったからであろう。ツレがシオル型はなし。知孝師、カマエが若干前屈みであり、下居姿も傾き気味。
 後シテの面は霊女か。それなりに充実した前場とうって変わって後場は退屈なものになってしまった。霊となった妻の姿があまりにも実体感を伴い過ぎており、ごく普通にそこに立っているように見えてしまう。夫への恋慕ゆえ、地獄の苦しみに身を置きつつ、それでも夫にひと目会いたいという、切実な思いが伝わってこなかった。残念。
 地謡、健闘しつつもどこか表面的。

仕舞
『老松』   谷村 一太郎
『梅』   野村 四郎
『松浦佐用姫』キリ   観世 清和
『須磨源氏』   武田 宗和

能『船弁慶』重キ前後之替
シテ 上田 公威
子方 木原 康太
ワキ 森 常好
ワキツレ 館田 善博、森 常太郎(番組に記載なし)
アイ 山本 則重
笛 寺井 宏明(森) 小鼓 大倉 源次郎(大) 大鼓 国川 純(高) 太鼓 小寺 佐七(観)
地頭 岡 久広

 とうとう睡眠不足のツケが来て、前場は半覚醒状態。小書付ゆえ静の舞は序ノ舞に替わる。途中から盤渉。橋掛りで義経をじっと見込む型があるが、相手が子方のため、静のやるせない心情がいっそう際立つ。
 弁慶と宿の主との問答の後、いよいよ船に乗船というところで、倒れるのではないかと心配になるくらいよくお休みだった常太郎師が目覚める。動きが一瞬遅れた。
 則重師の船頭振り、きびきびと気持ちが良いけれど、船を漕ぐ型から推進力が若干不足している。映像ではあったが、東次郎師の船頭では、船が滑るように進む姿がありありと想起できた。何にせよ、若手がひたむきに勤める姿は誠に清々しい。
 幕内からの呼掛けは不気味で、亡霊の登場を予期させるに相応しいものだった。半幕の後、登場。半切、法被、側次の全てが白で、品格の高さを漂わせる。黒頭に鍬形、それに若干小さめの烏帽子をかけていた。面は怪士か。弁慶が義経を庇護する様子が子を守る父親のようで、緊迫した場面ながら微笑ましかった。
 爽快さ、豪快さがもう少しほしかった。

 
 『翁』上演中の入場禁止は、あくまでも舞台上に翁がいる間に限ったことだそうなので、翁帰りの後は入場可能となる。しかし、せめて一曲終了するまで入場禁止にしても良いのではなかろうか。
『翁』に限らず、途中入場に関して能楽堂は無頓着過ぎる。国立能楽堂など随時係員が案内して来る。現状では、開演前に席に着き、静かに観るというごく当たり前のことをしている観客の方が迷惑を被っている。再考を促したい。


こぎつね丸