観能雑感
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2005年01月08日(土) 国立能楽堂普及公演 

国立能楽堂普及公演 PM1:00〜
 
 初会のチケットを取り損ねたため、新年最初の観能は、この普及公演。
 様々な重圧と慌しさは相変わらず。だましだましやってきた持病の具合も芳しくなく、出かけるのをためらうが、結局行く。チラシを確保するのには国立能楽堂が最適なので。
 9割くらいの入りか。中正面最後列、正面席寄りに着席。

解説・能楽あんない
『業平と高子の神代のこと』  馬場あき子

 『小塩』の背景となった高子の大原野神社への参詣についての話から、業平と高子の関係、当時の政治的背景の説明へ。特に目新しいことはないが、普及公演の解説としては適当なのではなかろうか。

狂言『筒小筒』(和泉流)
シテ 野村 又三郎
アド 野口 隆行
小アド 奥津 健太郎

 大和の者が八幡宮に参詣に行く。途中から河内の者と同行するが、捧げ物である酒を入れる容器を「竹筒(ささえ)」と呼ぶか、「筒(つつ)」と呼ぶかで言い争いになる。そこへ鳩の神が現れ仲裁し、御世を寿ぐ舞を舞う。
 今回初見の曲。『福の神』と同種だが、こちらの方が説教臭さがなく、個人的には好ましい。アドの二人は自意識と格闘するような重々しさがなく、淡々と進行して見ていてほっとする。狂言次第とともにシテの鳩の神が登場。頭に載せた鳩の立物が可愛い。又三郎師の柔らかく明るい言葉の響きと、身にまとった飄逸さが何とも心地よく、新春を飾るのに相応しい一番となった。

能『小塩』(宝生流)
シテ 佐野 萌
ワキ 江崎 金治郎
ワキツレ 江崎 敬三、松本 義昭
アイ 松田 高義
笛 一噌 隆之(噌) 小鼓 後藤 孝一郎(清) 大鼓 佃 良勝(高) 太鼓 観世 元伯(観)
地頭 三川 淳雄

 本曲を観るのは二度目だが、大分以前であり、また今以上に観慣れていなかったため、印象は薄い。金春禅竹作であろうと言われている。
 他流では前場では桜木、後場では車の作り物が出るが、宝生流はいずれもなし。
 危惧したとおり、シテの謡が聞き取り難い。広い国立能楽堂では尚の事。詞章を暗記していないと、何と言っているかをその場で理解するのは、ほぼ不可能ではなかろうか。続くワキとの問答、尋ねる方が興味があるから心底訊きたいのではなく、義務だから問うているように見えてしまう。シテがいかなる存在なのかを引き出すのがワキの役目だと思うので、これでは少々辛い。疲労のため、この辺りで大分眠気に襲われる。シテは正体をはっきり示さないまま中入。
 間語はかなり長い。厭味はないが、若干求心力に欠ける。
 後シテ、瓶覗の地に熨斗目花色の立涌文様、扇型の銀箔入り狩衣、桜色に梅鼠の文様入り(種類は不明)指貫、面は中将(前シテは小尉)。さすが昔男という出立。特にこれと言って引っかかるところなく進行し、序ノ舞へ。当初から気になっていた小鼓の掛け声の弱々しさが、舞事になるとさらに際立つ。大鼓も好みの問題かもしれないが弱く、囃子は調和に欠けた。シテもやや不安定で、途中立ちすくむような場面も見られた(気のせいかもしれないが)。
 「夢か現か世人定めよ」という印象的なキリで終曲。
 地謡は健闘したと言って良いと思うが、深みには欠ける。より一層の精進を期待。目指すべき手本があるということは、幸せである。
 
 無事に終了したのが何よりと言ったところか。
 


こぎつね丸