観能雑感
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2004年11月23日(火) 『エレクトラ』

『エレクトラ』 新国立劇場 PM3:00〜

 新国立劇場の年間スケジュールを見て、必ず観ようと思っていた。
 というわけで、ドラマティコが歌いまくるオペラである。
 2階舞台向かって右側ドアサイドに着席。ステージを若干斜めに見る形で、電光掲示板の字幕と舞台を同時に見るのがやや困難。
 1幕物で、父王アガメムノンの復讐を誓うミケーネの王女エレクトラの心理劇。R.シュトラウスの不協和音を駆使した音楽に乗せ、アリアやレチタティーボの区別なく登場人物たちは延々と己の心情を歌い続ける。
 舞台装置は簡素かつ効果的。緩い階段状の石の床が客席に向かって傾斜し、正面には黒い巨大な壁がそびえている。どちらにも流血の後が生々しく残り(特に壁のものはその面積ゆえか、非常に誇張されている)、すでに死亡しているアガメムノンの存在を常に印象付ける。
 まず登場する5人の下女によって、エレクトラの置かれた状況が語られる。父を殺害した母とその情夫エギストに報復する意志を隠さない彼女は、城内ではまるで野良犬のように扱われている。父を屠った斧を握り締め、復讐への決意を新たにする姿にこれほどまでに父を慕う理由はどこにあるのかと、訝しく思う。妹のクリソテミスは姉とは対照的に、子供を産み育てるという憧れを抱き、この場所から出ることを切望している。
 巨大な壁の内側に人影が映し出され、扉が開き、母のクリテムネストラが現れる。ぼろぼろの服を着たエレクトラとは異なり、母とその侍女たちはロココを取り入れた虚飾に満ちた服装。クリテムネストラはエレクトラに自分の悪夢について語る。エレクトラはその夢から開放されるには死あるのみと答える。その時使いが到着し、弟のオレストの死を告げる。母は狂喜し、エレクトラは悲嘆にくれる。クリソテミスに助力を求めるが、拒絶される。やがてその使いこそオレストその人だと明らかになる。オレストがクリテムネストラとエギストを殺害。復讐が遂げられた歓喜の中で、エレクトラは動かなくなる。

 キャスティングが良く、エレクトラ、クリテムネストラ、クリソテミスがそれぞれその役にふさわしい印象を伴った声だった。エレクトラの鋼鉄の響きを持つ声に対し、クリソテミスは柔らかさを伴った強いリリコ。常に死の不安に怯えるクリテムネストラは、どこか年老いた、苦渋の滲む声だった。
 復讐することが生の目的になったエレクトラにとり、オレストの存在は唯一の安らぎであり、また異性に対するときめきに似たものが表出する。男女間の愛を否定した彼女にとって許容できるのは、このような兄弟愛だけなのかもしれない。その兄弟も結局のところ男女間の愛から生まれたもので、復讐を誓った時からすでにエレクトラは存在する意味を自らなくしてしまったのだろう。原作者のホフマンスタールが述べたように、誠実さは重要だが、生きていくには忘却も必要である。生きるということはこの両者のバランスを取りつづけることで、一方に極端に傾斜した場合、待っているのは破滅なのだ。
 復讐に固執するエレクトラを疑問に思う反面、ではクリソテミスに共感できるかと問われればそうでもない。同じ状況に置かれたら、自分はエレクトラになりそうだと考え至って、我ながらびっくり。
 クリソテミスの「オレスト!」という叫びを聞きながらうずくまるエレクトラ。絶頂の中で息絶えた風で、これもある種の幸福と言えるのかもしれない。

 シンプルなセットで物語の中身に焦点が当てられ、歌手の力量がそれを過不足なく描き出した。特に主役はほぼ歌い続ける状態で、強靭なオーケストラに負けない声量と音程の正確さ(実に音が取りにくそうな旋律)、精神性、演技力が求められる難しい役だが、「ブラヴァ」と言うにふさわしい出来だった。
音楽は、単純な描写ではなく登場人物を描き分け、原始的な感情と言うのだろうか、深い地底から湧き上がってくる様な、そんな底知れなさを感じた。演奏は勿論悪くはないが、若干物足りなさを感じたのも事実。これは好みの問題であろう。

 毎度の事ながら、最後の音が鳴り響くやいなや拍手し、ブラヴォーと叫ぶ人は、音は聞こえているけれど音楽は聴いていないのだと思う。


こぎつね丸