観能雑感
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2004年11月06日(土) 谷本健吾独立披露能

谷本健吾独立披露能 宝生能楽堂 PM12:00〜

 見応えのある曲が並び、今最も多忙な笛方3名が揃うとあって、早々とチケットを確保。中正面最後列脇正面寄りに着席。仕事が忙しい上に風邪を引いてしまい観賞には不適な状態。
 
 今回、隣に座っていた男性があまりに酷かったので、観賞を妨げられること著しく、集中して観ることができなかった。1番目と2番目はほぼ完全に寝ていて、それは全くこちらが感知することではないのだが、鼾をかかれると話は違ってくる。うるさい。特に2番目は静かに進行する曲なのでいたたまれず、2度ほど靴の先を軽く蹴ってみたのだが、効果なし。3番目では起きていたのだが、起きたら起きたで膝を間断なく上下させ、つま先で妙な拍子を取り、手は膝の上でせわしなく動かし続け、ペンを持ったままパンフレットを音を立てて叩く。抗議しようと何度も思ったけれど、自分が声を発することで新たな迷惑源になることは本意ではないし、相手が抗議を素直に受け入れてくれるとは限らない。逆ギレされたらさらに大変なことになってしまう。相手が自分よりも若い女性だというだけで横暴な態度にでる人は、残念ながら存在する。思い余って座りなおす振りをして再度足を蹴ったがやはり効果なし。
 みなそれぞれチケットを購入して来ているわけで、その時間をどう使おうが各自の自由である。が、それはあくまでも他者に迷惑をかけない範囲内でのことだ。一人一人がそれぞれ周囲を省みず、勝手な振る舞いをすれば、見所は無法地帯になってしまう。
 観賞以前の問題に疲れ果ててしまった。勘弁してくれというのが正直な気持ち。以下、簡単に記す。

能 『清経』恋之音取
シテ 清水 寛二
ツレ 西村 高夫
ワキ 森 常好
笛 松田 弘之(森) 小鼓 柳原 冨司忠(清) 大鼓 亀井 広忠(葛)
地頭 野村 四郎

 ワキとシテツレのやり取りを見ながら、時代はまだ源平合戦が完全に帰着していない頃なのだろうなぁなどと、ふと考える。そうでなければ清経の妻は何事もなく都で生活していられないであろう。淡津三郎は戦線離脱で敵前逃亡ではないのかとも思うが、平家という一軍に属しているのではなく、清経に個人的に仕えているという意識ならば問題ないのだろう。まだ制度に奉仕する時代ではない。ツレの、妻である自分を置いて入水した夫を恨み、俯いた姿が頼りなげでかつ怒りも含んでいて秀逸。
 笛方が地謡前に進み出て、いよいよ音取が始まる。森田流の音取は今回初。一噌流と異なり、正面を向いたままではなく、橋掛かりの方を向いて座る。シテと対話しながらという感が強まる。譜としては一噌流の方が音の高低差が激しく、華やか。こちらはもっと素朴。どこか違う次元から聴こえてくるような、不思議な感覚に捕われる。まさに清経本人がかつて吹いた笛の音なのだろう。音の記憶を聴いているという感じ。静かに、時に高まり、いくばくかの間を空けながら続く笛の音は、官能の高まりとも、清経が置かれた苦境の吐露とも思え、決して派手ではないからこそ、心に響くものがあった。
 シテの面は今若。少年らしく見えたかと思えばひどく老成して見えることもあり、清経という人物の側面を浮かび上がらせていた。今生を儚み来世に救いを求める気持ちは個人としては共感するが、こういう人物が上級将校では戦争には絶対に勝てないよなぁとも思うのであった。私が兵士ならば、こういう上官は持ちたくない。
 それぞれの場面でアシライが効果的に響く。源氏の軍勢を恐れて逃げ惑う様や、船の舳先に立っていよいよ入水するという決意の瞬間など、シテの心情が音に息づいていた。見事。

狂言 『杭か人か』謡入
 
臆病な太郎冠者を残して外出する主。こっそり様子を見に戻ると、案の定他愛もないものに怯えまくる太郎冠者の姿があった。
 和泉流の他家では小書がなくとも謡が入り、曲は『三井寺』。野村又三郎家では小書が付かないと謡は入らず、付く場合は『俊寛』とのこと。
 野村又三郎師のゆったりした言葉の流れが好きである。やっと主人を送りだしてほっと一息といった、さり気ないところに気遣いを感じる。なんとか恐怖を忘れようとびくびくしながらの謡は見応え、聴き応え十分で、思わず笑ってしまう。様子を見に戻った主とのやり取りも可笑しい。ほっとする時間だった。

一調
『六浦』  観世 榮夫  太鼓 観世 元伯

仕舞
放下僧小歌  浅井 文義
松虫クセ  北浪 昭雄
玉之段  鵜澤 久

 鵜澤久師の身体の有り様は、性別を超越していると思った。揺るぎのない上半身を支える安定した下半身。海士が海に潜る瞬間を表現した直接的な型、両足が完全に空中にあってから着地するのにまったく音がせず、するりと水中に沈んでいく感じを実感。竜神から奪い取った玉を抱えて振り向く様子は母の必死の姿であった。来月初めて能のシテを観る機会があるので、楽しみ。

能 『卒都婆小町』一度之次第
シテ 観世 銕之丞
ワキ 宝生 閑
ワキツレ 殿田 謙吉
笛 藤田 六郎兵衛(藤) 小鼓 鵜澤 速雄(大) 大鼓 亀井 忠雄(葛)
地頭 観世 榮夫

 一度之次第の小書が付くと次第は小町が登場する一度だけ奏され、その後ワキが登場する形になる。
 シテの出、姿はどうも老女という感じがしない。謡がちょっと重過ぎるかなぁと思っているうちに薬のせいもあってかややボンヤリする。覚醒しても上記のような理由で集中しきれず。面にふとした拍子に浮かぶ表情が哀しげであった。
 藤田流の音は華麗だなぁと改めて思う。六郎兵衛師の笛、繊細な中にも芯が一本通っている感じ。後見には竹市師が付いていた。関西では言うに及ばず、東京の舞台もこのところ随分増えて、またぜひ聴きたいものである。

仕舞
笠之段  谷村 一太郎
実盛キリ  若松 健史
女郎花  野村 四郎

能 『石橋』
シテ 谷本 健吾
ワキ 宝生 欣哉
アイ 野村 小三郎、奥津 健太郎、野口 隆之
笛 一噌 幸弘(噌) 小鼓 北村 治(大) 大鼓 國川 純(高) 太鼓 助川 治(観)
地頭 浅井 文義

 上掛りなので前シテは童子。水衣の下の縫箔の模様が牡丹で、本性が垣間見える。絶句があったのが残念。何しろ隣がとんでもないので静かな前場がとてつもなく長く感じる。早く人間離れした(褒めてます)幸弘師の乱序と獅子が聴きたいと痛切に願う。何と言うか、厄払いをしてもらいたい気分だった。間狂言は通常一人のところ、野村又三郎家独特の形で仙人三名が登場。獅子の舞楽が始まる前に宴の席を設け、舞い謡うという風情のあるものなのだが、いかんせん長い。違う日に観れば楽しめたのだと思うが、これだけ盛り沢山で長大な番組を観てきた後では辛かった。40分近くかかっただろうか。乱序が始まったときは、正直ほっとした。
 一畳台は正先に前後に二つ並べて出される。シテにはやや覇気が足りないような気がしたが、実に勢いよく台に飛び乗った。番組の最後を締めくくるに相応しい、爽やかな終曲。

 違う環境だったらもっと楽しめた番組だったのにと返す返すも残念。これも運だが、複数の人間が集まる所、他者への配慮は不可欠である。自分への戒めも込めて。

 本日は奇しくも能楽堂へ足を運んだ100回目の会であった(素人会は除く)。


こぎつね丸