観能雑感
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第76回 粟谷能の会 国立能楽堂 PM12:00〜
毎回変化に富んだ番組で、観に行こうという気になってしまう会。 前日は台風のため暴風雨が吹き荒れた。当日は小雨交じりの曇天で、台風一過とはならず。 補助席も出て、いつものごとく盛会。中正面脇正面寄り後列に着席。 諸事情により簡単な記述にとどめる。
能 『景清』 シテ 粟谷 菊生 シテツレ 狩野 了一 ワキ 宝生 閑 ワキツレ 高井 松男 笛 中谷 明(森) 小鼓 北村 治(大) 大鼓 安福 健雄(高) 地頭 粟谷 幸雄
菊生師は今回でシテ引退を表明。最後の1番。 シテツレとワキツレの同吟が今ひとつしっくりいかず、情景が立ち上がってこない。作り物の中から聞こえてくるシテの第一声、力がなく声量も大分落ちたような気がする。この方の年齢をこうまで容赦なく突きつけられたのは今回が初めて。かつての見るものを鷲掴みにするような、圧倒的な迫力は失せている。里人に無遠慮に呼び出されて、一度は腹を立てつつも、己の立場に思い至り、許しを請う場面は、卑屈さと生きることに疲れた様子がありありとして、冥府に捕われかかった人のよう。娘に乞われ、かつての栄華と合戦の有様を語るところ、仕方話の雄大さはなく、老いた父が力を振り絞って語るその姿こそを娘の目に焼き付けようとしているようであった。 娘の肩に手を置いて送り出すところは、父らしく包み込むというよりは、そうすることで辛うじて体を支えているように見え、胸が締め付けられる思い。喜多流ではシテ柱まで送っていくのが常の形だと記憶しているが、脇正で別れたのは、シテの足の具合を考慮してのことだろう。足拍子も遅れ気味で、辛そうだった。去っていく姿を見送る父は、抜け殻と言おうか、すでにこの世の住人ではないように見えた。 図らずも、『麒麟も老いぬれば〜」という一節が皮肉に聴こえた一番。
狂言 『仏師』(和泉流) シテ 野村 萬 アド 野村 万禄
話の展開としては面白いはずなのだが、笑えない。万禄師の大仰な感じにどうも馴染めず。言葉を発するたびに上下する体や、不自然な笑みも気になる。役になっているのではなく、役をやっているという印象。萬師との間に齟齬を感じた。
能 『砧』 シテ 粟谷 明生 シテツレ 内田 成信 ワキ 宝生 欣哉 ワキツレ 大日方 寛 アイ 野村 万禄 笛 一噌 仙幸(噌) 小鼓 大倉 源次郎(大) 大鼓 亀井 広忠(葛) 太鼓 金春 国和(春) 地頭 友枝 昭世
今回、喜多流では通常登場しない前ワキを出し、詞章を一部追加。喜多流の台本に不備を感じる故の試み。本曲は観世流でしか観たことがないので、喜多流の常の形で観てみたかったというのが本音だが、シテの意欲を否定するつもりはない。 ワキが勤める芦屋の某だが、それほど不実な男だとは個人的には思っていない。3年音沙汰がなければ離婚が成立する時代に、わざわざ今年は帰れると使いを出すのは誠意の表れだと思っている。シテツレの夕霧も、某の愛人だとする解釈が多勢を締めるが、こちらも林望氏の「そんなにひねくれて考えずともよろしかろう」という意見を支持する。夕霧に関しては、若いというよりは幼く、悪気はないが少々無神経であるという人物像を描いている。あえて彼女が愛人だとするならば、すでに寵の褪せた愛人であろう。そうでなければ旅が現在とは比較にならないくらい危険を伴う時代に、わざわざ身辺から遠ざける理由を説明できないからだ。これを態のいい厄介払いとするならば、納得が行く。となると、シテとツレのやりとりは実は互いに捨てられた者どおしの鬱憤の晴らしあいとも取れ、なにやらどろどろした情感の渦に巻き込まれそうになる。が、そもそも能はこうした重層的な感情のせめぎ合いを描くのに適した形態とは言えず、こじ付け的な解釈であることは否めない。勿論、その日のシテがどう演じるかで曲の理解は大きく異なるのだが。 前シテ、薄黄と焦茶の段織唐織、面は曲見か。謡い出しから非常に重い。ツレとのやり取りは嫉妬があからさまに露呈した形で、武家の妻女の品位が感じられなかった。本舞台に入ってからは、どうにも締まりがなく、退屈してしまう。詞章、作曲とも抜群に美しく、言葉や僅かな動きから、秋の深まった風情、シテの内面で交錯する様々な想いが横溢して、一瞬たりとも気の抜けない緊密な空間を作り上げることが可能なはずなのだが、今回シテにその力量はなかったと言わざるを得ない。地謡もとりあえず揃ってはいるが、観る者の心に深く訴えかけてくるような力がなかった。 『宮漏高く立って〜』は喜多流では地謡ではなくツレが謡うのだと初めて知る。 後シテ、全身白の出立。面は痩女か。相手を深く思うが故に地獄に落ちた悲しみが伝わってこず。ワキに詰め寄った際、欣哉師がのけぞるように頭が動いてしまい、残念。ここは微動だにせずシテの想いを受け止めてもらいたいところである。 観ているのが苦痛な時間になってしまった。残念。
能 『船弁慶』真之伝 シテ 粟谷 能夫 子方 谷 友矩 ワキ 森 常好 ワキツレ 舘田 善博、森 常太郎 アイ 野村 与十郎 笛 一噌 隆之(噌) 小鼓 亀井 俊一(幸) 大鼓 佃 良勝(高) 太鼓 助川 治(観) 地頭 粟谷 菊生
観世小次郎信光作。大胆な場面展開の人気曲。上演回数も多く、初心者向けの会にもよく出されるが、舞台で観るのは今回が初めて(映像としては見たことがある)。 小書付きなので、船宿の主とワキとのやり取りは省略。すぐに静が登場。かなりふっくらとした可愛らしい印象の小面をかけているが、シテの資質か、クールで大人っぽく見える。舞は常の中ノ舞ではなく、序ノ舞。舞そのものは美しいものの、先の『砧』の重量感が残っていて、正直序ノ舞ではないほうが有難かった。 後シテは半幕で登場。座っている位置からは揚幕を上げている大島輝久師の姿が良く見え、秀麗な顔立ちと普段はお目にかかれない二の腕まで露になった姿は眼福。早笛に舞働と見どころ、聴き所満載なはずだが、知盛の亡霊に今ひとつ迫力がない。最後は調伏されて波間に消えていく。
座席の両側とも女性で、環境は快適だった。計らずも、上掛りの方が自分には合っていると再認識した1日となった。
追記 後日『船弁慶』での静の舞は喜多流では序ノ舞が常の形との指摘を頂戴した。また、『砧』の面はシテご本人の文章により「若深井」と判明。
こぎつね丸
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