観能雑感
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| 2004年10月02日(土) |
第2回正和能 塩津哲生の會 |
第2回正和能 塩津哲生の會
喜多流で『実盛』を上演するのは稀らしい。この曲自体観たのは随分前のこと。いずれにしても良い機会。 当日配布されたパンフレットには多くの研究者が寄稿していたりと、ページ数が多く豪華な作り。中正面前列正面席寄りに着席。至近距離に村尚也氏。両側を男性に挟まれ、越境してまで足を広げて座るので、窮屈なことこの上ない。迷惑。
おはなし 西野 春雄
冒頭で30分程かかることが明らかになり、げんなりする。イチローの新記録達成を枕に曲の成立ち、内容、特徴などが語られた。
仕舞 『野守』 塩津 圭介
観ているのが辛い。早く終らないかと思ってしまった。
狂言 『鎌腹』(和泉流) シテ 野村 万作 アド 高野 和憲、石田 幸雄
大蔵流で観たものより、あっさりとした印象。死ぬところを人に見せようと大仰に呼びまわるところは不特定多数でななく、決まった人物。留めも謡で閉めて、大蔵流のように妻が再び登場しない。この曲、どうも冗漫であまり好きにはなれないのであった。
能 『実盛』 シテ 塩津 哲生 ワキ 宝生 閑 ワキツレ 高井 松男、御厨 誠吾 アイ 石田 幸雄 笛 松田 弘之(森) 小鼓 横山 貴俊(幸) 大鼓 柿原 崇志(高) 太鼓 金春 惣右衛門(春)
面は前後とも三光尉。焦げ茶の熨斗目が上品な印象。橋掛り一の松付近に立ち、池を挟んだ態でワキと向き合うところ、実際の距離以上に遊行上人との間に隔たりを感じた。それはどんなに望んでも決して得られない成仏に対する憧憬に思えた。手に入らないからこそ、焦がれる気持ちは募るのだろう。実盛の霊が現世を彷徨っているのは、木曾義仲と刺し違えられなかったからではなく、周到に演出した最後がもたらすはずの死後の名声が気になるからだと思われる。ならばおそらくそれは永遠に解決しない問題であり、真の平安など訪れようもない。名を惜しむとは斯様な妄念を生じさせるのか。このように考えていくと、品位あるはずの三光尉が酷く生々しく、粘性を持った表情に見えてくるから不思議である。上人に請われてもなかなか名乗らないのも、自己演出の一環に思えてくる。実盛の最後は悲壮であると同時に鮮烈で、権勢の推移に合わせて身を処しつつ生き抜いてきた老武者の意地と誇りを強烈に印象づける。その死に方そのものに、未練など生じようもないのではないか。 独白しつつ登場する場面から過去の経緯を語り消えて行くまで、これと言って引っかかるものもなく終了。 後シテ、黄唐茶に金文様入法被、紫に金文様入り半切。厚板はパンフレットの表紙と裏表紙に見開きで掲載されてるものと同じ白鱗地に矢立文様。贅を尽くされたもので、一見してそれと解る。法被は前田家が所有していた300年前のもの。使用されるのは今回限りで、博物館に資料として保管されるとのことを後日知った。床机にかけての語り、聴きどころのはずだが、やや眠気に襲われてしまった。端的に言って、言葉の力を感じられなかった。仕方話では、斬り付けるという動作が現実味を持って迫ってくる。しかし今ひとつ物足りない。地謡に切迫感がなかったためか。 回向を頼み姿を消すが、叶わない望みに空しさだけが残る。 一番全体を通して消化不良というか、行き場のないエネルギーが停滞しているような、鬱屈した印象。息苦しさが残った。
こぎつね丸
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