観能雑感
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| 2004年09月19日(日) |
第4回 岡田麗史の会 |
第4回 岡田麗史の会 宝生能楽堂 PM2:00〜
岡田師のシテは未見、狂言は山本家で未見の『月見座頭』、そして何より松田師の序ノ舞を1年以上聴いていないという事実に耐え切れなくてチケット購入。 相変わらず色々不調。公演日2週間前に申込んだので、チケットを当日受け取ることにしたため、とにかく出かける。「いつもありがとうございます」と言われて、少々気恥ずかしかった。 正面席は埋まっているものの、脇、中正面には空席が目立つ。中正面最後列脇正面寄りに着席。左右とも空席で、主催者にとっては良くないことなのだろうが、快適だった。
舞囃子 『猩々乱』 観世 銕之丞 笛 一噌 隆之(噌) 小鼓 鵜澤 洋太郎(大) 大鼓 柿原 弘和(高) 太鼓 金春 國和(春)
重習いという点が目に付いて、酒好きの妖精がふわふわと波間を漂っているという風情からは遠かった。めったにないことだが、退屈してしまった。
狂言 『月見座頭』(大蔵流) シテ 山本 東次郎 アド 山本 則俊
座頭と上京の者が偶然出会い、ささやかな月見の宴を楽しむ。満足して別れた上京の男は突如気が変わり、別人を装い先程の座頭にわざと突き当たり、引き倒して去っていく。 以前から観たかった曲。この演者で観られるとは何よりの僥倖。 東次郎師、目を完全に閉じているわけではないのだろうが、盲目の人に見える。自分は月見をすることが適わない身であるが、虫の声を楽しむことはできると、草原でじっと耳を澄ますところは静かな風情が漂う。月明かりに照らされた草むらが広がり、虫の声が聞こえてきた。そんな様子を偶然とおりかかった上京の男が目に留め、2人で酒宴を催す。和歌を詠むが、どちらも剽窃したものであるのが、何とも言えずおかしい。それを笑いあう二人の様子にも、同じ価値観を有する者としての連帯感のようなものが現れる。舞を所望されて座頭が舞ったのは能の『弱法師』であった。目を離せない緊迫した舞姿。そういえば、草原の場面も『松虫』の内容に触れている。 同じ時を楽しみ、それぞれの方角へ別れて行くが、上京の男の心にふと魔が宿る。同じように興趣を解しても、結局のところ社会的弱者である座頭を、自分と同等に見ることに抵抗を感じる故の行動のように見えた。上京の男にとって、座頭は敬意を払う必要のない人間であり、どんな行為も頓着せずに行えるのだ。 あまりの理不尽さに座頭は怒り、当惑する。遠ざかって行く男に「卑怯者」と叫んだ後、数秒間沈黙するが、その僅かな間にいろいろな思いが折り重なり、とても重いものだった。座頭の表情には、己の置かれた社会的立場に対するやるせなさ、突然の無体に対する憤り、人の性に対する諦観等が現れていた。何となく、座頭は供に宴を楽しんだ男とこの乱暴者が同一人物であると気付いてたのではないかと感じた。「いろいろな人がいる」というつぶやきは、人間の数という意味ではなく、一人の人間が内包する様々な側面についてではないか。どこに転がってしまったか判らなくなった杖をさぐりあて、方向も定められないまま歩き始める座頭。杖の音だけが、哀しく響いた。 緊迫した空気に会場も静まり返った一番。心技体が揃った演者の熱演に満足。これだけでもチケット代の価値がある。
能 『仏原』 シテ 岡田 麗史 ワキ 宝生 欣哉 ワキツレ 梅村 昌功、大日方 寛 アイ 遠藤 博義 笛 松田 弘之(森) 小鼓 鵜澤 速雄(大) 大鼓 國川 純(高) 地頭 野村 四郎
藁屋の作り物が出される。引き回しは苔色。 前シテ、桃色段織唐織着流しに花帽子、面は小面か若女か分不明。すっきりした印象の小面だろうか。通常の出立は唐織着流し。以前観た時は尼姿だったので、通常の装束で観てみたいと思ったが、やはり無理だった。しかし、尼装束との折衷案のようでどっちつかずであり、奇異な印象。演出上の効果があるとは思えず。シテが小顔なせいか、面から皮膚がほとんど露出せず、さらに花帽子で覆われているため、面が殊更作り物めいて見える。質感が合成樹脂のよう。耳を覆われて声の制御が難しいせいか、謡もやや安定を欠く響き。内側から訴えかける強さがない。構えも腰高な印象。詞章を読むかぎりではそうでもないのだが、実際に観るとクセ以降が非常に長く感じる。相当な力量を持った演者でないと、緊張感を持続させるのは困難なのかもしれない。作り物の中に入って中入。 後シテ、白長絹に緋大口。烏帽子をかけて白拍子の出立。印象は前場と変らず、舞も求心力を欠く。久し振りに聴いた松田師の序ノ舞は素晴らしく、人里離れた山奥の、秋深く荒涼とした景色が月明かりに照らされて現出した。これを聴けただけでも大満足。 地謡、どうにも今ひとつ物足りなさを感じた。それが何なのかはよく解らないのだが。 改めて、強く人の心に訴えかける能というのは、なかなかお目にかかれないものなのだということに気付く。様式を持った芸能は、それに従っていればとりあえず形にはなる。しかしその形を内圧で突き破るような強さがなければ、観るものの心を動かすことはできないのではないだろうか。
こぎつね丸
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