観能雑感
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二人の会 十四世喜多六平太記念能楽堂 PM1:30〜
今年の「二人の会」は何が出るのかなぁとチラシに目をやると、激烈に遠い曲が記載されているではないか。この曲には後述するがちょっと思い入れがあるので行くしかないとチケット入手。 当日は晴天。開場時間の約10分前に到着。しばらく外で待つ。暑い。と、そんなところに源次郎師がご出勤。炎天下に長身の美男、心には涼風が吹いたが暑いものは暑い。 自由席なのでとにかくまず席を確保。中正面後列脇正面寄り。開演までに間があるのでお茶でも飲んでこようと外にでると、本日ご出勤の方々の駐車ラッシュだった。 よく眠れなくて能を観るには不向きな状態。
能 『芭蕉』 シテ 香川 精嗣 ワキ 工藤 和哉 アイ 野村 与十郎 笛 一噌 幸弘(噌) 小鼓 大倉 源次郎(大) 大鼓 柿原 崇志(高) 地頭 粟谷 菊生
中国の故事、説話を下敷きにしつつも主眼は諸法実相、女人成仏、草木国土悉皆成仏という仏教感を芭蕉の精に仮託し展開。これといった筋はなく、能でなくては描けない世界であり、全編に渡って月光を感じる、好きな曲。 開始直後、すぐに困った事態に遭遇。この能楽堂は空調の音が耳障りなのだが、今日はその音が遠くから聞こえてくる蝉しぐれのように感じられて、また外の晴天と暑さも手伝い、秋半ばである曲の世界になかなか入り込めなかった。不覚。時間の経過とともに気にならなくなった。 前シテ、海松色と紅欝金に草花文様の唐織。無色と言えども華やいだ印象。面は深井。しっとりと、しかし柔弱さのない謡が内に秘めた女の強さを感じさせる。板に吸い付くようなハコビが見事。 後シテ、長絹、大口ともに黄味のある緑で本性を表す形。舞グセで角に来てやや面を照らした時、真実の姿で月光を浴びるのが嬉しくてたまらないように見えた。続く序ノ舞、笛の音は文句無く美しいのだが、それ以上のものを感じ取ることができない。日頃幸弘師の笛に対して抱いている、ある思いをさらに強くする。あえて例えるならば、月光と区別できないくらい良く出来た人工照明に照らされていたような気分だった。 キリは地が強く、シテとの間に若干の齟齬を感じたが、もう少ししっとりとした情趣が欲しいという私の好みの反映かも知れない。 決して悪くは無い。しかしどことなく今一歩の感あり。今回かなり笛に意識を捕われてしまったところがあるので、これは観ている私の方に原因があるのだろう。 幸弘師の笛についてはいつか改めて一文を記してみたいと思うようになった。
狂言 『柑子』 シテ 野村 萬 アド 野村 万之丞(与十郎代演)
万之丞師はこのところ休演が続いているようで気になるところ(末尾に付記あり)。 要は柑子を勝手に食べてしまった太郎冠者の大仰な言い訳であり、役者の芸を楽しむのが主眼であろう。萬師が柑子を食べる姿は実に美味しそうで、こちらも食べたくなってしまう。俊寛の話に思わず本来の目的を忘れて涙してしまう主は人の良さが滲み出て、ほのぼの。 この時代、柑子はかなり高級品だったはず。主の怒りももっともか。
能 『調伏曽我』 シテ 塩津 哲生 子方 友枝 雄太郎 頼朝 内田 成信 シテツレ 佐藤 章雄、粟谷 浩之、佐々木 多門、井上 信也、佐藤 寛泰、大島 輝久 ワキ 宝生 閑 ワキツレ 則久 英志、野口 能弘、梅村 昌功、高井 松男、殿田 謙吉 アイ 住吉 謙 笛 松田 弘之(森) 小鼓 曽和 正博(幸) 大鼓 国川 純(高) 太鼓 助川 治(観) 地頭 友枝 昭世
宝生、金剛、喜多流のみ現行曲。宮増の作と云われている。 この曲の存在を知ったのは、実際に能楽堂に足を運ぶようになるよりずっと前。荒俣宏氏著「本朝幻想文学縁起」を読んだ時である。巷談妖術考という項目において、かつて日本でいかに加持祈祷の類が巷間に流布していたかを表す例の一つとして、取り上げられている。なんとなく観てみたいとは思っていたけれど、何分稀曲ゆえ、いつ実現するかも定かではなかったが、遂に機会到来。逃すわけにはいかない。 箱根権現に参詣に訪れた頼朝一行の中に、敵である工藤祐経を見つけた箱王。しかし工藤にあれは事故だったのだと言いくるめられてしまう。せめて一太刀なりとも浴びせて自ら果てようとする姿を見兼ねた箱根別当は、工藤の形代を護摩壇に据え、大勢の僧侶達とともに祈祷を始める。やがて眷属を引き連れて不動明王が現れ、剣で工藤の形代を刺し、首を落とす。 頼朝一行で舞台は満員状態。ツレの中では大島師のハコビ、カマエが一際美しい。 橋掛りに子方とワキ登場。別当から頼朝随員の名前を一人一人教えてもらい、ついに敵の工藤に行き着く。シテである工藤、目ざとくも箱王を見つけ、自ら近づき父上の件は事故だったのだと語りかけるが、有無を言わせない迫力。雄太郎君、返り討ち覚悟で太刀を構える姿は緊張感が漲っていた。 中入を挟んで今度はワキ方で舞台が一杯になる。脇座と大小前に一畳台を設置。脇座のものは護摩壇を模し、蔓桶を白い布で包み、その上に黒頭を乗せてある。周囲は小さな幣で囲まれていた。まさに人形(ヒトガタ)で、相当に生々しい。大小前の方には本尊安置の仏壇(?)を模した宮が置かれる。護摩壇から舞台中央を横切る形で僧が下居姿で数珠つなぎ。最後尾の殿田師は舞台の縁ギリギリに位置。全員で数珠を持ち、真言を唱える姿は壮観。ワキ方が地謡前に着座、引廻幕が外されると蔓桶に腰掛けた不動明王登場。毛並みが渦巻いた赤頭、上に巨大な白い蓮の花を飾る。半切、厚板に法被を袖を通さずに重ねる(このあたり記憶が曖昧で誤っている可能性あり)。面は不動で新面に見えた。見所に岩崎久人氏がおられたのでこの方の作なのかもしれない。不動が不動をかけるのを見るのはこれが初めてだなぁとふと思う。手には剣。舞台上には不動明王のみだが、実際には八大金剛童子に降三世明王、大威徳、軍荼利夜叉、金剛夜叉もいる態で、何やらすごい事になっている。蔓桶に腰掛けている間についに睡眠不足の弊害が出てややウトウト。その後ついに始動して文字通り形代を剣で刺し、頭を落とす動き。これで見事箱王の本懐は遂げられたと終曲。詞章が直接的で一種異様な雰囲気。 国会図書館の電子ファイル等を利用して事前に詞章を読む。一読して囃子事は少ないであろうことが容易に予想される(それは一読するまでもないが)。しかし当日配布されたパンフレットには「不動明王の豪快な舞」とある。では舞働くらいはあるのかと期待。何と言っても笛が松田師。少しでも多くその音を聴きたい。が、実際は舞働はなく謡の内容に沿った動きのみ。後場の囃子で笛が登場するのはトメを除き出端とノットのみ。ただでさえこのところ松田師と縁がなく、諦めていたところを期待が芽生え、それが叶えられないのは空しさ倍増。目の前にいるのに音が聴けず、フラストレーション急上昇。あれを舞と表現するのには無理があると思う。
本日松田師は掛け持ちで、最初は梅若万三郎師シテの『天鼓』に出られたはず。こうしてまた松田師の楽を聴く機会を失って行くのであった。
付記: 6月10日、野村万之丞師の訃報が入る。休演続きで気にはなっていたものの、まさか亡くなってしまわれるとは。病名は神経内分泌ガンとのこと。享年44歳。万蔵襲名を来年に控え、ますますの活躍が期待されていたのに。ご本人の無念、ご家族の悲嘆を思うとやり切れない。今年2月の式能での、土の臭いのする三番叟が最後に観た姿となってしまった。慎んでご冥福をお祈りいたします。合掌。
スーパーでパッケージがアンパンマンのお菓子を見かけた。急に悲しくなって、慌てて目をそらした。
こぎつね丸
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