観能雑感
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銕仙会定期公演 宝生能楽堂 PM6:00〜
浅見真州師の舞台は出来るだけ観たいのでチケット購入。 5月としては異例なほど蒸暑い日。冷房がきつく寒かった。脇正面後列に着席。
能 『巴』 シテ 西村 高夫 ワキ 大日方 寛 ワキツレ 御厨 誠吾、野口 能弘 アイ 遠藤 博義 笛 槻宅 聡(森) 小鼓 古賀 裕己(大) 大鼓 亀井 広忠(葛) 地頭 山本 順之
『平家物語』の『木曽最後』を題材に女武者巴から見た木曽義仲の最後を描く。作者不明。 大日方師のワキを観るのは今回が初めて。健闘しているとは思うが物語の場を形成するという作業がいかに困難かを改めて思い知る。ワキを勤める機会はこれからさらに増えると思われるので今後に期待。 橋掛りに登場したシテの後ろ姿を見るに、ハコビがぎくしゃくしている感あり。この角度から観るのが久しぶりだから余計にそう感じたのかもしれないが。萌黄との段織紅入唐織、面は増。第一声、どうにも強すぎて後に続くシオリとの齟齬あり。静かに涙を流しているようには思えなかった。その後も謡が平板で物語を構成する力に欠け、ただ時間が過ぎて行く。シテが己の正体を明示しないまま消えるのは珍しい。 間語、言葉そのものが不明瞭で聴き難かった。 後シテ、紅兜文様舞衣(長絹ではないように見えた)壷折、小豆色小口、小太刀佩き長刀を持ち、風折烏帽子をかける。地謡の分量が多く、戦の様子を仕方話で見せる。長刀を使うのが最大の見せ場。こちらも臨場感に欠けるまま進行。肩身の小袖を手にして戦場を去るところで舞衣を脱ぐのに手間取ったがなんとか間に合う。ただ一人落ち延びて行かねばならない我が身に残る執心を弔ってくれと言い残し消える。 『木曽最後』を今回読み直したが、巴の武者振りはすさまじく、最後の五騎に残っている。女連れで最後を迎えるわけにはいかないと義仲から言い渡されるも未練絶ち難くついて行くが再度強く言われると、それならばと自棄になったように敵を倒して落ちて行く様は鮮烈であり、痛々しくもある。後を弔うという役目を背負わされるのは女性であり、だからこそ男性は心置きなく戦えるのだろうか。 漫然としたまま一曲終了。
狂言 『二人大名』(大蔵流) シテ 山本 則直 アド 山本 泰太郎、山本 則孝
家来が出払って供がいない二人の大名は街道で通りがかった者を捉まえ強引に太刀持ちにさせる。しかし間もなく形成逆転、鶏や犬の真似をさせられたり、近頃京に流行る起上がり小法師の唱を唄いつつ転んでは起きを繰り返す。最後は全てを持ち去られてしまう。 街道で呼び止められた時、関わっては大変とそのまま行き過ぎようとする様子がいかにもそれらしくて可笑しい。太刀を持たせるという行為は相互に信頼関係が成立していないと危険極まりない。見知らぬ男にそれをさせてしまう大名はいかにも愚かで、後に続く形勢逆転を暗示している。 最初の内は真似さえすれば太刀を返してやると言っていたのにだんだん大胆になって上手くできれば返してやると言い放つところが面白い。身体技術の確かさは相変わらず。終曲間際に則直師が片脱ぎにしていた肩衣を衣擦れの音も鮮やかに一つの動作で袖を通したのに見とれてしまった。見どころが多く、楽しめた。
能 『安達原』長絲之伝 白頭 シテ 浅見 真州 ワキ 殿田 謙吉 ワキツレ 則久 英志 アイ 山本 則孝 笛 一噌 庸二(噌) 小鼓 大倉 源次郎(大) 大鼓 柿原 弘和(高) 太鼓 助川 治(観) 地頭 観世 銕之丞
今回の小書、白頭は一目瞭然だが長絲之伝とは常の型とどう異なるのか不明のまま見始める。小書は『鉄仙』に解説されているのが常なのだが今回はなし。 前シテ、裏柳の無紅唐折に黒縷水衣、面は深井。唐織、水衣のそれぞれの対比に加えて水衣から透ける唐織の色がまた美しい。萩柴屋の中で謡うサシが、女の複雑な境遇を暗示するかのごとく静かに響き、自然と夜の安達ケ原へと誘われる。宿を提供した山伏に乞われ、糸縒り車を使う様を見せることになるが、ゆっくりと近づいて行く姿は触れるのを恐れているようであった。車を回しながらの述懐は、我が身の業を悔いるようにも、また獲物を絡め捕るための手管のようにも見え、彼女自身が二つの想いに引き裂かれそうなのだと映る。感情の昂りとともに車を回す動きが早まり、はたと気付いて手を止める。「閨を見ないように」と言い置いて焚き木を拾いに行くが、わざわざ言及するのは懼れからとも、また己の罪科を暴いて欲しいとも取れ、揺れ動く内面が表出するが、一の松あたりで振り返った後は何かを振い落したように足早になって中入り。 続く間狂言はコミカルな中にも人間の心理の裏側を曝す。 出端で登場の後シテ、白鱗箔に白地縫箔腰巻、白頭元結。面は白っぽい般若。縫箔の黒い飛雲(?)文様が全身の白の中にアクセントになって効いている。この出立だと鬼女という生々しさが薄れ、鬼そのものに見える。が、それでいて美しかった。祈りでの対決でも、人間性を捨て去った鬼がそこにいた。法力には敵わず弱って消え失せるが、業から開放されたわけではなく、苦しみはこれからも続いて行く。 シテ本人が意識したかどうかは知る術もないが、我が身を悔いるだけでなく鬼としての性を捨てきれないところが具間見え、興味深かった。ただ若干の不統一感も否めず難しいところ。二面性の間でもがき苦しむ存在を意図したならばまずは良い出来と言えるが、その事がもたらす哀しみは今ひとつ漂ってこなかった。 地謡、強さというよりは荒さを感じた。
今回久し振りに良い角度で源次郎師の美麗な手を観察できた。重畳。
このところ見所運がなかったのだけれど、本日は久し振りに落ち着いて観ることができた。しかし何故演能中に飴を舐め始めるのだろう。謎。
先日機会あってついに「春鶯囀」を飲んだ。辛口でコクがしっかりあるタイプ。美味しいけれど、個人的にはもう少しすっきりした味わいが好み。
こぎつね丸
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