観能雑感
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観世会春の別会 観世能楽堂 AM11:00〜
発売日当日の午後電話した時点で既に補助席5枚しか残っていなかったという人気ぶり。C席購入予定がB席になる。
このところずっと睡眠リズムが狂っていて不調。持病による痛みあり。我慢できないほどではないので出かける。チケットはできるだけ無駄にしたくないものだ。 見所を横に二分する通路にしつらえられた補助席へ。中正面前半分の最後尾。前列と段差がないのでどうしても前の人の頭が邪魔になるが仕方がない。ロビーには笠井氏、観世榮夫師、馬野師の銕仙会の面々が。
能 『吉野天人』天人揃 シテ 観世 清和 シテツレ 下平 克宏、松木 千俊、藤波 重孝、吉井 基晴、観世 芳宏 ワキ 福王 茂十郎 ワキツレ 福王 知登、山本 順三(番組に記載なし) アイ 山下 浩一郎 笛 一噲 隆之(噌) 小鼓 大倉 源次郎(大) 大鼓 國川 純(高) 太鼓 小寺 佐七(観) 地頭 武田 宗和
ワキツレについては確証なし。 都の者が吉野に桜見物に行くと、同じく桜に魅せられてやって来た天女と行き会い、舞姫達による五節の舞を観る。筋書きらしいものはなく、うららかな春の景色と天女の舞を楽しめばよい。観世小次郎信光作。年若い観世太夫のために作られたと考えられる、『胡蝶』と同種の曲。 正先に桜の木の作り物が出される。 シテは紅入唐織に側次を合わせ、面は小面にも見えたがやはり増だろうか。来序で中入は不釣合いに重々しい感じがする。アイは里人ではなく桜の精。末社の神と同様の出立。黄色の水衣が何とも春めいていて良い。 小書付のためか出端ではなく下り端で後シテ、ツレ登場。ツレは天冠、黒垂、長絹、面は小面。シテのみ舞衣に面は増。橋掛りに天人6人が並ぶのは壮観。楽屋は大変だっただろう。一斉に袖を翻した時の優美さ、豪華さにしばし見とれる。ツレ2名とシテが本舞台で、残りのツレは橋掛かりで太鼓入り中ノ舞を舞う。 天人達が雲に乗り何処ともなく飛び去って終曲。 軽やかで楽しく、時節にぴったりで楽しめた。
狂言 『蝸牛』(和泉流) シテ 野村 与十郎 アド 小笠原 匡、野村 万禄
おなじみの狂言だが舞台で観るのは初めて。 主から蝸牛を取ってくるよう命じられた太郎冠者。主の説明と同じだからと山伏を蝸牛と思い込む。からかってやろうと蝸牛の振りをする山伏。主が様子を見に来て嘘が露見するが主従ともども囃子物の楽しさに我を忘れて興じる。 与十郎師の人を喰った山伏振りがいい。万禄師、声だけ聴いている分にはよいのだが、どうも表情が不自然に動きすぎる気がするのはいつもの通り。単純明快な展開に若手の爽やかな演技で楽しい時間だった。
能 『姨捨』 シテ 野村 四郎 ワキ 宝生 閑 アイ 野村 萬 笛 藤田 大五郎(大) 小鼓 曽和 正博(幸) 大鼓 亀井 忠雄(葛) 観世 元伯(観) 地頭 関根 祥六
休憩を挟んでそれまで空席だった左隣の席が埋まる。これ以降はひたすら耐える時間になってしまった。 その人は新潮社の謡曲集を膝にひろげ、顔が触れるくらいに前に屈み(文字が小さく、見所もかなり暗いのでそうしないと読めないと思われる)、また勢いよく背もたれにもたれかかるという動作を間断なく繰り返した。これだけでも相当鬱陶しいが、なにせ補助席なのでその度に椅子は軋み、頻繁にページを繰る音は何故、これほどまでに大きな音を立てなければならぬのかと訝しくなるほどに耳障りだった。序ノ舞が始まるとこれに組んだ足をブラブラさせるという動作も加わる。そして荒い鼻息と食事なのか何なのか不明な臭い。少し配慮してくれるよう頼んでみることも考えたが、あっさり納得してもらえるとは限らないし、私が言葉を発することで周囲に迷惑を掛けるのも心苦しいので、結局我慢した。舞台に集中しようにも無理で、とうとう最初から最後まで哀切で透明感溢れる曲の世界に入ることができなかった。途中退席したくなった。 以下、断片的な記録のみ。 前シテ、脇正でのわずかな動きの中に自分の正体を知ってもらいたいという思いと知られたくないという相反する感情が仄見え、いたたまれなくなる。 間語、萬師はややかすれた声ながら、静かに淡々と語り始める。更科山に置き去りにされるその最も残酷な瞬間に緊張の頂点に達し、聞いていて胸が締め付けられた。 後シテ、装束は白一色。月光に照らされるのを恥じて袖で顔を覆う姿が痛々しくも、可憐さが漂う。序ノ舞は人を超えた精霊のようでありながら、どこか人としての哀しさを宿しているように見えた。パンフレットによると太皷入り序ノ舞は通常草木の精や天人が舞うもので、それゆえ老女は人を超えた存在なのだというような記述があった。このように新たな視点を得ることができるのは嬉しい。 後に残される悲しさというよりは、日にあたって氷が解けるがごとく存在感が薄れていって終曲。 先週も感じたのだが大五郎師、体調がよろしくないのか音に張りがないような気がした。途中から後見を替わった次郎師もどことなく心配そうな面持ちだった。音色の美しさは相変わらずで、枯れた風情が曲趣に合っていたと思う。いくらお元気だとはいってもご高齢の身、無理なさらないでもらいたい。
劇場には色々な人があつまるのでこういうこともあるが、返す返すも残念。観劇マナーはやはり大切。
仕舞 嵐山 観世 芳伸 松風 谷村 一太郎 蝉丸 関根 祥六 善知鳥 木月 孚行
左隣は相変わらず。舞台を観る気力が出ず、何となく時間が過ぎていった。
能 『正尊』 起請文 翔入 シテ 角 寛次朗 義経 武田 尚浩 静 小早川 康光 江田 関根 祥人 熊井 浅見 重好 姉和 上田 公威 立衆 清水 義也、坂井 音雅、角 幸二郎、武田 宗典、武田 文志、坂口 貴信、武田 友志、坂井 音晴 ワキ 中村 彌三郎 アイ 小笠原 匡 笛 寺井 宏明(森) 小鼓 幸 清次郎(幸) 大鼓 柿原 弘和(高) 太鼓 三島 元太郎(春) 地頭 坂井 音重
精神的にかなり堪え、これ以上我慢するのには耐えられないと感じ、帰ろうとも思ったが未見の曲なのでどうしようかと逡巡していると、仕舞が終了すると同時に隣席の人は立ち去った。早まらなくて良かった。前列の人が帰られたのでもともと空席だった右隣に移動。本当は良くないのだろうけれど、段差がない席だとどうしても前列の人の頭が邪魔になるので思い切る。そうしたら同じ列にいた人も移動していた。考えることは同じなようで。
現在物で三読物と言われている中の一曲。起請文を読む人物がシテで観世・宝生・喜多流が正尊、金剛・金春が弁慶。観世流は小書が付くことによって他流と同じ演出となるそう。 まずツレの義経、弁慶一行が登場。静御前役の小早川君の可愛らしさに見所がざわめく。 シテの正尊は頼朝の送り込んだ刺客。刺客の命は顧みられないものなので、彼もまた辛い立場に置かれている。弁慶による追求ものらりくらりとかわすふてぶてしさ。中村師、下居姿にもう少し締りがあれば良いのにと思う。 起請文は大小が囃すなか特殊な調子で読まれ、リズムの面白さに聴き入る。全くのでっち上げだと解ってはいても、もその出来の良さを称えるというのは誠に結構。人間どんな時にも余裕を持ちたいものだ。宴が始まり義経に酒を注ぐ静の姿が健気で可愛い。小さな手で扇を開いて舞う姿も立派だった。 正尊一行が武装し攻め入って来るのを迎え撃つのが義経の郎党二人。人数は正尊側の方がずっと多いのだが、これをばったばったと倒していく。やられる側はそれぞれ仏倒れや手を使わない飛び込み前転(そう見えただけであって正式に何と言うのかは知らない)を決めていく。橋掛かりと本舞台両方で同時に仏倒れは迫力だった。倒れるときも溜めて、舞台をドンと踏み鳴らしたのを合図に一気に倒れたりと皆一様ではない。中に驚くほどきれいに飛び込み前転を決めた方がいて目を見張る。 味方全滅にとうとう正尊自らが打って出るが弁慶に捕らえられ、郎党二人に縄を打たれて橋掛かりをすべるように引きずられて幕入りし終局。 大人数の切組みを観たのは今回が初めて。面白かった。
帰る途中に寄った書店で岩崎陽子氏直筆カラーイラスト入り宣伝カードを見かける。眼福。こういうのが村上春樹氏言うところの「小確幸」(小さいけれど確かな幸せ)なのだろうか。
こぎつね丸
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