観能雑感
INDEX|past|will
| 2003年12月09日(火) |
橋の会 第74回解散公演 |
橋の会 第74回解散公演 宝生能楽堂 PM6:15〜
橋の会最終公演。24年間の歴史に幕を下ろすこととなった。今年初めに郵送されてきた案内の中で本年をもって解散する旨述べられており、最初は驚いた。私の橋の会に対する印象は「面白い企画だが高い」というもの。それでも解散を余儀なくされたのは、大口スポンサーの撤退が直接の原因ではなかかろうか。能が興業として成立することの難しさを如実に表しているように思う。 会場は超満員。補助席は出せるだけ出してある。中正面最後列のすぐ後の補助席に着席。目付柱のほぼ正面。購入したパンフレットには全公演の内容とチラシの表が掲載されていた。入場時に手渡された祝儀袋には「有りが糖」の文字が見え、中身は飴だった。
狂言 「伯母ケ酒」(大蔵流) シテ 茂山 忠三郎 アド 善竹 十郎
酒作りが上手い伯母のもとへ向かう太郎。なんとか酒を飲ませてもらおうとするが、取り付く島もない。一計を案じ鬼に化けて酒倉に潜り込む事に成功。たらふく飲んで酔いがまわり、結局正体がばれてしまう。 忠三郎師は言葉の抜けが良いというのだろうか、どこにもこもらず、それがのんびりした、開放的な雰囲気に一役買っているようだ。明るく穏やかで気持ちが和む。徐々に酔っていき眠りこけてしまうまでの一連の所作は、本当に飲酒しているかのようだった。楽しい時間だった。
能 「蝉丸」 シテ 観世 清和 シテツレ 観世 銕之丞 ワキ 宝生 欣哉 ワキツレ 大日方 寛、御厨 誠吾 アド 茂山 忠三郎 笛 藤田 大五郎(噌) 小鼓 大蔵 源次郎(大) 大鼓 亀井 忠雄(葛) 地頭 山本 順之
皇子というもっとも高貴な生まれながら、社会の最下層に生きる事を余儀なくされた姉弟の透徹した魂のありようが美しい名曲。作者は禅竹説、信光説あるが、不明。本日は二度目の観賞。奇しくも前回のツレも暁夫時代の銕之丞師。シテは観世榮夫師で、強く印象に残っている。 ワキ、ワキツレの同吟がなんとなく不揃いで、場を形成しきれない。御厨師が原因か。ツレ、藍墨茶狩衣が今後の運命を物語っているよう。面はおそらく蝉丸。謡出しを聴いて、銕之丞師はこんな声だったかとしばし戸惑う。調子が悪いなりに、もっとも良く聞こえるように工夫した声とでも言おうか。だいぶ高く感じた。高音はやや出しにくそう。傘も蓑も観念的にしか理解できず、一人山中に取り残される悲哀は前回の方があったように思う。 一声でシテ登場。面は増にも若女にも見えるが、特別な銘のあるものかもしれない。鬘に両サイド一筋ずつ垂れ髪、緋長袴。この登場場面は、逆髪が一見感情に翻弄されているようでも極めて理知的な思考と気高い精神の持ち主である事が明らかにされるところである。音楽的にも高音が印象的に使われ惹き込まれるところなのだが、なんというか、極めて表面的。逆髪という人間が一向に伝わってこない。ここで観る者にこの流浪の皇女を強烈に印象づけた榮夫師とは対照的。あくまでも個人的な好みだが、髪が天に向かって生えているという設定なので、黒頭を付けていたほうがしっくりくるが、これは例外的な演出なのだろう。緋長袴は高貴さの演出だろうが、足捌きが悪くなることは否めず、ほとんど動きのないこの曲の中で唯一の働きであるカケリがもたつき、メリハリがつかなかった。以下、兄弟の対面から別れへと続くが、どうにも身が入らず、めったにない事だが早く終わってほしいと思ってしまった。これは補助席の椅子が堅いからだけでは決してないはずである。 地謡、不出来ではないが訴えてくる力に欠けた。大五郎師の笛、やや息切れ気味。 事前配布のチラシにはこれからの能楽界を牽引して行く二人というような紹介の仕方であったが、この出来では甚だ不安である。これが最終公演だと思うと残念。
ごあいさつ 土屋 恵一郎、松岡 心平
主催の二人が舞台上で挨拶。予想通りマイクを通した声ではないので聞き辛かった。もっとも言いたかったことはすでにパンフレットで述べられているので、ごく型どおりのもの。第1回公演では宝生欣哉師は子方で出演したことが語られると場内から笑いが起こった。最後に花束を渡そうとしていたが、二人は切戸から下がってしまい、果たせず。
舞囃子 『高砂』 友枝 昭世 『松風』 梅若 六郎 笛 松田 弘之(森) 小鼓 成田 達志(幸) 大鼓 亀井 広忠(葛) 助川 治(観)
両者による舞囃子があることは事前の案内で知っていたが、曲目、囃子方は当日まで不明。出来れば松田師の笛が聴きたいと思っていたのでパンフレットで名前を見つけたときは嬉しかった。また、成田師の小鼓が聴けるとは思っていなかったのでまたまた感激。今年何度か東京での大きな舞台があったがいずれにも行くことが出来なかったので、今日、ここで拝聴かなって満足。 友枝師の『高砂』、例外的にワキの待ち謡を宝生閑師が勤めた。すぐに曲の雰囲気を作り出しさすが。囃子方の出端が颯爽としていて精気漲り、神の到来を迎えるのに相応しい。紋付姿だとシテの身体の在り様が良く解るが、友枝師、上半身に全く余計な力が入っておらず、磐石の下半身がそれを支える。立ちあがった瞬間からそこに神が現れた。 六郎師の『松風』、ツレは馬野正基師が勤めたが、この方の謡、やはり良いと思う。中之舞は狂乱しているというよりは、静かに己の内側を見つめているかのようだった。
乱能 舞囃子 『熊坂』 シテ 亀井 忠雄 笛 宝生 閑 小鼓 梅若 六郎 大鼓 観世 清和 太鼓 友枝 昭世
事前の案内に特別の催しがある旨述べられていたが、それがこれ。「橋の会では初めての試み」とあったので、順当に考えればこれ以外はあり得ないだろう。乱能を観るのは初めて。 地謡は前列に松田師、成田師、後列に源次郎師、広忠師、助川師。 亀井親子はどちらも謡が上手くて驚く。広忠師は地頭を勤め、ワキも兼ねる。八世銕之亟師に老女物まで習ったのは伊達ではなかった。シテの忠雄師は盗賊の名前を舞台上の人物に置き換えて笑いを誘う。清和師は自分の名が出ると笑みを浮かべていたが、手が痛そうだった。本職の方々と比べると大分寂しい音であるが、仕方ない。六郎師の小鼓の腕前は素晴らしいと聞いていたが、その通りであった。柱に隠れて姿は全く見えなかったが、この小鼓がないと囃子は大層悲惨なことになっただろう。 地謡、扇を取る動作が後列に比べ前列の二人にバラツキあり。笛方は普段声を使わないので謡に関しては不利なのではなかろうか。後列三人が発奮して音量は十分。 長刀を器用に使いながらおトボケと真剣さを混ぜあわせて進行して行く忠雄師。閑師に笛を吹くタイミングを合図したり、地謡前列の二人のところにいきなり長刀を落としたりと観る者を飽きさせない。上目使いに忠雄師を覗う閑師が妙に可愛らしく、笛の音も普段の謡い振りからは想像できないほど可愛いのであった。目の前に長刀が落ちてきて慌てて受けとめる二人の驚いた様子は完全に素で可笑しかった。その後冷静に長刀の向きを変える松田師、いい味である。 友枝師、どんなに笑いが起こっても後見座にあるときのように表情を変えず、淡々と太鼓を打ち出した。金春流だった。 ところどころちょっと猥雑さも交え、笑いの中で終曲。拍手の中自らも手を叩きながら忠雄師再登場。切戸から下がった人達を呼び戻して挨拶。その中でぎっくり腰であることに触れておられたが、全然そんな風には見えなかった。拍手のなか全員退場。これで全て終了。
初めての乱能は楽しかったが、橋の会の在り方を考えると、少々余計だった気がしないでもない。舞囃子までで終了した方が、美しかったのではないだろうか。
こぎつね丸
|