観能雑感
INDEXpastwill


2003年11月09日(日) 宝生会月並能

宝生会月並能 宝生能楽堂 PM1:00〜

観能予定が多い今月、何しろ体力がないので出かけるかどうか迷ったのだが稀曲が出るので結局チケット購入。
チケットを購入していなかったら1日中横になっていたいような気分だったが、無駄にしたくはなかったし、選挙もあるしで出かける。
投票を済ませてから会場へ。6〜7割程度の入。中正面目付柱正面に着席。先日より一列後方なので視界はやや向上。となりの奥様方のお喋りが賑やか。本日2番目に出勤の子方の同級生のお母様方のよう。

能 「三笑」
シテ 當山 孝道
子方 朝倉 大輔
ツレ 金森 秀祥
トモ 佐野 登
アイ 大蔵 千太郎
笛 一噌 幸弘(噌) 小鼓 大倉 源次郎(大) 大鼓 佃 良勝(高) 太鼓 小寺 佐七(観)
地頭 今井 泰男

ツレは朝倉俊樹師に見えた。全ての役者の顔と名前を把握している訳ではないので変更があったならきちんと掲示してもらいたい。素人弟子以外の人が観に来ることを考慮しないのだろうか。
当初は當山興道師がシテの予定だったが今年春に他界されたためご子息の孝道師に変更。興道師の最後のシテとなった今年の初会における『嵐山』を観ているので感慨深い。
『虎溪三笑』という中国の故事が典拠。シテの慧遠禅師は白蓮教の創始者。ツレは陶淵明、トモは陸修静で道師。ツレ、トモがシテを訪ね、山間の景色を楽しみながら酒を酌み交わし、酔いがまわったシテが決して越えないと誓った虎溪を通り過ぎてしまって三人で笑い合うという、これと言った筋書きはない展開。要は世俗を離れ悠々と暮らす人物と雄大な景観を楽しめば良いのだろう。
国立能楽堂のパンフレットに載っていたので参考にしたが、観世流での上演形態とは異なる点が多い。まず宝生流では直面が常のようである。観世ではツレ2名だが宝生ではトモの扱い。観世では出ない子方が出る。装束もそれぞれ特徴のある観世に比べ宝生ではツレ、トモはワキの着流し僧と同様。シテは大口僧に唐風の頭巾。
被いのかかった作り物が運び込まれ、狂言口開で開始。狂言方の装束は華やかで唐風。作り物は慧遠禅師の庵で両側に菊花が添えられていた。
この3名は言わば世捨て人であるので世俗を超越した、人でありながらその枠を越えた存在であるが、直面でその雰囲気を醸し出すのは困難であろう。立ち方最年長の當山師でさえ50代という面々では尚更である。しかしシテが彼方を見た際、その視線の先には滝があり、直面演技としては及第か。
慧遠禅師に酒を勧めた子方(稚児であろうか)が中ノ舞を短く舞う。それにつられてシテが楽を舞い始める。子方の装束は狩衣(着付は法被のようだった)に大口、鬘に菊の花を差していて真に典雅。サシコミ、ヒラキがあまりに機械的で驚く。角取りのあたりでやや逡巡があった。本格的に能楽師の道を志すなら修練はこれからということだろうか。大輔君は長身だし(大人と遜色ないばかりか逆に背が高い)子方もそうそう勤めていられないだろう。
観世流ではシテ、ツレによる三人の楽の相舞が眼目なのだが宝生ではシテ一人の舞だった。興に乗って悠々と舞うという雰囲気ではなく、少々堅苦しいほどの堅実さであった。宝生流の流是を考えれば致し方ないか。酔いが回ってよろめき、二人に支えられたシテが虎溪を越え、笑い合うという場面、観世では橋掛りで行うそうだか宝生では全て本舞台で行われた。
地頭に今井泰男師、副地に近藤乾之助師という豪華な地謡。初同の「行住坐臥の行いに〜」が悠然としていてかつ自然な出。地謡は終始充実していてこれを聴けただけでも良しとしたい。
囃子も良い出来。源次郎師、先日拝見したも感じたのだが、掛け声の雰囲気が変わったよう。今まで外に放出していたものを内にこめるようになったとでも言おうか。あくまで個人的な印象であるが。

本曲を直面でやるのはやはり厳しく、宝生流はその点不利であるが、健闘していたと言えよう。

地謡が退場する際笛方より早く立ち上がった。些細だがこういう事はおろそかにしてはいけないのではないか。

狂言 「茶壷」(大蔵流)
シテ 大蔵 彌太郎
アド 大蔵 義教、大蔵 基誠

義教師が田舎者。
和泉流では観たことがあるが、大蔵流では初めて。目代が登場するタイミングが和泉流より大分早かった。二人同時に舞った時、田舎者がすっぱの動きを横目で見て自らの舞を止め、すっぱのズレが際立つという絵演出は和泉流ではなかったように記憶している。最後、目代の独り勝ちは両者同じ結末。
若手が安易な表面的笑いに逃避しないところは好感が持てる。

能 「竹雪」
シテ 田崎 隆三
子方 辰巳 和磨
ツレ 朝倉 俊樹(実際は別人と思われるが不明)
ワキ 宝生 閑
オモアイ 善竹 十郎
アドアイ 善竹 富太郎
笛 藤田 次郎(噌) 小鼓 幸 清次郎(清) 大鼓 柿原 崇志(高)
地頭 佐野 萌

能では珍しく継子いじめを直裁に扱っている。喜多流にもあるようだがこちらではほとんど上演されないとのこと。
当初は宗家がシテだったが比較的早い段階で代演決定。
閑師の謡をじっくり聴くのは久し振り。この緩急ついた独特の節回し、私は好きである。
ワキの主人が家の事をあれこれ言い置いて参篭に出かけてしまう。息子が自分の事を告げ口したのだとアイの継母はかなりヒステリックな調子で子供をなじる。
子方は大変可愛らしい子で外見からは予想も出来ないほど声が大きかった。こういう愛らしい子がいじめられたほうが演劇的効果も高まろうというものである。
実の母であるシテと子方は橋掛りで対面。シテの謡はどうにも安定感を欠く。
父が呼んでいるとの偽りの呼出しに応じて子供は帰宅。継母から竹に降り積もった雪を払うよう言いつけられ、衣をはがれて外に出される。正先には竹筒で囲われた雪を頂いた竹の作り物が出される。家にも入れてもらえず子供は凍死。後見が白の小袖で横たわった子方の体を被う。
白い水衣に雪で白くなった笠を被ってシテ、シテツレ登場。我が子月若の死の知らせを受けて二人で訪ねてきだのだ。ここから親子の情が故事に擬えて語られるのだがこの部分、演劇として考えると冗長であろう。しかし宝生流の繊細な節使いが堪能できたという点では悪くなかった。弱吟の甲グリが謡に華やかさを添えている。
やがて帰宅した父を責めるシテツレ(月若の姉)。自分は月若にそんな言付けをした覚えはないと語り、供に死を嘆く。関師、型どおりシオルのだがこれがきちんと嘆きとして成立している。と、何故か竹林の七賢が子の死を哀れみ蘇生させてくれる。ここは地謡で語られるのみで、ワキを先頭に幕入り。最後に母が残って留めるのは狂女ものと同じ。
これを期に一家は家を寺に変えるのだが、竹林の七賢に法力が備わっているわけではないので少々唐突に思える。しかし敢えて追求することもないのだろう。
シテ、ツレはとくに観るべきものもなかったが、地謡は聴き応えがあった。

能 「錦木」
シテ 小倉 敏克
シテツレ 東川 光夫
ワキ 殿田 謙吉
ワキツレ 御厨 誠吾 もう一名不明(ツレは番組に記載なし)
アイ 大蔵 吉次郎
笛 中谷 明(森) 小鼓 幸 信吾(幸) 大鼓 亀井 広忠(葛) 太鼓 吉谷 潔(金)
地頭 高橋 章

世阿弥作。男性の執心恋慕が主題。本説は『俊頼髄脳』。和歌による修辞を多用。当時の都人からすると東北はまさに秘境でその風俗に異国情緒を見出していたのだろう。
ツレは紅入唐織、小面。シテは掛素袍、白大口、直面。大小前に塚の作り物。詞章ではツレは細布を持っているのだが実際には何ももたず。
橋掛りでシテ、シテツレの同吟があるのだが、なんだか不揃いだなぁと思っているうちに眠気に襲われた。疲労が蓄積しているのか前場は半覚醒状態の内に進行。クセが大変心地良い。シテは作り物の中に消えるのだが、これまで観た曲では地謡に合わせてゆっくり中に消えて行く態なのだが地謡が終了と同時に足早に中に入って行った。少々珍奇に映る。
作り物から登場した後シテは半切、法被で華やかな出立。面は怪士系としか解らず。シテと入れ替わってツレが作り物の中に入り、塚から女の家へと鮮やかに場面が転換する。
ここから生前の行状を再現するのだが、女のつれなさを嘆き面を伏せたらたらと下がる様に哀感が漂った。頑張れと応援したくなるくらいであった。結局男は3年間錦木を立て続けるが、家に入れてもらえず空しくなる。詞章から判断するに、女は男が気に入らなかったのではなく、ただ単にその存在に気付かなかっただけなのではないか。随分うっかりさんだが、機織に熱中しすぎたのだろうか。間語で男の後を追うように死んでしまったと語られるところからも、忌避していたのではないのだと思う。とことんすれ違ってしまったわけだが、男が極端に内気で女が極度のボンヤリさんだったのならあり得ない話ではないだろう。
死して後結ばれた事を喜んで舞う舞は黄鐘早舞。やや身体が甘いか。
夜明けとともに全ては夢と消えて終曲。
最も印象に残ったのは地謡。クセが前後にある曲だが聴き応え十分で、地謡によって物語が形成されて行くのをひしひしと感じた。
幸信吾師の掛け声はやはり不気味。掛け声に品がないのはやはり頂けない。

私としては本日の地謡、いずれも満足できるものであった。3番出してすべて及第点の地を謡えるというのはとても大事な事である。
現在宝生流には地頭を勤められる方が何人もいるけれど、そのいずれもが高齢である。年功序列がはっきりした流儀ゆえ致し方ない面もあるが、若手が今のうちにこれらの方々から吸収すべき事は沢山あるのではないだろうか。
宝生九郎の下研鑚を積んだ方々の生前を私は知らず、当時と地謡がどのように変化したのかも当然解らない。あくまでも印象だが、一番目と2、3番目は謡の様子に異なるものを感じた。しかし今出来る最高の物を求めるのが芸の本質であることは確かである。時は戻らず、それゆえ貴重である。まずは自覚。それと精進。これしかない。

時間と体調の関係上やや駆け足の記録だが、ないよりもましということで甘んじる。


こぎつね丸