観能雑感
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2003年06月03日(火) 銕仙会80周年記念能

銕仙会80周年記念能 宝生能楽堂 PM1:30〜

80周年記念能の第1日目。他の2日も魅力的な内容であるが、この日を選択。さすがに全てに出かけるのは不可能。
観世銕之丞家門下の研究と親睦の場として銕仙会がスタートしたのは大正7年。まずは素人会であったのを今回初めて知った。本来観世流の他の系統に属していた人々をも惹きつけたのは、それだけ魅力的な存在であったためだろ。私はここ何年かの舞台しか観ていないが、もっとも興味を引く演能集団のひとつ。九世銕之丞の下、若手に物足りなさを覚えるものの、それぞれの立場で研鑚している様が覗えるのが大変好ましい。今後も観続けて行きたい。
見所は補助席も出てほぼ満員。中正面後列最も正面席寄りに着席。
どうもこの頃すぐ書く気になれず、数日後の記述。

能 「木曾」願書 
シテ 浅見 真州
シテツレ 木曾 義仲 片山 清司 
木曾郎党 長山 桂三 谷本 健吾 馬野 正基 柴田 稔 野村 昌司 
池田 次郎 清水 寛二
笛 一噌 幸弘(噌) 小鼓 曽和 正博(幸) 大鼓 國川 純(高)
地頭 山本 順之

観世流のみ現行曲。シテは木曾義仲に祐筆として仕えた覺明。越中埴生で平家軍と対峙した義仲は、手勢不足を偽装し奇襲をかけようとする。この地に八幡宮があるの見て、覺明に願書を書かせ奉納するが、その際鳩が飛び立ち、これを吉兆と見た義仲達は酒宴を催す。袖本を読んだだけでは何ゆえこの地で両軍が相対したのか不明で、『平家物語』の該当個所にも目を通してみたが、やはりぴんとこなかった。前後関係を知らなくば当然か。『平家物語』は文庫板を所有しているが、部分的にしか読んだ事がない。やはり一度全巻読み通さねばならいとは思うのだが、実行するに至っていない。
橋掛りを義仲を先頭に総勢8名が歩いてくる姿を見るのは壮観。シテは直垂に袈裟頭巾。長袴なのにもかかわらず、腰がまったくぶれない。一同の内で群を抜いた安定感。同吟の出だしが不揃いで気になったがすぐ修正。
義仲の求めに応じて願書をしたため、読み上げるシテ。『平家物語』によると、覺明は平清盛を批難する文書を記し清盛から追われる。この願書にも平家による支配が世を乱していると書かれている。
目付柱付近で下居し、広げた紙を目で追いつつ願書を読み上げる。実際には何も書かれていないがいかにも読んでいるように見せることが重要。下居だけでも相当つらいと思われるが、袈裟頭巾を被っていると耳が覆われ、普段耳にしている自分の声とは異なった聞こえ方をするのではないだろうか。演者側のそんな悪条件など微塵も感じさせず、長文を朗々と読み上げる。
吉兆を喜び、義仲に所望され舞を舞うシテ。この舞は酒宴の余興と同じに戦勝祈願でもある。颯爽として格調高い男舞。人数が多いので舞台は狭いはずだが、その狭さを全く感じさせない。終わるのが惜しいと思うほど。これまで観た浅見師は女性や貴公子の役ばかりで、直面物を想像する事が難しかったのだが、予想に反して実に格好良かった。長絹の下からは解らなかったが、あの流麗な舞姿はこの腰の安定にあるのだと納得。
舞台そのものには満足したが、気になったのが小鼓の後見。幸信吾師の息子さんであると思われるが、ほとんど居眠りしていたよう。眠っていては勉強にならないのではないかと思うが、これは玄人側の問題で見所側としては云々する気はない。しかし顔をあお向け倒れるのではないかと心配になるほどグラグラ揺れる姿は見苦しいの一言。脇正面側からでは相当目触りだったのではないだろうか。後見が観賞の妨げになるのはいかがなものか。

狂言 「福の神」(和泉流)
シテ 野村 万作
アド 深田 博治
小アド 竹山 悠樹

大晦日に出雲大社に参篭して富貴を願う二人。「福は内」と呼ばわっていると福の神が現れ、至極常識的な生活信条を説き、大笑いをして去って行く。
この頃一般的にめでたいと信じられている風習が民俗学的に考察すると素直に喜べない背景がある事実に気付かされる事が多く、「福の神」とは一体何か?と考えてしまい、曲を楽しむには至らなかった。シテの面は何やら不気味。演者も特筆すべきことなし。祝言性は感じられなかった。

能 「姨捨」
シテ 若松 健司
ワキ 宝生 欣哉 ワキツレ 大日方 寛 御厨 誠吾
アイ 野村 萬斎
笛 松田 弘之(森) 小鼓 大倉 源次郎(大) 大鼓 亀井 忠雄(葛) 太鼓 助川 治(観)
地頭 観世 銕之丞

「三老女」の内の一曲。老人遺棄伝説を下に、月を恋う老女の姿と大勢至菩薩への信仰を重ね合わせる。世阿弥の作風を漂わせ棄老の悲惨さは表出せず、透明感溢れる情景を通して仄見える程度。
若松師の事は詳しく解らない。年齢からして観世雅雪師の代に入門したと思われるが、その経緯も知らない。どちらかと言うと地味な存在だが、今回このような節目の会に老女物を披く機会を与えられたのは異例の事ではなかろうか。
ヒシギの前に、ごく短い前奏のような部分(カカリというのだろうか?不明)があった。それだけで初秋の山中のひんやりした空気を感じた。
ワキは下掛り宝生流のためか、陸奥出身で都に滞在している者になっていた。後のシテとの問答を考えると観世流現行どおり都人の方が相応しいように思う。
幕内からの呼びかけでシテ登場。声量はさしてあるように思えないのだが、言語明瞭。芯のある身体で所作が丁寧。姨捨山に仲秋の名月を眺めに来た旅人に都の人かと確認するところが痛々しい。夜遊の供をするからと正体を明かしつつ中入。
比較的短い前場に続いての間語り。チケット購入時は三役については不明だったが、送られてきた番組を見て愕然。よりによって何故この人選なのか。危惧していたよりは多少ましだったが、妙に力の入った語りは相変らず。悲惨な姨捨伝説をこれでやられると白ける。一人で語る時はまだよく、ワキとの問答になると空間の共有感が足りないのが浮き彫りに。里人なのにもかかわらず、姨捨山にいる感じがしない。例外はあるが、能はそれぞれ立場の異なるものが偶然出会い、そこで何かを共有し、また別れて行く世界であると思う。その一瞬の出会いを大切にできないのであれば、能の舞台に立つ意味があるのだろうか。
間語りでは詞章に表れない姨捨の様子が生々しく語られる。親代わりの女性が年老い、視力を失い、体の自由も利かなくなると、男は妻のいいなりに、老女一人を山中に残して去るのである。盲いた彼女に石を生き仏だと偽って拝んでいる隙にその場から離れるくだりは残酷。人とはどこまでも利己的になれるものなのだ。
一声で後シテ登場。淡朽葉の長絹に白大口。面は姥。ワキとの掛合いがしんみりとした情趣があり、短い同吟は立場を異にする二人の思いが一瞬重なったかのごとくに溶け合った。
老いの身ながらも月に誘われて現れた己が身を恥じつつ昔を懐かしみ、クセで大勢至菩薩を賛美しつつも世の無常を嘆く。昔を偲んでの序ノ舞へ。老女物の中、唯一太鼓入りだが、旅人を慰める夜遊の舞であることを考えると納得。静寂の内にもある種の華やぎが感じられる。途中休息が入り、常座で下居しつつ空を見上げる。盲いた目で月を見上げるその姿は痛々しい。彼女が見たかったものは何だったのだろう。地上を遍く照らす満月か、在りし日の己の姿なのか。
やがて夜が明け、旅人は立ち去り、老女だけが取り残される。彼女は再び捨てられたのだ。その姿も朝の光りとともに見えなくなり、後には姨捨山の風景だけが広がっている。
詞章中に何度も昔を懐かしむ様が登場するが、懐古すべき昔があるというのも残酷に作用するのだと感じた。
若松師のシテを観るのは今回初めてだったが、大曲を隙なく勤め上げたと思う。ワキ、囃子方、地謡とともに、透き通った悲しみの世界を作り上げた。
「老女物は60の声を聞いてから」という不文律が能楽界にはある。近年はそれも大分形骸化してきたようで、今回もシテを除いてそれに該当するのは大鼓方だけである。私としては満足の行く舞台だったが、このような慣習には何らかの意味があるはずであり、考慮する必要もあるのではなかろうか。
シテが幕入りする前に拍手が起こってしまったのは残念。演能中も時折かなり大きな声での私語があった。
笛の後見に川本義男師が付いたが、落ち付きに欠け、周囲を見回し、視線が明らかにシテを追っているのが解るほど。私の席から笛座が良く見えたせいもあるが、これほど嫌でも視界に飛び込んで来る後見は初めて。その場の他の後見と比べてみたが、みな俯き加減に身動きせず座っていた。観賞の妨げになる後見は、本当に勘弁してもらいたい。
まさかここまでは来るまいと思っていたが、やはりいた、狂言だけを見に来た観客。アイの出番が済んで間もなく帰った人と、最前列に座っていてとんでもないタイミングで席を立ち、駆け出すように去って行った人はその類だろう。観賞の目的はそれぞれ異なるのは致し方ないが、能一番観通せないのであれば、能の会には来るべきではない。その上今回は記念の会で、能は老女物の披きである。場をわきまえるという事を、こういう人達は考えるべきである。


こぎつね丸