観能雑感
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2003年05月31日(土) 第15回 二人の会

第15回 二人の会 喜多能楽堂 PM1:30〜

喜多流の塩津哲生師と香川靖嗣師の主催。
台風の影響のため雨脚が強い中を出かける。不眠で能を見るのには適さない状態。念のためカフェイン剤服用。
悪天候にもかかわらず、会場5分前に到着したロビーには既にかなりの人数が集まっていた。2階自由席なので自主公演の時と同様に入場順を示す番号札を受け取る。28番。舞台正面ほぼ中央の2列目に着席。
開始前に女声アナウンスが入ったが、「定家」のアクセントが「定価」のそれといっしょで、いくらなんでもそれは変だろうと心中で突っ込む。
気力、体力ともに不足でやや日数を経て記録。

能 「定家」
シテ 塩津 哲生
ワキ 森 常好
ワキツレ 舘田 善博、則久 英志
アイ 高澤 祐介
笛 一噌 仙幸(噌) 小鼓 久田 舜一郎(大) 大鼓 亀井 忠雄(葛)

本曲を観るのは3度目だが、下懸りでは初めて。まだ映像の形としても能を見たことがない頃、『能楽手帳』を読んで最も興味を引いたのがこの曲。好きな曲である。
笛座に付いた仙幸師、どうも顔色が優れないように見える。ヒシギがあまり鳴らず何やら苦しそうだが、その後は通常通り清澄な音。
ワキ、ワキツレの同吟がやや不揃い。晩秋の山の空気を感じさせるこの道行は特に好きなので、やや残念。
幕内からの呼びかけでシテ登場。無紅唐織着流しだが、淡萌黄が入った明るい色調。面は増。コトバやや不明瞭。同世代である先日の山本順之師と比すと物足りない。流儀の傾向として、型重視で謡が弱い感あり。唐織を通して見ても、重心が低いのが解る。
初同が驚く程自然に、全員揃って出てきた。場の空気を乱さずに溶け込んでくるようで、これまで聴いた中で最も見事な謡出し。地頭粟谷菊生師、副地頭能夫師の力量か。クセも聴き応えあり。
このクセ、式子内親王の境遇に定家の執心が部分的に混じっている。これまで何度か詞章を読んでいるのにもかかわらず、今回観るにあたって目を通した際漸く気付いた己の鈍さに愕然とするが、石塔に巻きつく蔦葛のごとく個が分不明になっている様の象徴のようで、こんなところにも作者の意図が隠されているのだろうか。
里女がいつから内親王になるのか見ていたが、立ち上がって目付柱付近で石塔を見込んだ後姿に他を圧する気が漲り、明かに別人になっていた。作り物の前に立ち、姿を焼きつけるようにして中に消える。
演奏は素晴らしいが、時折咳き込みいかにも具合が悪そうな仙幸師。中入後切戸から2番目に出勤の松田師が現れ後ろに座り声をかけ、仙幸師からハンカチらしきものを受取る。仙幸師の耳打を頷きながら聞く松田師。その後また切戸から退出。仙幸師は非常に気分が悪そう。事前に頼んでおいたのか、状況から判断したのか不明だが、今だかつて見た事のない光景にこれからどうなるのかと心が騒いで高沢師の間語に集中できず。己の未熟さを思い知る。後場開始真際に再び松田師登場、後見座に付く。流儀が異なる者同士なのでやはり非常事態なのだろう。
習ノ次第で後シテ登場。紫長絹に緋大口。痩女。詞章に合わせて蔦葛を見やる型が効果的。僧の読誦に感謝しつつ舞を舞う。
しっかりした位の序ノ舞。透明な笛の音の響く中、流麗ではなく、一足一足確かめるような舞。求道者めいて沈鬱な痩女の面が舞いが進むに連れて穏やかな表情に変わって行くように見える。
以前「井筒」を観た時にも気になったのだが、塩津師、舞の直後の謡が苦しげ。実際苦しいのだろうがそう感じさせないのがプロなのではと思う。
解き放たれたのも束の間、再び蔦葛に縛められる内親王。彼女が戻って行く場所はこの石塔しかなく、定家葛と供にあるのは必然なのかもしれない。永遠に繰り返される開放と拘束。
作り物の中を2回通りぬけて絡まる蔦の型を見せたが、視界の狭い女面をかけているのでどうしても足元を探りながらになる。以前観た浅見真州師は段差があることなど一切感じさせないくらい滑らかな動きだった。この型に関してはあれを越える事など不可能だと思える程で、これを基準にしてしまうといささか物足りない。
どこが不出来というのではないが、格闘の跡が見えず、未消化な印象を受けた。やはり一筋縄ではいかない曲なのだ。
シテが幕内に入る前から盛大な拍手が起こってしまう。なぜこの曲調で拍手できるのだろうかと不思議。演能中はぐっすりお休みの方に限って拍手が大きいと思うのは気のせいか。
仙幸師、演奏は見事だったが大事にしてもらいたいものである。

狂言 「寝音曲」(和泉流)
シテ 三宅 右近
アド 三宅 右矩

上から見ると、橋掛りを歩いてくる右矩師の腰が上下しているのが良く分かる。長袴をはいている事を割り引いてもかなり気になる。発声の際首が前後に動くのも目に付く。不自然な笑いを作らないところは買えるので、若いのだし改善していってもらいたい。
主に謡をせがまれ、酒や膝枕を所望して何とか逃れ様とするが主はことごとく願いを聞き入れてしまう。「女性の膝枕じゃないとヤダ」とごねる太郎冠者、主の膝で我慢しつつも己の暗示にかかったのか、胸のあたりを触ってしまうところがとても艶。右近師の持ち味が生きる。以下、話の流れは知ってはいてもついつい笑ってしまうところが随所に。これまで意識した事がなかったが、右近氏、体のキレがとても良い。
所作が多く、話も単純なこの曲、やはり見ていて楽しいのであった。

能 「猩々乱」 壺出
シテ 香川 靖嗣
ワキ 宝生 欣哉
笛 松田 弘之(森) 小鼓 鵜澤 洋太郎(大) 大鼓 柿原 崇史(高) 太鼓 金春 惣右衛門(金)

祝言曲として半能となった本曲、現行曲中最短なのだそう。「乱」が付けずに上演される機会の方が稀なのではないかという気がする。
松田師の後見に内潟慶三師が付く。今回が披きとは考え難いので重習いであることを考えて後見を頼んだのだろうか。師に後見が付くのを見るのは初めて。柿原師の後見は甥にあたる白坂師であろうと思われる。九州在住なので聴く機会は少ないが、信行師は一度だけ拝見した事がある。今日は弟の保行師の方だと思うのだが定かではない。
ワキは萌黄に金糸で文様が織り込まれた厚板に白大口で、ワキ方としては相当華やかな出立。途中で扇を広げる所作があるのだが、青地に銀で波、月が描かれていて、思わず欲しいと思ってしまった。
後見により柄杓をのせた壺の作り物が正先に出される。幕内から足拍子を鳴らしながらシテ登場。下り端に乗って橋掛りを進んで来る。
松田師の奏する下り端を聴いてみたいというのが本公演に足を運んだ要因のひとつ。演奏自体は素晴らしいのだが、迫力がありすぎて酒好きの童子のような妖精が波間から姿を現すという、長閑な光景を想像し難い。
全身を紅一色で統一したシテ。専用面の猩々はさして視界が広いようにも見えないが、難なく柄杓を取って酒を汲む所作をこなす。
乱というテンポが頻繁に変わる特殊な曲に乗って舞うシテ。流れ足、抜き足等、酩酊して波間を漂う様を表わす特殊なハコビが随所に見られる。ほとんど動き通し。上から見ていると香川師の体の使い方が実に見事なのがよく分かる。
重習いのためか舞台には緊張感が漂い、想像していたのんびりした情景からはやや遠かったのが以外だったが、面白かった。
付祝言にも用いられるキリはいかにもめでたく、楽しい雰囲気のまま終曲。

この1番、私が実際に舞台で観た能のちょうど100番目にあたる。偶然とはいえ、このような祝言曲が区切りとなるのは祝福されているようで嬉しい。


こぎつね丸