観能雑感
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2003年03月14日(金) 銕仙会定期公演

銕仙会定期公演 宝生能楽堂 PM6:00〜

突発的に出かける事に決めた先の2公演とは異なり、こちらは早めにチケットを購入しておいた。銕仙会の定期能に出かけるのは昨年秋以来。見所には制服姿の高校生や大学生らしき人々が目立つ。この雰囲気、久々だなぁと思う。ボーっとしていたのか、古書店で入手した「盛久」の袖本を忘れてきてしまう。悩んだ末「西王母」と一緒に購入。長く連載が続いているマンガのコミックスを重複して買ってしまったりと、脳神経細胞のシナプスが途切れまくりなのか。
やや日を空けての記述。週に3本は無理があった。

能 「西王母」
シテ 西村 高夫
シテツレ 浅見 慈一
ワキ 森 常好
ワキツレ 梅村 昌功、舘田 喜博
アイ 野村 与十郎
笛 一噌 隆之(噌) 小鼓 幸 正昭(清) 大鼓 柿原 光博(高) 太鼓 観世 正伯(観)

女仙の頂点西王母がシテの脇能。10年以上前になるが、中国の神仙に興味があったので、聞きなれた名前である。本曲では美しい女性の姿として描かれるが、記録に登場し始めた頃の西王母は妖物のごとき外見で、ほとんど鵺状態。人間の姿をとるのはやや時代が下ってからになる。
狂言口開で開始。アイの扮装は異国的。帽子のてっぺんに赤い房があるのがかわいい。
真ノ来序でワキ、ワキツレ登場。これまでに行った事のある能楽堂で最も音響がいいのはここ、宝生能楽堂だと思う。特に脇正面で聴く音は最高である。しかし本日は珍しく暖房が効き過ぎで、やや暑いと感じるくらい。小鼓方は大変そうだった。笛にとってもあまり良い状態ではないだろう。太鼓は良く鳴って、長く引く掛け声の消える瞬間まで耳に届く。小気味良く品のある元伯師の太鼓、好きである。
ワキは宮殿を模した屋根付き一畳台に、ツレは地謡前に着座。梅村師、下居の時に首が傾いてしまうのが気になる。正面席で観ているのであれば然程気にならないのかもしれないが、脇正面からでは目立つ。
一声でシテ、シテツレ登場。唐織着流し。同吟に乱れはない。動きがほとんどなく王に桃花を捧げ、正体を仄めかして中入。
後シテは鳳凰の天冠、黒垂、緋大口に白地に鳳凰の刺繍入り舞衣。腰には鬘帯を巻いた剣を佩いている。装束は美しいが、華やぎには欠ける。女性としては最高位の神仙が3千年に一度実を付ける桃を王に献上し、御代を寿ぐのだ。めでたさ天上破り!のはず。地謡が九皐会、宗家派に地盤がある方々が半分を占め、統一感を欠いたのも要因か。中ノ舞を舞って終曲。
これといった不備はなく、平凡な出来といったところか。

狂言 「八句連歌」
シテ 野村 萬
アド 野村 万之丞

この曲、昨年末万作、萬斎親子で観たばかり。さて、どうなるか。
借金の返済期限を延ばしてくれとたのみに行くシテ、貸主は居留守を使う。その帰り道、借主は現況を嘆くのだが、静かな語りの中にこの人物の過去まで垣間見えるようで、人物の造形が立体的に浮かび上がる。現代に置きかえるならばこの男、知人の保証人になったがその人物が行方不明になり、負債を肩代わりする事態に陥った、そんな事を想起した。橋掛りで満開の桜に見とれ、貸主に歌を残していこうと舞台に戻るまで、萬師の視線の先に本当に花が咲いているようで、思わず虚空に視線をさまよわせてしまった。言葉と所作で観る者の想像力を喚起する、これが能楽の醍醐味であり、巧みな演者により様々な物が現前するかのように錯覚するのはとても楽しい。
その後二人の間で連歌を通して借金の返済をめぐる駆け引きが行われる。ほとんど動かずに言葉のみの応酬。万之丞師、太郎冠者よりこのような主の方が尊大さの悪影響が少ないのでいくらかましか。従兄弟と異なり見所を湧かせようという意図が生々しく露呈しないところはいい。
連歌を楽しんだ貸主、褒美だと言って借用書を渡す。一度は固辞するが「いらないのか」と問われて受取る借主。短い時間に揺れ動く心情が伝わってきた。萬師の芸が光った一番。この方、何をやっても上手いなぁと思う。

能 「盛久」
シテ 浅井 文義
ワキ 宝生 欣哉
ワキツレ(従者) 殿田 謙吉 (輿舁) 大日方 寛、御厨 誠悟
アイ 山下 浩一郎
笛 松田 弘之(森) 小鼓 鵜澤 速雄(大) 大鼓 安福 健雄(高)

元雅作の現在物。シテがワキの土屋三郎に呼びかけるところから始まる珍しい構成。都から鎌倉に護送される盛久、清水寺に参ってから鎌倉への道中を舞台と橋掛りを使って表現。ワキとの問答以外は風景描写とシテのモノローグが続く。浅井師、声が若干こもり気味ではあるが、斬首を待つ咎人としての風情はある。言葉が立ち立ち姿の美しい欣哉師、良さを存分に発揮。直垂を着ていて袴部分の裾を引きずる体であるが、その裾さばきが実にあざやか。装束に余分な皺が寄らない。先の万之丞師と比べるとその違いは明瞭である。
地謡、こちらは銕仙会生抜きの人員構成。力感、統一感とも初番よりも上。地頭の銕之丞師、地謡座にて目を閉じ、下向き加減で身体を前後に揺する様はおなじみであるが、品位には欠ける。何とかならないかとも思うが、どうにもならないのだろう。
刑の執行予定を告げに来た土屋の許しを得て観音経を誦読する盛久。懐の経文を紐解き二人で読誦するのだが、何も書いていないはずの巻物を目で追う二人、本当に読んでいるかのような自然な目の動きだった。明け方、まどろむ盛久は霊夢を見る。目覚めた時、照明は勿論変化しないが朝の光りが差しているかのように感じられた。
由比ガ浜で斬首に処されるはずだったが、観音経の威徳でその刀が折れる。頼友の要請で御前に引き出される盛久。間語りの間に物着するのだが、後見が手際よく装束を着付けて行くのはいつ見ても感心する。浅見真州師は後見としても優秀なのではないだろうか。烏帽子の折れる向きが当然ながらワキと異なる。同じ舞台に異なった折れ方をした烏帽子が並ぶのも珍しい。
クセで霊夢の内容が語られる。頼朝は臨席している態で舞台は進行。巧みな省略技術である。地謡、適度に盛り上がって良かったと思う。
退出しようとして呼び止められ、やはり斬られるのかと緊張が走る。表情を変えずにこの緊張感を表現できるのは凄いと思う。頼朝も同じ夢を見たため、奇特に思い、盃を与え舞を所望。男舞が舞われる。謡が中心の曲なので囃子所はこの男舞くらい。だからこそ笛のアシライの良さが際立つのであるが。松田師の演奏、しつこいようだが、やはり格好いい。安福師、良くも悪くもこの方は気合が表出しない。この種の曲には若干物足りなさを感じる。頼朝と観音の威徳に感謝しつつシテが退場し終曲。
場面展開が多いが不自然を感じさせず、ドラマとして面白い曲。舞台の出来はこちらも可もなく不可もなくといったところか。

観能中、前列斜め前に座っている女性が前に身を乗り出し、頻繁に身体を動かすので視界が遮られ、かなりストレスが溜まった。狂言が終わった後に声をかけようと思ったのだが本人が席を外し、次の曲が始まる直前まで戻ってこなかった。謡がメインで淡々と進行する曲のため声をかけるタイミングが掴めず、また、ここで私が動いて声を出したら自分が迷惑の元凶になってしまうとの思いから、結局なにも言わなかった。宝生能楽堂は列と列の間隔が大きく、勾配がしっかりあるのでこの種の迷惑は被り難いのだが、今回は違った。身を乗り出すのは演能中のおしゃべりと同じように迷惑であり、マナー違反である。

かくして松田弘之師強化週間(?)終了。1週間に3回もその笛の音が聴ける事など、今後はありそうにないので得難い日々であった(週3回公演に出かけるということ自体もうないだろう)。月に2、3回は能楽堂に足を運んでいるにもかかわらず半年以上廻り合わせがなかった事もあったので、非常に嬉しかった。改めてその力量に感嘆したので今度は、師の笛による囃子の全パターン制覇など目指してみようか。無謀な野望だけれど。


こぎつね丸