観能雑感
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| 2003年03月12日(水) |
東京能楽囃子科協議会定式能 |
東京能楽囃子科協議会定式能 国立能楽堂 PM1:30〜
月曜日に国立能楽堂に行ったのでついでにチケット購入。豪華な出演者なので気にはなっていたのだが、直前まで行けるかどうか解らなかったのだ。 思ったより早く会場に到着してしまい、暫し待つ。列は短くチケット売り場より少し後ろあたり。待っている間に車が近くに止められ、中から見覚えのある人物が。時を置かず観世元伯師が現われ乗車。師匠を迎えに来たらしい。アウディか…。 正面席5列目ほぼ中央という良い席に座る事ができた。入りは6割程度。
舞囃子 「養老」(観世流) シテ 関根 祥人 笛 寺井 宏明(森) 小鼓 鵜澤 洋太郎(大) 大鼓 柿原 和弘(高) 太鼓 三島 卓(金)
後シテの登場から終曲まで。地謡は地頭以外若手。 祥人師、上半身にかなり力が入っているようなのだが、下半身がそれをしっかり支えている。舞い始める前の膝に置かれた左手の様子が何気にきれいで目を奪われる。気持ちの良いきびきびとした神舞。 三島師、観るのは始めてだと思う。小柄。音はやや重いと感じた。
「忠度」(喜多流) シテ 塩津 哲生 笛 川本 義男(森) 小鼓 坂田 正博(大) 大鼓 國川 純(高)
後場サシから終局まで。地謡はこちらも地頭以外若手。 地謡が能の時と同じように地謡座に付いている。上掛り二流が目付柱向きに斜めに座るのを見慣れているため新鮮。昨年末に観た金剛流の舞囃子も、思えば地謡は脇正面を向いていたような気がする。下掛りはみなこのように座るのだろうか。 塩津師、舞台の下から磁力で引っ張られているかの如く重心の低いカマエとハコビ。上掛りの役者には見られない、喜多流ならではの魅力がある。仕方話は重厚で迫力十分。腕を切り落とされるところで扇を落すのが痛々しい。観念して念仏を唱えた後討たれる様は、清澄な諦観が漂っているが悲惨さはない。討つ者と討たれる者を一人で演じるのが能の面白いところである。 地謡、統一感に欠ける部分あり。 小鼓、音色があまり良くなかった。
「梅枝」(観世流) シテ 関根 祥六 笛 寺井 久八郎(森) 小鼓 住駒 昭弘(幸) 大鼓 安福 光雄(高)
楽の前後。地頭は祥人師。 祥六師、全身の力が抜けてただすっと立っている感じ。先程の塩津師が下から上に向かって伸びている風なら、こちらは上から吊るされているよう。 久八郎師の楽は始めてだが、今まで聞いたそれとは随分異なる印象を受けた。濁りの多い音色が頂けない。 まだ終わっていないのに楽屋から笛の音が漏れ聞こえてきた。不快。
「善界」(宝生流) シテ 寺井 良雄 笛 藤田 次郎(噌) 小鼓 古賀 裕己(大) 亀井広忠(葛) 太鼓 助川 治(観)
舞働前後。地謡は若手中心。 地がノッて来るところがガラリと気が変わり鮮やか。シテの動きは大きくないのだが重厚。飛び返りはなし。流儀の主張に合わないのか。 先程とは対照的にすっきりとして力強い笛の音で気が晴れるような思い。
異なる流儀を同時に観ると流儀ごとの主張が際立つ。それぞれ見応えがあって楽しめたが、塩津師が一番印象に残った。
狂言「空腕」(和泉流) シテ 野村 万之丞 アド 野村 萬
主から使いを命じられ夜道を行く太郎冠者。怖がりなので些細な事に驚いてばかり。気になって後を追ってきた主にそうとは気づかず驚いて気絶する。持たされた刀をなくしたまま帰宅。主には勇猛果敢に戦ったと大法螺を吹くが、なくしたはずの刀を見せられ言い逃れできなくなる。 万之丞師、太郎冠者にみえない。妙に偉そうなのだ。裏返り気味の声も気になる。夜道を歩きながら怯える様の臨場感が足りない。途中鼻をすすりだしてかなり苦しそうだった。どうにも耐えられなくなったのか、主に作り話を聞かせるところで「ちょっと待って」「了解」のアドリブが入る。後見座に行ってから戻ってきて「お待たせしました」と再会。こういう場面を見るのは初めて。 作り話を聞かせるところで自分で笑ってしまうところがあった。気になる。全体的にメリハリがない。一方萬師はセリフを言っていないところでもきちんと演技している。怯えまくった太郎冠者が持たせた高価な刀を見えない相手に譲り渡そうとしているところを目撃して呆れるところなど、さり気ないが上手い。 終曲後、後見が舞台に戻ってきて正中あたりを拭いていた。太郎冠者が気絶した際舞台に倒れたのだが、その時に鼻水がたれてしまったらしい。万之丞師は花粉症なのだろうか。辛いのは解るが(私も花粉症なので)事前に対策のしようがあったのではないか。かくて狂言方の後見が舞台を拭く姿を見ながらお調べを聴く事となった。あまり良い光景ではない。拭いた後も跡が光っていた…。
能 「高砂」作物出(宝生流) シテ 亀井 保雄 シテツレ 亀井 雄二 ワキ 村瀬 純 ワキツレ 村瀬 提(推測)他1名(番組に記載なし) アイ 野村 与十郎 笛 松田 弘之(森) 小鼓 幸 正昭(清) 大鼓 柿原 崇志(高) 太鼓 小寺 佐七(観)
脇能は囃子の聴き所満載。松田師で脇能を観た事がないので期待は大きい。 正先に竹柵で囲まれた松の作り物が置かれる。 真ノ次第、真ノ一声と脇能独特の囃子が奏される。大小が骨格ならば笛は彩りを添えて情景を描き出す役割と言えようか。その時々、まさにこれと言えるような適切な位取りの笛、荘重な雰囲気を形成する。脇の村瀬師、やはり下居姿に締りがない。 シテ、ツレの登場。いきなり同吟が不揃い。このまま橋掛りから舞台に入ってきても改善されないまま進行。かなり気になる。 地謡、前列は全員若手。地謡座に着いたのを見るのは初めての人もいる。後列は中堅が固めるが、力感に欠ける。宝生流は今年に入って相次いで重鎮を亡くしているので、若手、中堅には頑張ってもらいたいのだが。 老人が正体を明かして船に乗って去って行くのだが、前後であまり変化なし。神になり損なったか。 与十郎師の間語り、力みがなく淡々としているが聴かせる。能の雰囲気を損なわないアイが当然好ましいわけで、その点彼は優れている。全編祝言性に満ちているのだが、ワキの神職に新造した舟に初乗りして住吉に赴くよう促すところはいかにもめでたく、間語りにも周到な作能術が覗える。 出端で後シテ登場。あまり神気が感じられない。小寺師の掛け声、個人的に好きである。後見していた息子の真佐人師、若干太られたような…。 さて、神舞である。シテがあまり颯爽としていないのでつい笛方に目がいってしまう。アシライの良さに象徴されるように、松田師の能全体を見るバランス感覚は大変優れていて、決して突出する事はない。舞事には舞事に相応しい音なのだ。とにかくカッコイイ。男神に相応しい爽快さと力強さ。圧倒された。この音の前では言葉は無力である。期待してはいたけれど、一曲通してその上を行く演奏。こんな風に予想が裏切られるのはとても嬉しい。 奇しくも今日は森田流の笛で神舞を二度聴く事になったが、同じ流儀とは思えないほど異なっている。 詞章が大変美しく、全体が寿ぎと早春の柔らかな光りに満ちている。梅の花びらを春の雪に例えるところなどうっとりである。私ごときが言うのもおこがましいが、さすが世阿弥。めでたさが横溢したまま終曲。
以前から気になっていたのだが、幸正昭師、髪を何とかなさった方が良いのではないだろうか。人前にでる仕事なのだから清潔感は大切だと思う。あのようにだらしなく伸ばしているのは願掛けでもしているからなのか?
こぎつね丸
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