観能雑感
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| 2003年03月10日(月) |
第6期能楽三役既成者研修 第1回研修発表会 |
第6期能楽三役既成者研修 第1回研修発表会 国立能楽堂 PM2:00〜
平成14年から既成者研修に入った3名が参加。それ以外は全て第一線で活躍中の玄人が出勤。そして無料。ちょうど良いリハビリだと出かける。先月はそんな事を考える余裕など全くなかったので、とりあえず良しとしよう。 開場の5分前に会場に到着。既に長蛇の列。入り口前から前庭をぐるりと囲んだ円が3/4周程になっていた。 入場してチケット代わりの番号札をもらう。88番。おお、ゾロ目末広がり。研修生からパンフレットを手渡される。足早にロビーを抜けて見所へ向かう。中正面5列、一番正面席寄りをゲット。正面席はあきらめて、中正面の良い席を選んだ。平日昼間の開催にもかかわらず満席。この顔ぶれを無料で観られるとあらば当然か。 誤って度が合わなくなったメガネを持ってきてしまう。視界がぼやけるがないよりましということで…。
舞囃子「龍田」(宝生流) シテ 和久荘太郎 笛 松田 弘之(森) 小鼓 *森 貴史(幸) 大鼓 亀井 広忠(葛) 太鼓 *加藤 洋輝(観) *が研修生 神楽の前から終曲まで。 シテ、地謡ともに若手で構成。シテの上半身が硬く、余分な力が入っているように見える。反面下半身は安定感がなく、上半身と下半身が連動していないかのごとく動きに力強さ、滑らかさがない。謡の声は息を十分に吸っていないように感じられる。これは地謡にも言える事。扇を持つ手が小刻みにかなり震えていたので、相当緊張していたのだろう。 小鼓の森さん(まだ玄人ではないので敬称はあえて付けない)、音色があまり良くない。師が住駒昭弘師だからか?などと、大分酷い考えが浮かぶ。音量も不十分。掛け声にも不満が残る。太鼓の加藤さん、粒が左右かなり違いがあり、輪郭がひまひとつはっきりしない。 神楽は笛方の眼目。今更言うまでもないが、松田師はいい。本曲の神楽は巫女が神懸かりするのではなく神が舞うもの。人間が抗う事のできない自然そのものの力のごとく、理性の届かない心の奥底を揺り動かす。ご本人がそういう力の存在を信じていらっしゃるのではないか。そんな気がする。舞事だけでなくアシライも見事。主張があるが、決して邪魔にならない。
舞囃子「玉鬘」(観世流) シテ 山本 順之 笛 *栗林 祐輔(森) 小鼓 住駒 昭弘(幸) 大鼓 亀井 広忠(葛)
カケリの前から終曲まで。 こちらのシテは実力者。地謡はベテラン、中堅を加え若手中心で構成。 ワキの待ち謡を謡った谷本師、声量はあるし謡そのものは悪くなのだがどうにも覇気がない。山本師、立ちあがった後姿は先程のシテとは対照的に(キャリアが違いすぎるので比べるのは気の毒なのだが)、身体の中心に一本芯が真っ直ぐ通っている。この方の謡の良さには定評があるが、シテの陰鬱な気分が伝わってくる。忌むかのように己の髪に手を伸ばした時、一筋すくいとった髪の流れが目に見えるかのようであった。 小鼓、先程の研修生に比べるとさすがに良い。当然だが。師匠の演奏とすぐに比べられてしまうのは残酷かもしれないが、良い勉強になるだろう。 栗林さん、音色が師の松田師に似ている。力強さ、鋭さはあまりない。何にせよ、松田師が玄人弟子を育てられるのは大変喜ばしい。私は師に後見が付いているのを一度も見た事がない。今は亡き名手田中一次師(私はCDで聴くのみだが)の芸を唯一受け継いでいると言われ、間違いなく素晴らしい笛方であるこの方に、玄人弟子がいないのは残念な事だと常々思っていたのだ。 芸の継承は鎖の輪のようなもので、ひとつひとつ繋がっていかねばならない。途切れたらそこで終わりなのだ。結果はすぐには出ない。気の長い、大変な作業である。
能「善界」(観世流) シテ 観世 銕之丞 シテツレ 柴田 稔 ワキ 福王 和幸 ワキツレ 山本 順三、福王 知登 アイ 竹山 悠樹 笛 *栗林 祐輔(森) 小鼓 *森 貴史(幸) 大鼓 亀井 広忠(葛) 太鼓 *加藤 洋輝(観)
地頭は山本順之師。 緊張した面持ちで橋掛りを歩いてくる研修生たち。公開の場で能一番を勤めるのは恐らく始めてだろう。後見にはそれぞれの師が付く。視界がはっきりしないので間違っているかもしれないが、太鼓の後見は助川治師であろうか。確信はない。 シテ、紺と茶の縞水衣、淡萌黄の篠懸、白大口は紺の紋入り。銕之丞師の謡、一語一語に力が入っていて、やや鬱陶しく感じられる。わざわざ中国から日本にやって来て僧を魔道に落し入れようとする大天狗なので、許容範囲のうちか。ツレの装束、水衣が紺の絽だったのだが、本曲の季節は冬のはずなので(現行では脱落しているワキの謡からそうと知れるとの事)なんだか違和感を覚える。地謡、クセで銕仙会ならではの盛り上がりを見せるかと思ったが、抑え目。 間語り、語り芸として聴かせるにはまだまだ力が足りない。シテの装束替えのための時間稼ぎの感が拭えず。やはり間語りは難しいものなのだ。竹山師、まだ若いので今後の精進に期待。 研修生、笛は緊張が解けたのか、先程の舞囃子より良い。それでも全体的に平板な印象を拭えないのはアシライと舞事、働キ事等の差が明瞭でない為か。師匠と比べると鋭さ、力強さに欠けるにもかかわらず、アシライがうるさく感じられるのだ。こういう位取りは舞台経験を積んで行く中で会得するしかないので、今の段階では厳しい注文かもしれない。 ワキの和幸師、ツレ以外で観るのは始めて。目にするのは久し振り。大きい。とにかく大きい。角帽子を被っているので余計そう見える。ツレの二人もこの方程ではないが長身。橋掛りの天上が近い。 大ベシで後シテ登場。高速で飛んでいるのをゆったりとした歩みで表現するのだが、風に乗って飛んでいる様がイメージできるのが面白い。一の松で所作があるのだが、ちょうど自分の席と向き合う形になり、大ベシミの面が不気味だった。僧に詰め寄る際の面使いが良く、天狗の気迫が感じられた。一応強気に登場するが、僧の祈りにあっさり負けてしまうのがなんだか哀れである。飛び返り、かなり体重がありそうな方だからか、あまりきれいに決らなかった。足早に橋掛りを進むが、キレがない。銕之丞師の動き、つい「のしのし」と形容したくなってしまうので、こういう素早い足捌きはどちらかというと苦手なのか。 小鼓、太鼓の後見は要所要所に出てきたのだが、笛は一曲通して付いていた。良い師匠である。太鼓は特性上当然としても、小鼓は付いていてあげたほうが良かった気がする。ただ住駒師、ご高齢なためか座っているのが辛そうで、仕方ないのかもしれない。 広忠師、3番全てに参加。お疲れ様でした。
笛の音色の良さが印象的だった。今後の期待大。師匠の域目指してがんばってほしい。。小鼓、太鼓のふたりも勿論そうだ。三人とも既成者研修を終了して、協会員になれる事を願う。研修費用は税金から出ているのだ。しかし、受け皿はあるのだろうか。研修修了者が活躍できる場は少ないのが現状である。そういう業界の事情に幻滅して廃業する人もいるとか。家柄に関係なく、腕の良い人に役が付く、そういう能楽界であってほしいと、見所側の人間は思うのである。
帰る際も研修生3名がお見送り。楽屋からダッシュして来たのだろうか。本人の力だけではどうしようもない事もあるだろうけれど、せっかくこの道を志したのだ。歩き続けていってほしい。
こぎつね丸
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