観能雑感
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2003年03月02日(日) 第73回 粟谷能の会 

第73回 粟谷能の会 十四世喜多六平太記念能楽堂 PM1:00〜

副作用の余波で2月は空しいまま過ぎてしまった。体力が落ちているのか風邪がなかなか治らない。睡眠のリズムもめちゃくちゃになって、妙な時間帯に眠るようになってしまった。ただ今鋭意調整中。結局直したい症状はそのまま、バイオリズムを乱されただけに終わってしまった。現在漢方薬服用中。少しは効果が出てくると良いのだけれど…。
3月2日は観世会定期能の日でもある。豪華出演者で観たいと思ったのだが、こちらのチケットを既に入手していたので諦める。観たい会が重なるのはとてももったいない気がする。
会場に着くと、菊生師が挨拶をなさっていた。お元気そうで何よりである。
喜多能楽堂は二階席がある。どんな視界になるのかと興味があったので今回は二階席を取得。舞台のほぼ中央、列の一番前となかなかの好条件。バレエ、オペラでは二階席最前列は間違いなく良い席なのだが能の場合は果たしてどうなるのか。背もたれに背を付けると階は完全に隠れて見えない。舞台自体も少し隠れる。最初はなじめなかったが、すぐに気にならなくなった。

能 「芭蕉」 蕉鹿之語
シテ 粟谷 能夫
ワキ 森 常好
アイ 石田 幸雄
笛 一噌 仙幸(噌) 小鼓 宮増 新一郎(観) 大鼓 國川 純(高)

金春禅竹作と伝えられる複雑な構成の曲。中国の故事、説話から題材を取りながらもあくまでモチーフであり、主題は女性として現れる芭蕉の精を通して日本的な仏教観を表現する事にある。新潮社「謡曲集」、岩波書店「謡曲百番」に収録されている曲であれば観る前に必ず一度は読むのだが、今回は三回読み直してしまった。舞台上でどう展開されるのか興味が沸く。
囃子方が橋掛りを歩い登場する際、かなり壁際に近いところを歩いている。二階席ならではの発見。立ち役とは同じ所を歩かないという事だろうか。
ワキ僧登場。着流し。舞台は中国だがあくまで日本的佇まい。大変難しい役だと思われるが、重すぎず軽すぎない。
シテ登場。紺地段織唐衣着流し、面は深井。こちらも難しい役。次第を丁寧に謡って情景、心情ともに調度よい位を作った。シテとワキの問答は淡々と進みながらも互いの主張、情景がしっかり伝わってくる。シテは成仏させてくれと僧に願うのではなく、結縁したいという自発的態度。儚げなようでいて毅然としている。確かにそこに在るのだけれど、質量が感じられないような、そんな微妙な存在感を漂わせたシテの演技は見事。菊生師、友枝昭世師を擁する緻密な地謡がそれを支える。
シテとワキが向き合う時、きちんと斜め直線状に対峙していて驚く。これも二階席ならではの視点。また照明が近いためいつもよりも明るく感じる。シテの面は照明の下に来ると陰翳が濃くなり年経て見え、離れると若々しく見える。刻々と表情を変えるのが面白い。上から見下ろすので微妙な面使いを見るのは不向きだと思った。以前この能楽堂に来た時感じたのだが、目付柱に近い照明が角度が悪いのか、光度が異なるのか、ここだけ目立って明るい。能舞台の照明は均質に照らすべきだと思うので、気になるところ。
間語は流儀、家によって異なるようだが、今回は芭蕉の下に射止めた鹿を隠した故事を語る。下敷きとなった故事、説話は詞章からはほとんど覗えず、間語によってのみ明らかにされる。それだけに長めの語りだが良い緊張感を保って飽きさせない。間語が単なる前場のまとめではなく、重要な意味をもって挿入されており、禅竹の無駄のない構成に感嘆する。石田師、力まずとも明瞭に伝わる言葉が美しい。
観世流小鼓は下に居る時笛方の方を向くが、笛方は若干舞台の奥に座っていて同一直線上にはいない事が解った。これもやはり二階から見なくては気付かない。
後シテ、濃萌黄の大口に同系色の長絹、金糸で縫い込まれた葉の名称は残念ながら不明。植物に関する知識が皆無である事を痛感。鬘帯もやはり同系色。枯れた緑の濃淡でいかにも芭蕉の精といった風情。
詞章に月明かりに照らされた庭の明るさが度々表れるが、月の明るさは月そのものを見た時ではなく、照らされた地面の明るさによって実感する事を思い出させてくれる。今は庭もなく、月明りより明るい照明があちこちに点在する環境で暮らしているため忘れがちであるが、子供の頃の私は確かにそれを体感していた。
仏法により人身となって現われたシテは「人化の姿を御覧ぜよ」のところでその姿を誇示するかの如くワキと対峙する。ワキ僧との問答で、人も草木もみなあるがままの姿が真の姿であるとする緒法実相を語る事により、自らの存在を受け入れたように感じられた。仏教では女性は成仏できないとされ、緒法実相を説くには芭蕉は女性の姿を取る事が必然なのだ。法華経に禅宗の思考が交差し複雑な構成だが、練り上げられた詞章は美しくその事を訴える。クセはシテと地謡が呼応し見応え、聴き応え十分。一方で強さを見せ、また一方でその儚さを嘆く芭蕉の精は、生きる事の喜びと哀しみを象徴している存在であるかのよう。
序ノ舞、笛の音が冴え、月明りの下静かに舞う芭蕉の精の姿を陰翳豊かに描き出す。陶酔に流れる事なく、己の存在を確かめるかの如きある種の無骨さが新鮮に感じられた。舞そのものに酔うというより、思考を誘発させる舞。
その女性も消え、後には破れた芭蕉の葉が残るのみ。結縁した芭蕉の精の満足と、迫り来る冬の訪れを予感させる最後。
2時間以上かかったが、一曲を通して漫然とするところがなく、密度の高い舞台だったと思う。能夫師は知的かつ緻密な役作りをするが、不思議とそれが見所に伝わらない気がする。今回はそれが良い方向に作用して、極めて抽象的な芭蕉の精という存在をベタついた情感抜きで見事に表現した。これまでに観た師の舞台では最高の出来だと思う。
凝った構成で何の予備知識もなしに観るのは辛い曲だと思う。現代は解りやすさだけが徒にもてはやされて、こうした事前の準備を必要とする舞台は無意味だとする意見をよく耳にするが、己の怠慢を正当化しているに過ぎない。自ら対象に近付いてこそ世界は広がるのだ。
見所に銕仙会の事務局長である笠井氏を発見。研究会の頃からの縁で、能夫、明生両師の舞台は足を運んでいるのだろうか。HPで展開されるこの3名の対談は面白い。流儀、立場の異なる人どおしが互いに刺激しあっている姿が見られる。

狂言 「伊文字」(和泉流)
シテ 野村 万作
アド 高野 和憲、深田 博治

婚期を逸した男が召使を伴い清水へ参拝。霊夢を見てある女性に声をかけるが和歌で返答され、太郎冠者は肝心な部分を聞き逃す。二人で関を設けて道行く人に聞き逃した所を尋ねるというかなり無謀かつ無責任な展開。
高野師が主、深田師が太郎冠者なのだが、二人が主従関係にあるとは思えない。友達どおしのように見えてしまうのだ。「太郎冠者」とは何なのか。そういう基本的な理解が欠落しているような気がする。土台がしっかりしていなくては、その上に何も築く事はできない。
万作師、所作が丁寧でハコビが美しい。勝手に作られた関で妙な質問をされ、迷惑がりながらもきちんと答えてやる旅人を演じているのだが、嫌味がなくサラリとしていた。それでいて人物像に奥行きが出ている。若い二人はこういう所をきちんと吸収してもらいたい。
旅人の活躍で見事女性の居所が判明。昔の人は気が長かった。

仕舞 山姥 クセ 粟谷 菊生

菊生師の謡はやはり迫力がある。下居から立ち上がる時も安定していた。地謡、粟谷充雄師の声がはっきり認識でき、明らかに一人はずしている。こういう所が喜多流の弱さだろう。

能 「鉄輪」
シテ 粟谷 菊生
ワキ 宝生 閑
ワキツレ 宝生 欣哉
アイ 野村 万之介
笛 松田 弘之(森) 小鼓 鵜澤 洋太郎(大) 大鼓 亀井 広忠(葛) 太鼓 観世 元伯(観)

松田師、以前も感じたのだが橋掛りから本舞台に入る際、影向の松(もちろん見えない)にきちんと一礼している。今回上から見下ろす形なので、よりはっきり認識できた。見ていて清々しい気持ちになる。続く3名はあまり気にしていないよう。こういうところにも舞台に取り組む意識が表れるものだ。
万之介師、カマエも下居姿も背が曲がり気味で力がない。万作師よりも若いはずなのだが、年長に見えてしまう。以前よりも痩せられたようだが、不調なのだろうか。
次第でシテ登場。松田師の次第は「何か出てくる!」事を予感させてくれるので好きである。シテの謡、怨恨を意識してかじっとりと重いが、あからさま過ぎて興ざめ。ではどうすればよいかと問われるとよく解らない。考えてみるとこの曲、なかなか難しいのかもしれない。面は泥眼。アイと対峙する際は床几は使わず下居。
ワキツレの欣哉師、裃着用にもかかわらず実に滑らかなハコビ。昨年秋の粟谷能の会でも、やはりシテが明生師、ワキが欣哉師、大鼓が広忠師で、その時も感じたのだが、手前にいる欣哉師の顔よりも広忠師のそれの方が大きい…。些細な事だが。
後シテ、面は生成か。額だけが白く残りの部分は赤い。赤地箔は無地ではなく白い模様入り。祭壇に近付き見込む姿は、シテだけに見えている男性と女性を見ている様をよく表現していた。後妻打ちの時、祭壇に供えられた鬘を激しく揺らし、かなり生々しい。しかしシテが本当に憎いのは心変わりした夫なのだ。いよいよこれから復讐という時に晴明が召喚した神々の通力に負けて力を失ってしまう。急に電源が切れたかのように脱力するところは巧み。弱りつつもまた来る事を暗示して終曲。この部分はあまり執心を感じさせないままあっさりとしていた。ここにこそ女の恨みの深さが込められていると思うのだが。
切れ味の良さを期待していたが、不必要に重く感じた。残念。

休憩時間中、歌人の馬場あき子氏を見かけた。小柄できれいな方だった。

今回、ネット上の知人でこの拙文をいつも読んで下さっている方とお目にかかり、お話する事ができた。楽しい時間をありがとうございました。

帰宅するとなんだが熱っぽい。先の見えないまま春。ふと、秋山小兵衛のような生活に憧れてしまう。無理だけど。


こぎつね丸