観能雑感
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| 2003年01月19日(日) |
第12回 研究会別会 |
第12回 研究会別会 観世能楽堂 AM11:00〜
相変わらず風邪続行中。高熱を発しているわけではないので出かける。「松田師の神楽」(まだ聴いた事がない)、「関根祥人師シテ」(まだ観た事がない)などと心中で呟きながら多少ボーっとしつつも身支度を整える。ああ、マニアの道はケモノ道…。 開場時間の10:20ちょっと前に到着。既に30人程の列がある。指定席券を持っている人もいたので、みんな熱心なのだなぁと感心。ちなみに私は勿論自由席。前もって自由席部分を示した座席表を送ってもらったのだが、要するに見難い場所が自由席。中正面全部とか、そういう分り易い区分ではない。当日は赤いシールが貼ってあった。結局通路を挟んだ中正面後方の一番前に座るが、笛方が一部しか見えない位置だった。まあこれも仕方がない。予想よりも見所が埋まる。さすが大観世。別会でもあることだし。 基本的に観てから時間を空けずに感想を書くのを旨としているのだが、今回風邪のため若干日数が経過してしまった。些細な部分での記憶違いはご容赦願いたい。
能 「巻絹」 出端之伝 諸神楽 シテ 観世 芳伸 シテツレ 津田 和忠 ワキ 村瀬 純 アイ 山下 浩一郎 笛 松田 弘之(森) 小鼓 鵜澤 洋太郎(大) 大鼓 柿原 崇志(高) 太鼓 観世 元伯(観)
別会だけあって小書二本立て。出端之伝は当日配布された解説書によると一子相伝だそうだが、今月国立でもこの小書で出たはずなのだが。それに本日のシテは宗家の双子の弟さんのさらに弟さんなので、本当に一子相伝なら伝わらないはずでは?非常に大時代的権威主義を感じて興ざめ。諸神楽というのは通常の神楽では最後の二段を神舞の譜になるところを全て神楽の譜で演奏するものだそう。 ワキの村瀬師、関東では数少ない福王流ワキ方だが、下掛り宝生流に比べると見劣りするのは否めない。下居姿もしまりがない。 ツレの津田師。熊野に赴く途中、つい梅の美しさに心奪われて歌を詠み、到着が遅れてしまうという風流な役。直面。ツレだけれど随分しっかり謡うなぁという印象。シテとのバランスはどうなるのか? 遅刻を理由に勅使のワキから罰せられ、アイによって縛られてしまうツレ。そこに出端でシテ登場。通常の装束より女性的な印象(常の出立は写真でしか見た事がないが)。烏帽子は金の風折烏帽子、鬘なのだが面の両サイドに若干垂らしていて初めて見る形。面は万眉か?鳥ノ子色と言うのだろうか、白にごく僅かにオレンジを足したような、光沢のある美しい舞衣に若干濃い同系色の縫箔。手には梅の枝に白い絹が一筋巻かれている。 出端で登場するのだからこの時点でただの巫女ではなく神がかっているはずなのだが、謡にも立ち姿にもそれが感じられない。ツレの方が強そうなのだ(縛られているが)。神々しさ皆無。 ツレとのやり取りでツレが本当に歌を詠んだ事を明らかにし、縛めを解いてやる。面を掛けた視界ではこういう所作は見ている以上に困難が伴うのだろう。 諸神楽だが、通常の神楽の方が法悦感が高まって行くようで面白いなぁというのが正直な印象。シテがもっと力量のある方だったらいろいろと楽しめたのかもしれないと思うと残念。40そこそこでこのような小書付きでシテを務められるのも、やはり宗家の生まれだからなのだろうなぁ。キリの地「神は上がらせ給うと云ひ捨つる」で持っていた梅の枝を後方にサッと滑らせ太鼓の前で止まったところは予想外の展開でびっくり。神懸かりの状態から常の状態に戻ったという事を象徴的に表したのだろうか。 太鼓が観世流の為か、渋く重々しかったが、私としてはこういう雰囲気、好きである。元伯師は若いが立派だなぁと思う。 別のシテで観たかったというのが正直な印象。役に負けていた。
狂言 「文荷」(和泉流) シテ 野村 萬 アド 野村 晶人 小アド 野村 祐丞
主から恋文を渡して来るように頼まれた太郎冠者と次郎冠者。互いに押し付け合うが結局二人で行く事に。棒に文を吊る下げて肩に担い、「恋しい(小石い)文は重い」などと戯言を言いながら行く。次郎冠者の祐丞師の方に文を近づけて(重さがこちらにかかるようにする)、少しでも自分は楽をしようとする太郎冠者萬師、こういうちょっと意地悪をする時の師の様子、最高に可笑しい。結局二人は途中で文を盗み見てしまい、奪い合いをしたため文は真っ二つに裂けてしまう。主の怒りに触れ先に逃げ出す次郎冠者。裂けた文を「お返事でございます」と差し出す(所詮あなたの想いはかなわないとの隠喩とも取れる)萬師、その恐れ入りつつも自分も可笑しさをこらえているかのような有様に、ついついこちらも吹き出してしまう。こういう軽やかな役をサラリとこなすところに萬師の真骨頂があるのだなぁと思う。 後で調べたところ、使いの二人が文を担ぎながら歌う歌は「恋重荷」の一節なのだそうだが、全く気付かなかった。まあ、詞章を暗記しているわけではないから仕方あるまい。それを知らなくても楽しめたのだし良しとしよう。
能 「住吉詣」 悦之舞 シテ 関根 祥人 随身(子方) 小野里 康充、木原 康太 童(子方) 関根 祥丸 光源氏 関根 知孝 立衆 小野里 修、木月 宣行、北浪 貴裕、角 幸二郎、上田 公威 惟光 武田 尚浩 侍女 下平 克宏、大松 洋一 ワキ 殿田 謙吉 アイ 橋本 勝利(実際は野村祐丞師代演) 笛 藤田 大五郎(噌) 小鼓 北村 治(大) 大鼓 亀井 忠雄(葛)
シテツレが非常に多い曲である。以前TV放送で金剛流のものを見た事があるが、こちらは光源氏がシテであり明石の君がツレであった。観世流では明石の君がシテである。さらに源氏の従者が金剛流ではワキ方が勤めていたのに対し、観世流ではシテ方担当。随身は金剛流ではいなかったように記憶している。今回参考にと持参したのは国立能楽堂主催の公演で上演された折りの金剛流の詞章だが、ほとんど差異はなかった。 お調べが聞えて来る。笛がなんだか苛立っているように感じられたのだが気のせいか。 子方の随身二人を先頭に源氏一行が登場。笈掛付きの烏帽子に弓矢を持った随身(ボディーガード)二人はまだ幼稚園児くらいの年頃のようで、そのものものしい武人の扮装と本人たちの幼さが何とも言えない愛らしさを生じ、見所が僅かにどよめく。 光源氏をはじめ従者達は皆直面。色とりどりの直垂に身を包んだ従者5名に童、随身、惟光、源氏にワキの神主と舞台は華やか且つ飽和状態寸前。 かつては失脚し須磨に流された光源氏だが見事返り咲き、さらに出世。住吉の社に念願成就の参詣をする。神主は祝詞を上げ、童は酌をし今様朗詠しつつ舞う。祥丸君、さすがにしっかりしていた。 アイの祐丞師、休憩を挟んでとはいえ先程の本狂言からの早変わり。風邪、インフルエンザ共に流行している昨今、代演は避けられない事なのだろうが、ご苦労様である。 奇しくも同日に住吉参詣に訪れた明石の上一行が橋掛かりに登場。船の作り物が置かれ、人物配置、装束の種類は「江口」の後ジテ、ツレ登場と良く似ている。シテは薄赤の唐織壺折に薄蘇芳の大口。菱形の紋が金糸で入っているのが珍しい。さてこのシテであるが、ツレの侍女とは登場時から明らかに別のオーラを放っている。美しく教養に溢れ、聡明だけれどもあくまでも控えめな女性として描かれている明石の上そのものといった雰囲気をまとっているのだ。本舞台に入っても本当ならすぐにでも源氏の元に駆け寄りたい心境のところを下居し俯いている様など意地らしさが伝わって来る。互いの愛が変わらぬ事を確かめ合って盃を交し、シテの序ノ舞のところを今回はツレの光源氏と合舞の中ノ舞。直面も凛々しい知孝師との合舞は絵巻から抜け出したように華やかで、心踊るひととき。しかし大五郎師の調子があまり良くないようで、どうもリズムより遅れがちのように聞こえる。大小にも若干の逡巡が見られた瞬間があった。思わず「もう少しだから頑張って〜」と心の中で声援を送ってしまう。ご高齢なので調子の落差が大きいのは如何ともし難いのだろう。 久方ぶりの再会も束の間、源氏の一行は都に戻り、シテは一人舞台に残って一行を見送る。一曲を通して華やいだ雰囲気の中進行するのだが、留めの部分は自分の力ではどうしようもない状況にただ耐える女性の姿を見て、しんみりとする。 それにしてもシテの祥人師、輝いていた。良い役者は登場の瞬間から観客の目を惹きつけるものなのだ。評判はかねがね聞き及んではいるものの、なかなか拝見する機会に恵まれず、やっと本日かなった次第。今度は本三番目物などぜひ観たい。
仕舞 「難波」 観世 芳宏 「兼平」 寺井 栄 「花筐 狂」 観世 清和 「鵜之段」 関根 祥六 「善界」 浅見 重好
個々の感想は省略。宗家、芸は悪くないと思うのだが…。祥六師はさすがの貫禄。この方のシテも未だ拝見していないのでぜひ実現させたい。
「融」 思立之出 十三段之舞 シテ 武田 宗和 ワキ 森 常好 アイ 野村 与十郎 笛 一噌 隆之(噌) 小鼓 宮増 新一郎(観) 大鼓 柿原 弘和(高) 太鼓 金春 國和(金)
配布された解説書によると「思立之出」ではワキが「思い立つ」と謡いながら登場するとのこと。「十三段之舞」はまず黄鐘早舞を五段、次に盤渉早舞を替之型で五段舞い、この間に窕も含まれる。最後に急之舞三段で十三段になるとの事。体力的にいかにも大変そうである。だから囃子方も若手で揃えているのだろうか。 美声の森師が幕内から謡いながら登場するのは情緒があっていい。それだけで場の雰囲気を形作る。シテは一声で登場。その後の六条河原の院の在りし日の様子や、季節になぞらえて己の老いの身を嘆く独白部分は省略。ワキとの問答になる。 ワキ僧としては都の荒廃した庭園に塩汲み桶を担った老人がいきなり登場するのであるから、相当な驚きであろう。ちょっと異様な気配をここで感じ取る事ができる。 その後老人はこの地が融の大臣が丹精した庭園であることや、その往時の華やかな様子を語り、現在の見る影もない有様と己の身のやるせなさを嘆く。僧は気を変えようと名所案内を乞う。方角ごとにいろいろな山の名を挙げ、聴きどころ、見どころなのだがどうもウトウトしてしまう。風邪の影響か。シテの謡も老人を意識してか押さえすぎでどうにも魅力がない。その後老人は塩を汲む素振りを見せながら消えて行く。 出端で後ジテ登場。2、3日の間に3回出端を聴いたがそれぞれやっている事は同じなのに印象が全く異なる。随分前だがプリマであるニーナ・アナニアシヴィリが「『眠り』のパ、『ジゼル』のパ、『白鳥』のパ、全て違います」とインタヴューで答えていたが、同じ形でも曲ごとの雰囲気を感じ取り、それを表現しなければいけないという事は、洋の東西を問わず古典では必須なのだろう。 後ジテ今度は対照的に高く謡う。黒垂を付けているのでより若返った感じ。月光の下、大臣は昔を懐かしむ。「あら面白や曲水の盃」で扇を目付柱方向に投げ、それを拾い上げるのだが、視界が限定されているので本当はかなり困難なのだろうが、難なくこなしていた。ここから長い舞の始まりである。結論から言うと、珍しく舞の途中でウトウトしてしまった。黄鐘から盤渉に変わるのが分らないと困るので段を数えていたのが原因か…。実際は太鼓の手が大きく変わるし、いくら私の音感が悪くても解るくらい明確な変化なのだが、なんとなく数えてしまった。囃子もどこといって悪いという事はないし、舞手も特に難有りという訳でもないのだが、なんだか物足りない。魅了されないのだ。違うシテで観たいなぁと、こちらでも思ってしまった。能の歌舞音曲の面に強く惹かれる私としては堪えられない小書のはずなのだが、何だかあまり楽しめなかった。しかし、シテも大変だが囃子方も大変だったろう。ご高齢の方には体力的にまず無理だと感じた。 三日月の形を舟や釣針などに例えるところなど、風情たっぷりのはずなのだが、あっさりと流れてしまう。一曲を通して月の出と入りに合わせて時間が経過し、その様子を余すところなく詞章に組み込む手腕はさすが世阿弥だと感心する。名残を惜しみつつ、大臣は天へ帰って行く。 源融という人物、臣下に降されたが帝位に相当執着があったらしく、政治的に報われないが故に自宅の庭に浜辺の風景を作り出すという贅沢な道楽に耽ったのだろう。それも一代限りの栄華。執念も残ろうというものだが、この曲では月世界の住人となっている。古作に異なる形の「融」があったが世阿弥が現在の形に改作したそう。そちらは大臣はずばり鬼である。個人的には全編月の運行に従って風景を描き出すこちらの方が遥かに好ましい。もう少し集中力があれば美しい詞章を満喫できたのになぁと心残りである。
三曲とも地謡が安定していた。強いて言えば最後の曲に若干バラツキがあったように感じた程度。やはり大流。底力があるのだなぁと思った。
こぎつね丸
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