観能雑感
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| 2002年12月11日(水) |
東京囃子科協議会定式能 |
東京囃子科協議会定式能 国立能楽堂 PM1:30〜
非常にマニア心をくすぐる会名である。年4回の開催で以前から気になってはいたのだが、今回初めて観に行く事になった。他では見られない濃い番組で楽しみである。 開始時間の50分前に到着。既に長蛇の列。全席自由席なので当然か。狙い通り正面席をゲット。これまで国立の正面席は舞台向かって右端の、見難い席に座る事が多かったので、視界が新鮮。揚幕を斜め正面に見る事ができる。某狂言方ご出勤なので見所の雰囲気が気になったが、囃子の稽古をしてらっしゃる方が圧倒的多数のようで、いつも以上に年齢相が高かった。さすがの追っかけファンもここまで来る人は少数だったらしい。 入場時に疾走する金春國和師を見かける。そのすぐ後、私の目の前を「すみません」と通りぬけて行ったのは、住駒昭弘師の息子さんだろうか。金春師は今年の運営委員長だったのでいろいろ多忙なのだろう。
舞囃子 「雲雀山」 (観世流) 観世 喜之 笛 一噌 幸弘(噌) 小鼓 鵜澤 洋太郎(大) 大鼓 亀井 広忠(葛)
クセから狂乱の態で舞う中ノ舞まで。観世氏は薄色の紋付着用。御髪が白いので、この方は色紋付がよく似合う。一本芯が通っているかの如く強い身体。装束の下にこの強い身体があるからこそ、能が舞えるのだろう。ハコビが滑らかで観ていて気持ちの良い舞。 和服の似合う体型で舞台栄えする顔の面積(おい…)の大小に比べ、笛の一噌師は細身で小顔である。風貌の如く飄々とした音色。いつもの鋭さがない気もしたが、こういうのもいい。 地謡、最初ややバラけたが、後は滞りなく終了。
「雪」 雪踏之拍子 (金剛流) 金剛 永勤 笛 松田 弘之(森) 小鼓 幸 清次郎(清) 大鼓 安福 光雄(高)
金剛流にしかない曲。一段のみの小品で、突然の大雪に見舞われた旅僧の前に美しい女性が現われる。素性を問うと、自分が誰でどうしてここにいるのかも解らないとの返答に、僧は雪の精だと確信する。雪の精は成仏を願って静かに序ノ舞を舞う。雪踏之拍子の小書が付くと、雪の中での舞を表現し音を立てずに足拍子を踏む。 金剛師、体格は立派なのだが前述の観世師のように身体に一本通った芯が感じられない。サユウの始めに右肩を上げるしぐさが若干気になる。全く音を立てない足拍子は初めて。曲趣に合っていると思う。優雅である。 今年最後の観能に松田師の序ノ舞が聴ける事が嬉しい。強いが決して全体の調和を乱す事無く一曲を作り上げる。先日の竹市師が、毎回これだとちょっと辛いかも…と思わせるのに対し、松田師の笛は何度でも聴きたい。吹いている時の姿が実にいい。 地謡、なんとなく不統一。京都が本拠地の流儀なので人を揃えるのが難しいのかもしれないが。今年金剛流を観たのはこれだけ。他流に比して「この人!」と言える役者がいないのが難点か。
「櫻川」(観世流) 関根 知孝 笛 川本 義男(森) 小鼓 酒田 正博(大) 大鼓 高野 彰(高)
「網の段」。ここで若干眠気に襲われる。関根師、40代だが扇を持つ手が震えていた。手が震えるのは年齢だけに関係があるのではないのかもしれない。地謡はこの時が一番良かったと思う。
一調 「誓願寺」 山本 順之(観) 太鼓 小寺 佐七(観) ロンギ。山本師の謡の良さには定評があるので、とても楽しみにしていた。一調はシテ方と囃子方の一対一の真剣勝負と言われるが、その面白さを理解出来るほど観賞経験がないのが残念ではある。それぞれが自分の仕事を淡々とこなしているように見えた。気持ちの良い時間だった。
狂言 「八句連歌」(和泉流) シテ 野村 万作 アド 野村 萬斎
借金の返済期限を伸ばしてもらいに貸主のところを訪れる男。主は居留守を使う。男は花の美しさに目を留め、句を作って貸主に送る。連歌好きの貸主はこれに乗って、両者の句を介した「待ってくれ」「早くしろ」のやり取りが面白い。 万作師の装束が秘色に萌黄と明るい色使いで目を引く。狂言装束の大胆な柄の組み合わせは見ていてとても楽しい。万作師は大げさな演技をせず、淡々と進めているからこそ来る笑いどころの面白さ。この曲は動きではなく言葉遊びを楽しむものなので、萬斎師の厭な面が比較的目立たなかった。得意の見所いじり、今回はやっても不発だと思ったのだろう。 句の出来に免じて褒美は男の借用書。つまり借金をチャラにしてくれるという事で、粋な終わり方である。
能 「羅生門」(宝生流) シテ 高橋 章 ワキ(渡辺 網)宝生 閑 ワキツレ (源 頼光) 森 常好 (平井 保昌) 殿田 謙吉 梅村 昌功、則久 英志、大日方 寛、舘田 善博、御厨 誠悟、宝生 欣哉 アイ 竹山 悠樹 笛 藤田 次郎(噌) 小鼓 住駒 昭弘(幸) 大鼓 國川 純(高) 太鼓 金春 惣右衛門(金)
観世小次郎信光作。シテは後場のみ登場し、一言も発しないという大胆な構成。これだけまとまった数のワキ方が一同に会するのは珍しく、シテ方の会では滅多に出ない曲と言っていいであろう。 直垂に大口、梨内烏帽子を被ったワキ方が舞台に二列に並んで次第を謡うのは壮観。シテ方の次第の雰囲気とは全く異なり、音楽的に流れるというよりは一音一音をはっきり謡うといった風。こういう機会は稀だと思われるので、微妙に揃わないところがあるのはご愛嬌か。ここにいるほとんど全ての人がワキ(ツレではなくて)を勤められる人材である事が、下掛宝生流の強みであろう。宝生弥一、閑親子が後進の育成に熱心だった事が大きい。ここに並んだ全ての人が閑師の薫陶を受けた経験があるのではないか。本人の芸の素晴らしさは勿論の事、弟子の育成についても閑師の功績は多大である。あまりに多忙で身体は大丈夫かと心配になってしまう。 ある雨の一夜、頼光の元に集まった家来たちは酒宴を催す。徒然を紛らわすため話をせよとの頼光の言葉に、保昌が羅生門に鬼が出るらしいと言うと網が反発。口論となり、網は雨の夜中に一人で確かめに行くと言い出す。一同は止めるが、網は鬼がいるのは帝のためにならないと頼政から標を受取り、一人出かける。網である閑師と保昌である殿田師の問答が聴ける機会はまずないだろう。貴重な場に居合わせる事が出来て嬉しい。かなり語気強く言い争い、謡というよりはセリフに近い。ワキ方ならではの言葉の立ち方である。 早鼓でワキ及びワキツレ退場、入れ違いに網の家人であるアイが登場。囃子方はくつろがず、大小は床几に掛けたまま。竹山師、以前観た時より妙な力みが抜けていた。 後見により一畳台と幕をかけた羅生門の作り物が運び出される。網は兜(黒頭と飾り物で表現)を被って登場。動かなくなった馬を乗り捨てるのだが、使わなくなった鞭を受取るためだけに紋付姿のワキ方が後見座についた。門に頼政から受取った標(将棋の駒を大きくしたようなもの)を置いて帰ろうとするが、作り物からシテの手だけがにゅっと伸びて、兜である黒頭を掴む。かなり不気味。網は自ら兜の緒を切って段を飛び降りる。ここから鬼との対決となり、刀を抜き放って立ち回り。鬼は幕内に逃げ込み網の勝利。そうあるべき結末だが、やはり爽快。鬼は顰に赤頭。一言も発せず僅かな出番で鬼らしさを出すのは思うより大変なのだろう。地謡は中堅と若手で構成。やはり自分には下掛より上掛の謡の方が好ましい。
これで今年の観能は全て終了。何分不安定な身分なので、来年どれくらい観られるかは不明だが、出来る限り舞台に足を運びたい。 ところで囃子科協議会様、チケット料金の振替は電信扱いではなく通常の文書扱いにして頂けると嬉しいのだが。郵便局の電信扱いの振込手数料は文書扱いのそれより3倍以上高くつくのだ。宜しくお願いします。
こぎつね丸
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