観能雑感
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2002年12月06日(金) 橋の会第71回公演

橋の会第71回公演 宝生能楽堂 PM7:00〜

発売日の翌日に駄目で元々と電話してみる。辛うじて脇正面の補助席をゲット。残り三枚の内の一枚だった。今更言うまでもないが、友枝師の人気はすごい。
会場ではパンフレットを販売していたので購入。国立主催の会以外では初めて見かけた。見所は補助席を出せるだけ出して且つ満員。

能 「卒都婆小町」(喜多流)
シテ 友枝 昭世
ワキ 宝生 閑
ワキツレ 宝生 欣哉
笛 一噌 仙幸(噌) 小鼓 鵜澤 速雄(大) 大鼓 亀井 忠雄(葛)

開始前のアナウンスに続いてお調べが聞こえてくる。このように静まりかえった中でお調べを聴いたことはかつてなかった。身体の中に染み入るようで、こんなに美しいものだったのだと改めて気付く。
次第でワキ僧が登場。老女物だからか、ワキの次第もしっかりとした位取り。だが、この僧達は着流し姿で高僧という訳ではない。もう少し運んでもいいような気がする。欣哉師の白足袋に包まれた、男性としては大分小さな、幅の狭い甲高な足のハコビを見ているのは、好みのオブジェを愛でるが如く楽しい。
習ノ次第でシテ登場。習ノ次第を聴くのは初めてだが、いかにも得体の知れない存在の登場を予感させるような、底知れない響き。シテは橋掛りをゆっくり進んでくる。歩調が随分遅く感じるのは老女の故か。三ノ松と二ノ松の間で休息。大小前で次第「身は浮き草を〜」を謡う。誘う水があればいくつ齢を重ねても赴く。そういう気持ちを持ち続けながらもその水がない故に嘆かわしいのだが。続くサシ以下、声をかなり低くしている所為か、謡が聞き取り難い。老女物だからだろうか。100歳の老女が珍しくなくなってしまった現代日本だが、中世の百歳は現代の感覚では200年以上生きているようなものだろうか。人というよりは、かつて人であったものと言ったほうが良いのかもしれない。シテの姿からはこのような不気味さはなく、落ちぶれても尚品位を保っているように見えた。疲れたと卒都婆に腰掛けたところを僧が見咎め、仏教論が展開するのだが、老女が僧をやりこめる様を痛快と見るか、瑣末な議論に勝つ事で辛うじて己の優越感を満足させる老残の身の憐れを思うか、意見の分かれるところであろう。シテの姿はふてぶてしくもあり、憐れでもある。僧に身の上を尋ねられ、才色兼備で華やかな生活を送っていた頃に比べ、今の無残な境遇を嘆くのだが、僧から顔を背けるようにしてシオル様が、老いさらばえても尚残る恥じらいを感じさせる。ただの乞食としてなら平然と対処できた僧に対し、あの「小町」であると知らせたからこそ生じる恥ずかしさ。この後のロンギが聴き応え十分で、地とシテが見事に呼応していた。地が「破れ笠」と高く謡って今までの雰囲気を一変させ、シテが外した笠をじっと見込んでいる内に、これまでとは異なる気がシテの身体に充満していく様が見えるようであった。そこから「小町の許へ通ふによ」に続いて、深草の少将が憑依する。地の「月こそ友よ通い路の」で月を見上げ、すぐに月明かりに照らされた地面を見る、その姿に漂う孤独感。叶わぬ恋に身を焼く憐れな男性の姿がそこにある。物着で立烏帽子に長絹を着け、イロエと続くのだが、この時間が小町がこれまで省みる事のなかった男の悲しさを我が身のものとして感じ取るのに必要な時間であるように見えた。今二人は文字どおり一体となっているのだ。「あら苦し、目まひや」と百夜通い達成目前に死した少将の想いを小町が受けとめ、キリの成仏へと繋がるのである。
老残の小町の憐れさよりも、四位少将の哀しみの方に心が動いた。友枝師が謡より身体技術に長けているのも無関係ではないと思う。床几に腰掛けてほとんど動かない前半があるからこそ、この後半が生きるのかもしれない。
橋掛りをゆっくり去って行くシテの面が、老いてはいるが昔日の美しさを確かに感じさせるものである事に気付く。穏やかな、満足感さえただよう幕入り直前の面の表情。
地謡は終始シテの心情に呼応して陰影のある舞台を作った。地頭粟谷菊生師の見事な手腕である。また、囃子もなかなか聴けないくらいの充実振りで、大満足である。
事前の注意の通り、囃子方が橋掛りにかかるまで拍手が起こらなかった。こういう終わり方は大変気分が良い。
この曲、老女物として扱われているが、徒に重く演じては曲趣を削ぐ事になるのではないかと思う。本日の舞台、前半が重すぎた感もあるが、後半で盛り返した。観終わった直後は特にどうという事もなかったのだけれど、しばらく時間が経つと不思議と心地よさが残っている。こういう所も能の面白さだと思う。
しかし橋の会よ、能一番で正面席1万円は足元見ているとしか思えないのだが…。シテが友枝師であるからこそ成り立つ企画と価格設定だと思った。


こぎつね丸