観能雑感
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都民劇場能 宝生能楽堂 PM6:00〜 今最もチケットの入手が難しい友枝昭世師がシテの公演。見所は補助席も出て満席状態。
狂言 「萩大名」 (和泉流) シテ 野村 萬 アド 野村 与十郎、野村 万禄
大蔵流で観たことはあるが、和泉流では初めて。 萬師は目だけで笑えるのだなぁと思った。口元に変化がなくとも、目元が綻んでいる。この方の大笑い、時に痛々しさを感じるのだが何故だろう。 失言を繰り返す大名を諌める際、大蔵流で見た時は太朗冠者は大名に近付かず、手の動きで知らせていたが、和泉流では大名の近くに寄って袖を引っ張る事で教える。大蔵流で太朗冠者は足の脛を示してから退場するのだが、和泉流では大名の物覚えの悪さにあきれ果てて、「こういう人は恥をかいた方がよい」と見捨ててしまう。 主人役の万禄師、初見だが、いかにもつくりましたという笑顔が不自然。これほど表情をつくる必然性はあるのか。カマエも腰高で不安定。 萬師、与十郎師は相変わらずで、まずまずの一番。
能 「景清」 シテ 友枝 昭世 シテツレ 狩野 了一 ワキ 野口 敦弘 ワキツレ 野口 能弘 笛 一噌 仙幸(噌) 小鼓 幸 清次郎(清) 大鼓 安福 健雄(高)
休憩時間中に隣のご年配の男性と少しおしゃべり。宮内庁に関係のあった方で、昭和天皇は能をよく御覧になられたと話してくれた。それに対して現在の天皇は、能に限らず日本の伝統文化にあまり興味を示されないのだとか。ちょっと寂しい。 囃子方、地謡は裃着用。 喜多流では景清の娘、人丸の従者はワキツレが務める。能弘師、こんなに上手かったかと驚いた。やはり父上に節回しなど似ている。ただ、視線が常に下向きかげんなのが惜しい。立ち姿にもう少し精彩があればと思う。 ツレの小面は頬がすっきりとして、ややきつめの印象。人丸の「強さ」を考慮してか。狩野師、腰高なカマエが気になるが、若い女性の香り立つ美しさが感じられる。腰高なのは若い能楽師に対する共通の印象。 作り物の中から有名な「松門独り閉ぢて〜」が聞こえてくる。長い年月風雨に晒され、錆付いたような声。景清の苦悩の日々を想起させる。引廻しをはずすと髭有りの面で大口着用。髭なし、着流し姿で下居している方を見たかったので、少し残念。前者の出立は、武将としての景清を示すというより、匂当(検校に次ぐ位)としての立場を強調するものだとか。 娘が訪ねてきたと知りつつも、現在の己のみじめな境遇から、名乗らない方が良かろうとそ知らぬ振りをする景清。二人は里人に事情を話し、里人はその人こそ景清だと言い、自分が呼びかければ返事をすると二人をつれて景清のもとを訪れる。呼びかける際、「景清、景清」と連呼して作り物の葦屋を扇で強く叩いたのには、予想していなかった激しい動作で驚いた。それにつられて「名前を呼ぶなと言ってあるだろう」とシテは作り物から出てくる。知った仲の里人に安心し、己の侘しい境遇を述べるのだが、抑制された表現だからこそ、哀しみが伝わってくる。里人から娘がいっしょに来ている事を知らされ、二人はようやく対面を果たす。席の関係で、下居しているワキに遮られてシテの姿があまり見えなくて悲しい。 娘から乞われて屋島の合戦話を聴かせる際、これが済んだら帰ってくれと前置きし、語り始める。有名な「錣引き」だが、武勲というにはあまりにささやかで、互いの腕力、首の骨の強さを称えるところは微笑ましくさえある。景清の実像はほとんど伝わっておらず、敗者側の平家の武将達を集約した形と見られている。また、中世の理解では景清は平家物語の成立に関係したとされ、本曲の中でも平家を語る者として造詣されている。武将としてより、社会の底辺で独り寂しく生きる者の哀しみに主眼が置かれているのだろう。 語り終えた父にすがる人丸の面は、涙でくしゃくしゃに歪んでいるように見えた。景清もこらえきれず涙をこぼしているように見え、能面の表情の豊かさに今更ながら驚かされる。 娘の肩に手を廻し、一歩一歩、短いその間を惜しむように、歩をすすめる景清。シテ柱で自らの想いを立ちきるように娘の背を押す。「ここに残る」「参ります」という短いやりとりの中に、相手に寄せる万感の思いが込められている。心情描写など一切なくとも、溢れるような感情が確かにそこにある。 娘を送ってまた独りになった景清の、沈鬱な、でも安堵したような表情。今度こそ彼は心静かに余生を過ごせるのだろう。 シテの動きがほとんどなく、囃子もほとんど鳴らない。滞りなく進む舞台のせいか、ところどころ半覚醒状態になってしまった。地は力強く安定していた。宝生の力強さと喜多の力強さは当然ながら異なる。稚拙な比喩だが宝生のそれが巌だとすると、喜多は重金属だという気がする。自分としては、どうやら巌の方が好ましく感じられるらしい。 卓越した身体技能で知られる友枝師、本曲は演じ映えがしない部類に入るのだろうか。動かない方が心身供に苦しいと解かってはいるのだけれど。最も心を動かされたのは、杖を突きならが橋掛りを帰るところだった。きれいにまとまってはいるけれど、不思議と物足りなさが残った。 二度ほど危うかったが、結局囃子方が橋掛りにかかるまで拍手がおきなかった。いつもこうだと良いのだが。 番組には附祝言の記載があったのだが、ないまま終了。何故?
付記 後日喜多流には着流し、下居という形がない事が判明。某HPを閲覧中明らかになった(この舞台を観た時点ではまだこの点に触れた記載はなかった)。解説書にはここまで詳細には記されていないので仕方がない。正確な知識が増えた事を喜ぼう。
こぎつね丸
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