観能雑感
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2002年07月20日(土) 第13回響の会

第13回響の会 宝生能楽堂 PM1:30〜

能「養老」 水波之伝
シテ 清水 寛二
前ツレ 谷本 健吾  後ツレ 馬野 正基
ワキ 高井 松男 ワキツレ 大日方 寛、梅村 昌功
笛 藤田 六郎兵衛(籐) 小鼓 鵜澤 洋太郎(大) 大鼓 亀井 広忠(葛) 太鼓 助川 治(観)

暑かった。気温35℃。会場に着くまでに既に汗だくになってしまう。やや柱が気になるが、あまり視界を遮るもののない、まずまずの席。
橋掛りから囃子方が登場。広忠師が小さく見えるほど、今回は重量級ぞろいである。実際の所、身長はそれほど高くないのだが、彼は。
多少期待してはいたのだが、切戸口から竹市師が後見として登場するのを見て、内心「きゃああああああ!!!」と叫ぶ。家の子ではないので、出来るだけ能を観る機会を増やすためなのだろうか。
真ノ次第にのってワキ登場。ツレの梅村師は下居姿に締りがなく、気になるところ。下掛り宝生は安心して観ていられるので良いが…。地謡の地取りが妙に大きかったように思う。
真ノ一声にのってシテ、ツレ登場。謡い出し、ツレの謡いがやや弱かったが、すぐに調子を掴む。清水師のシテを見るのは初めて。寿夫師の影響を感じるが、実際の所どうなのだろう。ご本人の意識としては、やはり長年活動活動を共にしてきた八世銕之亟師の影響力の方が強いのだろうか。
脇能の前場は退屈しがちと言われるが、この曲は面白いと思う。このところますます囃子の魅力に取りつかれているので、脇能がとても楽しく感じられる。
ワキ、シテ、ツレで件の滝を見に行くのだが、3人ともそこにはない滝を見ているのをしっかりと感じとれるのが、能のもつ表現力の強さだろう。
シテが先に退場し、ツレは来序にのって退場。なかなか良い直面だとこのとき思う。
今回小書付きなので、常には登場しない後ツレの楊柳観音がすぐに登場。間狂言はない。かなりふっくらした小面で、少しかわいらし過ぎるかなとも思うが、許容範囲内。謡が良く、舞もキビキビとしており楽しく見ていられる。解説書に書いてあったとおり、途中半幕で後シテの姿を見せる場面があり、成る程と思う。席によっては見られないので、今回は幸運だった。
後しての黒頭に一角獣の角のように、椿の立物が付いている。いかにも袖が引っかかりそうだと思ったのだが、実際その通りになってしまう。面は小飛出だろうか?
この曲の最大の見せ場であろうと思われる、神舞が始まる。神と言っても名もない山神。古代の人々が自然の中に神を見た、そんな素朴な信仰を思わせる、荒荒しい、自然そのものといっても良い存在。血気盛んな囃子方なので、どうなるかと期待していたが、楽しめた。能は静かだという印象を持っている人は多いと思うが、こんな豪快な魅力もあるのだ。ただ、名人と呼ばれる人達の録音と比べると、テンポが速く、位は軽いような気がする。広忠師の声がうるさく感じられないほどの大音量。見所では相変わらず寝ている人もいる。なんだか凄い。
橋掛りに行っての所作の途中、危惧していたととおり袖の飾り紐が椿の立物に引っかかってしまう。橋掛り上なので、後見には見えない。ハラハラする。しかし、流石プロ、異変に気付いてもすぐには動かず、流れを妨げない所で外しに行った。こういう場合は主後見ではない方が行動するのだろうか。気になる。後は今上の御代を寿ぎ、あるべき所に帰って行く。脇能っていいなと、改めて思う。
さて、竹市師であるが、師匠が途中痰を吐き出したハンカチ(?)を受取るような場面が見えて、玄人弟子は大変だなぁと思う。ワタシは厭だ…。途中あくびをかみ殺したり、うとうとする場面も見えたが、立ち方の運びを注意深く見ていたように思う。決してワタシは笛の後見ばかり見ていたわけではない。ええ、決して。

狂言 「悪坊」
シテ 山本 則直
アド出家 遠藤 博義 アド宿主 加藤 元

酔っ払いで乱暴者の悪坊が、改心する話。則直師の発声は安定していて心地よい。どこにも無理がない。のだ。酩酊しているので常にふらふらとおぼつかない足取りをしていなければならないので大変そうである。アドの宿主があまり狂言の様式内の発声ではないような気がした。違う芸系なのだろうか?
出家が悪坊の長刀と脇差を持って行き、変わりに自分の仏具を置いて行く。両方持っていかないのは後ろめたさのせいだろうか。これは仏の道を示されたのだと思い、托鉢に出かけて行く悪坊。本人の中に今の自分に対する焦り等があったから、今が良い機会だと思ったのだろう。そうでなければこの豹変振りは説明がつかない。何事も本人の心掛け次第といったところだろうか。

能 「三井寺」
シテ 西村 高夫
ワキ 宝生 欣哉 ワキツレ 則久 英志、野口 能弘
アイ 門前ノ者 大島 寛治
アイ 能力 山本 則直
子方 小野里 静佳
笛 藤田 次郎(噌) 小鼓 飯田 清一(幸) 大鼓 佃 良勝(高)

隣の夫婦が電車の時間か何かがあるらしく、落ち着かない。あと何分などとしばしば口走る。迷惑この上ない。次の予定があるのなら、途中退席しなくて済むように、狂言が終わった時点で帰れば良いのだ。周りの迷惑をまったく考えない利己的な行為に呆れるばかり。
シテのサシから始まる珍しい曲。上歌のところで2箇所コトバが違う。開始早々これでは興ざめ。稽古不足かと疑ってしまう。
前場は短いが、語り中心なので、充実していないとだれる。すこし眠くなってしまった。アイの送りこみでシテ退場。入れ違いに子方、ワキ、能力が登場。子方は女の子のはずだがかなりのショートカット。やはり子方と勤めるのに、長い髪は不要だからか。女の子としては複雑だと思うのだが、どうだろう。欣哉師、相変わらず品があって良い。子方に言葉を書ける際、何とも言えない優しさが漂ってくる。この稚児を大切にしているのだなぁと思わせてくれる。
能力が鐘を付くと、それを期に物狂いの母親の様子が一変する。橋掛りに後向きに立っているだけなのだが、はっきりとそれを感じるのは、思い込みの所為だけだとは思いたくない。
僧から止められたのにもかかわらず、狂女を寺に招き入れてしまう能力。その逡巡する様がまた面白く、言葉の持つ響きを楽しめる。隣の夫婦の奥さんから「このひと上手ねぇ」と声が漏れるが、やはり演能中は静かにしているべきだろう。
舞台に入ってカケリを舞い、ワキにとがめられつつも故事を引いてかわし、鐘を突く母。子を思う悲しみに溢れ、あるはずのない涙が見える。能面とは本当に不思議である。さらに不思議なのは、型としてシオル時以外に、涙を見た事。謡の力だろうか。地頭は山本順之師だが、師が地に入ると入らないとでは、地謡の力に大きな差が現れる。
最後はめでたく母子の再開。共に故郷に帰ってめでたしめでたしで終了。子方がしっかりしていたのが印象的だった。


こぎつね丸