観能雑感
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2002年07月07日(日) 観世会定期能

観世会定期能 観世能楽堂 AM11:00〜

観世会初参戦(闘う訳ではないが)である。健康上の理由でどうなることかと思ったが、無事観に行く事ができた。
会場時間の10:20ちょうどに到着。すでに30名程が待っていた。暑い中熱心である。受付で引換券をチケットに替えてもらって入場。その際。座席の背もたれに付ける「御決まり席」なるプラスチックのはめ込み式札をもらう。なるほど。これで自由席でも安心して席を離れられる。
中正面正面席寄りはすでに大分埋まっていたので、脇正面寄りの一番端に着席。脇正面席よりも一段高くなっていて、視界を遮るものがほとんどなく、なかなか良い。先週の席と通路を挟んで隣だった。
ここは座席が長時間座っていても疲れ難く、配置も見やすいと思うのだが、トイレが少なくてあまりきれいでないのが難点。2階にもあるのだろうか。
何はともあれ能三番、狂言一番、仕舞四番のこってりした番組開始。

能「養老」
シテ 観世 芳伸
シテツレ 吉井 基晴
ワキ 森 常好 ワキツレ 姓名不明
アイ 大藏 基誠
笛 一噌 隆之 (噌) 小鼓 宮増 新一郎 (観) 大鼓 柿原 光博 (高)
太鼓 観世 元伯 (観)
ワキツレが番組表に記載されていないため、不明。下居姿がややしまりがない。シテは老人を意識してか、声にあまり張りがない。ワキツレと同吟する際、あまりあっていなかったような気がする。
脇能は囃子方にとって重習いだそうなので、囃子を聴いているのが楽しい。若い囃子方だがなかなかいい。
アイ、若いので未熟ではあるが、一生懸命さが伝わってくる。それがいい。まだ二十歳くらいだと思う。精進してもらいたい。
来序に乗って後して登場。颯爽と神舞を舞う。囃子が面白い。本来脇能は前場を重要視するべきだと観世寿夫師は世阿弥の著作を引いて述べているが、現状では舞を舞う後場に比重がかかっていると思われる。前場は語り中心、後場は舞い中心で、好配分だと思うのだが、どうだろう。
全体として良くも悪くもない出来。

狂言「牛馬」
シテ 大藏 彌太郎
アド 宮本 昇 大藏 千太郎
1月の宝生月並能と同じ番組。家も同じ。しかし、途中からしか観ていないので、今回初めてと言うべきである。
市場にそれぞれ馬と牛を売りにやってきた二人が、それらを繋ぐ場所を争って競争する話。話の展開に起伏が乏しく、競争に至るまでのやりとりもあまり訴えてくるものがなく、面白くない。今日は千太郎の喉声があまり気にならなかった。

能 「江口」
シテ 片山 九郎右衛門
シテツレ 津田 和忠 高橋 弘
ワキ 福王 茂十郎 
ワキツレ 姓名不明
アイ 大藏 吉次郎
笛 寺井 久八郎 (森) 小鼓 大倉 源次郎 (大) 大鼓 安福 健雄 (高)

これを観るためにチケットを購入したようなもの。間違いなく本日のメイン。
源次郎師は今日も端正である。絽の紋付着用だった。髪を切られたよう。やはり後見はいない。哀しい。
ワキの福王師、コトバが表面的で、役として伝わってくるものがない。ツレは間に合わせ的。
幕内から呼びかけ、シテ登場。面は若女か?この方の謡は抑制されていて好きである。大げさな表現は一切ないが、観る者に強い訴えかけを持つ。しかし今日はしごく平凡な印象。どうした事か。勿論平均点以上の良い出来ではあるのだけれど。立ち姿が可憐であるが、どこか儚げで良い。
中入中、鏡ノ間から聞こえてくる物音が気になる。宗家がぶち切れたのか?などと、つい邪推などしたくなってしまう。後見を勤めておられたが、酷薄そうな印象を受ける。
作り物の船が出て、後シテ、ツレを伴って登場。
居グセではなく舞クセだがなぜか眠くなる。やはり前日によく眠れないと悪影響を受けざるを得ないようだ。仏教的無常観を説いて序ノ舞へ。しかし笛の音色が悪い。息が音にならずに抜ける部分が多すぎて、聞き苦しい。せっかくの序ノ舞なのに。それと安福師、人間国宝だが、どこがいいのか私には解らない。
舞を終え、遊女が普賢菩薩に替わるところだが、どこで変身するのか気になる。「あら由なや」で気を変え、橋掛かりでの謡いにあわせた所作で変身したように思う。ワキが常座で菩薩を伏し拝む体で留メ。この方が遠ざかって行く普賢菩薩を見送る感じがでていて好ましい。
美しく端正な出来だが、あまり心に響いてこない。どうしたことか。

仕舞
雨月 中入前 観世 恭秀
知章 武田 尚浩
鐘ノ段 谷村 一太郎
松虫 キリ 寺井 栄
静かなもの、豪快なものと各種取り混ぜてあり、厭きなかった。松虫のキリがこのように賑やかだとは予想外だった。

能 「熊坂」
シテ 関根 知孝
ワキ 村瀬 純
アイ 大藏 教義
笛 藤田 次郎(噌) 小鼓 古賀 裕巳(大) 大鼓 内田 輝幸(葛) 太鼓 桜井 均(金)

囃子は初めて聴く人が多い。大五郎師のご子息達は音色は美しいが、何か物足りない。
ワキは関東の福王流。やはりあまり良くない。シテはワキの旅僧と同じ扮装で直面という珍しい曲。橋掛りを進んでくる足運びがスケートのよう。曲によって意識的に変えているのだろうか。鬘物ではどう考えても不自然な運足だと思う。
前場は語り中心であっさりしているが、終始不気味な感覚が伴う。僧が僧に回向を願う事からして大分怪しい。前シテは自分から名乗らず、アイにより初めて正体が明かされる。このアイも若いが頑張っていた。
後シテは長霊べし見という面に長範頭巾、長刀を持って登場。この面は泥眼で、橋掛りからこちらを見られるとかなり不気味だった。短い間床几に腰掛けるが、ほとんど長刀を使った所作で、金売吉次一向を襲撃し、牛若丸に撃退される様を描く。結局闘いに敗れて死んでしまうわけだが、どこか爽やか。最後にこういう曲を持ってくるという能の番組構成は、良く考えられているものだと思う。してがまだ若いので、声に張りがあり動きも機敏で安心して見ていられる。が、飛び安座はあまり綺麗に決まらなかった。そうそう完璧にできる人はいないのであろう。
全体において、拍手が起こるタイミングが囃子方が立ち上がってからなので、許容範囲。シテが橋掛りにいる内から拍手が起こるとかなり不快になるが、今日はそういう事はなかった。
見所ほぼ7〜8割の入りで、定例会としてはこんなものなのであろうか。
帰りがけ、ロビーで片山師を見かける。紺の絽の着流し姿であった。凝視するわけにもいかず、通りすぎる。どこかの不心得者の所為で、不快な目に遭われていると思うといたたまれない。ああ…。


こぎつね丸