観能雑感
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2002年01月13日(日) 宝生会 月並能 

宝生会 月並能 宝生能楽堂 PM1:00〜


シテ 今井泰行
千歳 高橋憲正
面箱 大藏教義
三番三 大藏吉次郎

2002年初観能である。宝生流の例会は初めて、というより、宝生流自体、ほとんど観た事がない。
新年初の例会だけあって、ロビーは晴れ着姿のご婦人(高齢)が多い。サロンである。素人弟子ではない私には遠い世界だ。
初めての中正面席。丁度目付柱が小鼓方と重なる。ま、こんなものであろう。他はなかなか良好。ただ、左隣の3人連(女性2、男性1、やはり高齢)がにぎやか。特に男性は、パンフレットをがさがささせたり、ひっきりなしに座りなおしたりして、ちっとも落ちつかない。さらに口臭が酷い。隣の席に座る人物の観賞態度は自分が快適に観賞できるかに直接係わってくる。あなどれない。どうもこのごろついていない。
見所はかなり騒がしい。例会ならでは。面箱が登場してくると、少し落ちつく。当たり前だが。
翁の今井泰行氏、直面が美しい。登場して来た時に重みがある。圧迫感というのでなく、動かしがたい存在感がある。これがあるのがいい役者だと思う。
上懸の翁は初めて観るので、千歳がシテ方なのも初めて。演者に覇気がない。緊張しているのか、また、狂言方との違いか。どちらにしても、翁の登場の場を作るには至らず。
翁登場。といっても、「翁面」を懸けて、初めて神になる。天と地に祝福を与え、豊穣を約束する。「とうとうたらり」は水の流れる音だと思う。千歳の「鳴るは滝の水」に繋がる。
扇をにこやかな表情の翁面の横に掲げる型、これはまさに世界全体を寿いでいるように見える。そして深深と大地に礼をする。空と水と大地。その間に人は暮らしてきた事を思い出させてくれる。
翁が祝福した大地に三番三が地慣らしをし、種を撒く。豊かな大地に実る作物で生活すること。これも当たり前だが農作業にまったく縁のない生活をしていると、つい忘れ勝ちになる。
三番三、可も泣く不可もなく…か?となりのジジイがひっきりなしに動くので、とにかく気になる。来るな!後の人はさぞ迷惑だったであろう。
忘れていた、大鼓方、柿原崇志のご子息だろうか、とても若く見える。父上は後見していたが、とても心配そうであった。鼓もあまり鳴っていなかったような気がする。一人ひげを蓄えていておどろき。囃子方はいいのだろうか。


鶴亀
シテ 塚田孝太郎
ワキ 森 常好
間 善竹富太郎

謡を習うとまずこの曲から始めるらしい。謡部分が一番短いからだそうだ。
間が中国風の装束で登場、シテは皇帝なので、やはり中国風。
子方の鶴と亀、立派に舞って、控えている時も立派。鶴の子の方がしっかりしていたか?
しかし…。問題は皇帝だった。覇気がない。なんだか今にも倒れそう。楽がちっとも楽しそうではない。構えが妙に前かがみ。なぜ?謡もあまり聞き取れず。全体的に音量がない。「内に篭る」というよりも、ただ単に元気がないように思えてならない。これが「謡宝生」なのか?前列の声量が明かに不足しているように思う。

狂言 牛馬
大藏彌太郎、千太郎、基誠
大変申し訳ないが、トイレに行った。休憩時間設定してないと思ったので(実際には最終曲の前に20分あったが、それまで我慢して要られたかどうかは非常に疑問である)。途中から観る。オチ、良く解らず。言語不明瞭なのだ。


胡蝶
シテ 亀井 保雄
ワキ 安田 昇
間 高橋 明

笛方が当日変更になって、一噌仙幸氏だった。大鼓は広忠氏である。今までの鬱憤を晴らしてくれた。乾いた、突き抜けた音色。やや煩いと感じることもあるが、今日はお礼を言いたいくらいだった。
ワキ安田氏、太めだが良い。若そうだが言語明瞭。気持ちがいい。それに対してシテ、やはり元気がない。言語不明瞭。地謡同じく。8人いるとは思えない。これが流儀の主張なのか?しかしなぁ…。太鼓入り中之舞で、爽やかさが売り物のはずなのだが…。時々睡魔に襲われる。


国栖
シテ 武田 孝史
姥 辰巳 孝弥
天女 佐野 玄宜
ワキ 殿田謙吉
間 善竹 十郎、大次郎

最終曲である。ここまでですでに4時間経過。帰る人の姿もかなりあった。
脇能だが、準切能ということなのだろう。姥、謡明瞭。シテ、…。ワキの殿田氏はさすがである。子方も終始しっかりしていた。地謡、やはり聞き取り難い。音量が足りないのだ。とにかく。囃子に消されてしまう。
後シテの蔵王権現、赤頭に泥小飛出(?)。赤頭の後ろの中心部が一筋白い。そういうものなのか?
小鼓方、宮増純三師、J師である。やはり震えていた。ただし、中正面席のため、裃の両肩先が見えるだけであるが…。


各曲とも、全体的にあっさりしているので、特に深い考察等必要なく、ただ楽しめばいいのであるが、それが楽しめない…。宝生流に不慣れなためなのか…。ただ、初心の観客に訴える力があるかどうかは、疑問視せざるを得ない。観客の大半が素人弟子であるという条件においてのみ、成立する舞台だったような気がする。観客の高齢化が進んでいる現在、このままでは尻すぼみであろう。観客の高齢化=素人弟子の高齢化が成り立つのだから。このまま、衰退して行くのだろうか、宝生流。
余談だが、狂言の最中にトイレ待ちの行列に加わっていると、今井泰行氏が現れる。弟子に挨拶であろうか。舞台に立っていない能楽師を、それも至近距離で見たのは初めてだが、姿勢が良く、品が良い。さすがである。
さらに余談だが、わんや書店の「能楽手帳」購入。本当に能楽師の住所が記載してある。びっくり。


こぎつね丸