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■ 女神の棲む家<5>
気が重い。 溜息をつくたびに浮かび上がる男の死に際の瞳を思い出しては、それを打ち消した。 ようやく我が家にたどりついても、安息は少しも感じられなかった。 2階の自室へと続く階段が、長い。 1歩1歩踏み出すのに大変な労力を要した。両足に重い足枷をつけられた気分だ。 肉体的にはたいして疲れてもいないのに。気持ちしだいで人の感じ方というのはこうも変わるものなのか。いつもと何も変わらぬはずの光景がまるで別の世界に見える。 永遠に続くかと思われた階段を、なんとか最上部まで上りきる。 「……。」 世の中のすべてを静かに呪うような目で、見慣れた自分の部屋を見渡した。 部屋の片隅のサボテン君と目が合う。 僕の酷く陰気な視線に脅えたふうもなく、サボテン君は間の抜けた愛らしい声で言った。
「おかえりー」
「……ただいま。」
その、彼独特のほのぼのとした雰囲気に、ささくれだっていた僕の心も少しだけ和む。 ゆっくりとした動作で剣や魔法楽器などの旅の荷物を部屋の隅におろし、小さなテーブルの傍の椅子に座った。 そうしたら、無意識のうちに張り詰めていたらしい緊張の糸が突然、ぶつっ、と豪快に切れて。 襲いくる疲労感に抵抗しきれずに、僕はだらしなくテーブルに突っ伏す。 疲労からか、眠気からか、悲しみのためか。滲んだ涙の理由を考えるのも面倒くさい。 視界の端に小さくサボテン君が見える。 自分でも気付かないうちに、僕はサボテン君に語りかけていた。
「人がひとり、死んだんだ。」
「………。」
サボテン君は、つぶらな瞳で僕を見つめたまま何も言葉を返さない。 今の僕にはそんなサボテン君の態度はかえって好都合だった。 順序も構成もお構いなしに、僕は喋りつづけた。
「僕の知らない男の人だったけど。その人は、僕の知らない女の人に殺された。 赤い瞳だった。女の人の瞳は、翠だった。どちらも綺麗な瞳だった…… でも、殺される時、赤い瞳は恐怖に、後悔に、醜く歪んだ。もしかしたら他の感情もあったかもしれない。どちらにせよ、美しくは無かったことだけは事実だ。」
頭上でギシギシと木の軋む音が聞こえた。風の音だろうか。 いつのまに強風になったんだろう。洗濯物をとりこむべきかな。でも面倒くさいな。何もかもが。
「殺す時、翠の瞳は何も映していなかった。曇ってしまった瞳には憎しみすら映っていないように見えた。……それなのに、なんで彼女は彼を殺したんだろうね。 ただ、彼女は悲しそうだった………」
軋む音がだんだん近付いてくる。 それが意味する事をあれこれ推測する気力も無くて、僕は何も気がつかないふりをした。 すると突然、背後から声をかけられた。
「なんだ、お前もう帰ってたのか。」
「………チドリ。」
振り向く気力も無くて、相変わらず突っ伏したままの状態で僕は呟いた。 先程の、木の板の軋む音はチドリが階段を軋ませて降りてくる音だったのか。 チドリは馬鹿にしたように言った。
「話し相手がサボテン?……とことん可愛そうな奴だな、お前。 旅から帰ってきたら、草花の世話をするよりも先に、家にいるものに声をかけるべきなんじゃないのか。」
「……聞いてたの。」
「盗み聞くつもりは無かった。たまたま、2階に降りていったら人の話し声が聞こえた。 見ればサボテンに向かってブツブツ呟いてるお前がいたわけだ。 私がお前に非難されるいわれはないな。話すのをやめない奴が悪い。」
たぶん本当に、チドリに悪気はなかったのだろう。 予想外の異様な光景に、さぞ居心地の悪い思いをしたに違いない。その居心地の悪さを振り払うかのように、彼女はいつもより少し早口で僕を捲くし立てた。 そんな彼女の態度も、僕にとってはただ鬱陶しいだけだった。 言葉を返す口調もつい、そっけないものになってしまう。
「……悪いけど、今、君の揶揄にかまってられるような気分じゃないんだ。」
「なっ……!……言ったな、お前。後悔すんなよ。」
「そんな気分じゃないって言っただろ……」
頭が重い。苦い何かが胃の中をグルグル駆け巡っている。 何も考えたくない。でも目を逸らす事もできない。 早く眠りたい。でも眠りたくない。 誰にも会いたくない。でも誰かに思いきりこのドロドロした感情を吐き出したい。
「お前、それでも本当に男か。 外でちょっと厭なモン見てきたぐらいで、グラついてんじゃねぇよ。阿呆が。」
感情の無い、鋭利で冷ややかな声だった。 いつのまにかチドリは、僕と向き合う位置に立って椅子の上の僕を見下ろしていた。
「……君に…何がわかるんだ」
「わかんねぇよ。でも聞けば少しはわかるかもしれない。」
「………。」
チドリの目が、『話してみろよ。』と語っている。 どうしようかと迷いながら、答えを出せずに僕は目を逸らした。 当然、彼女は怒った。
「観葉植物ふぜいには簡単に話せて、私には愚痴すら聞かせられないって? 良い度胸だなぁ、おい。喧嘩売ってんのか。」
「……今日はやけに元気だね、チドリ。 …そういえば、起きていて大丈夫なの?」
「はっ……?」
怒りのゲージがぐんぐん上昇している最中に水を差した僕の場違いな発言は、チドリの怒りを静めるという点では効果抜群だったようだ。 彼女は心底呆れ顔で大きく溜息をついた。
「お前なぁ……今こうして目の前にいるんだから大丈夫に決まってるだろう。 お前がガラにもなく傷心気取ってるから、体の調子がよすぎて困る。」
「え……は?……なんだって?」
聞き返すと、彼女は憎々しげに続けた。 僕自身というよりは、自分の身体を憎んでいるような言い方だった。
「今までずっと寝こんでたってのに、急に体力回復しても空回るだけなんだよ。やりにくいったらない。 だからさっさとお前はいつも通りに戻れ。落ち込むなら徐々に落ち込め。」
「……チドリ、さっぱり意味わかんないんだけど。」
なんで君の体調と僕の感情の浮き沈みが関係しなきゃならないんだ。
「わからないなら気にするな。 それより、早く話せよ。お前が見てきた世界の話を聞きたいんだ。 ベッドの上で考えれば良いって言ったのはお前だろ? それなら責任持って、外に出られない私にも外の世界を見せてくれよ。」
珍しく、真剣な顔でチドリは言った。 それは、懇願しているように見えないこともなかった。
「……でも、君が聞いてもつまらないと思うんだ。」
「つまらない話は嫌いだ。でも世界の話は聞きたい。 だから、つまらない話は飛ばせ。面白い話しだけしろよ。」
「…無茶言うなよ…」
ほら、早く早く。と急かされて、僕もついに覚悟を決めた。 チドリに怒鳴られているうちに、少しずつ憂いの消え始めている心に、僕はまた気がつかないふりをした。
「人が死んだんだ。」
「それはもう聞いた。」
「……その人は、僕の目の前で殺されたんだ。その現場に、まさに殺される瞬間に居合わせながら、僕はその時一歩も動けやしなかった。 男を殺した女の身のこなしは軽やかで、男の命を奪った瞬間ですら戸惑いはなく、素早かった。たぶん、一対一でまともにやりあったら僕も殺されてた。」
「……世の中にはえらく強い女がいるもんなんだな。」
チドリは変なところで大袈裟に相槌を打った。 人の話を真面目に聞いてるんだか聞いてないんだかよくわからない。
「後から聞いたんだけど。女は怪盗で、ジュミの核という特別な宝石を手に入れるためなら手段を選ばないが、無関係な人間を傷つけることはけしてない奴なんだ。 それを知った時、僕は心から安堵した。」
「怪盗…?お前は何か被害にあったのか。」
「……チドリ、人の話ちゃんと聞いてるかい? 女はジュミという種族の人間以外には手を出さないんだ。 ジュミとは何の関係もない僕に関わるはずがないだろう。」
僕の言葉を聞いて、チドリがあっけらかんして言った。
「じゃあ、良かったじゃないか。」
その言葉に僕は怒った。
「何が良いんだよ!僕は人が一人死んだって言うのに、その死に目にあってるっていうのに、自分の安全を確保したとたん、すべてを忘れて喜んだ。 醜い人間なんだ。自分のことしか考えていないんだ!!」
「自分の安全を確保することの何が悪い。」
「そうじゃなくて、目の前で人が殺されたというのに……」
チドリは僕の言葉を遮って、やけに冷静に語った。
「お前が人殺しの現場に居合わせたのは全くの偶然だろう。お前がいてもいなくても、その男はどうせその女に殺された。それはおまえ自身には関係ない事件だ。 それよりも、お前自身に関係のある『目の前に人殺し犯がいる』という事実への正当な防衛策である、身の安全を確保することのどこが悪い。」
「でも………」
「それとも、なにか。」
彼女は少し、怒ったような顔をした。
「自分が、他人の命を救えるような大層なうつわを持っているとでも思ったか。 それこそとんだ思い上がりだ。」
痛かった。
「………僕は、見ていることしかできないのか……?」
か細い声で、助けを求めるように呟いた。 その声を、チドリはこれ以上ないくらいキッパリと見捨てた。
「あぁ、お前は見ていることしかできない傍観者だ。」
「………。」
「思い上がるから、必要以上に落ち込んだりするんだ。 今の自分の役割をちゃんと理解しろよ。」
漫画みたいにシクシクないて、ベッドでふてねしたい気分だった。チドリの手前それができないので、かわりに僕は黙ってうなだれていた。 そんな僕の姿を見て、彼女はほんの少し口の端をあげる。
「ただ、これだけは覚えていろ。 真実を正しく繋げるには、誰の主観も入らない冷静な目が必要なんだ。傍観者の目が。 ……傍観者にだってその意義はある。…充分過ぎるほどな。」
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うわー、長かった。苦しかった。疲れた。 結局、色々つめこみすぎなのか。 なんかまだ書き忘れてることありそうな気がする。汗
2003年12月09日(火)
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