29号の日記
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行こう行こうと思っていたが、先延ばしにしていたが、半年ぶりに、祖父に会いに峡府に行った。 都内随一のターミナルである内藤駅で母親と待ち合わせ、スーパー梓号で一時間半。余り揺れず、停車駅も少なく快適。
今年初め、それまで自宅介護をしていた長男(俺にとっての伯父)が入院し、介護施設送りになった祖父。 5月の連休に会いに行った時は、それでも会話したりできていて、その時は、「どこも体悪くないのに、何でここにいなくてはいけないんだ」とか言っていた。 その後、ちょうどきっかり3ヶ月おきに、介護施設をたらいまわし。間違いなくそれは、施設や病院が国からもらえる補助金が、入院後3ヶ月で打ち切られるという現行の国の制度に起因するしわ寄せをもろに食らっている。 しかも2番目の施設では、夜大声をあげて迷惑だからと経口鎮静剤(=多分麻薬)を投与されて、意識が朦朧となって、副作用で3週間何も食べ物を受け付けなくなり、挙句の果てに、3週間ぶりに食べ物を食べさせられた際に、うまく食べ物を胃に送り込むことができず(それまでそんなことはなかった)、肺につまらせて危篤となり、急患で現在の病院に運ばれてきたという。 まさに姨捨山状態で、祖父の苦痛を思うと、言葉も出ない。医療過誤で2番目の施設を告訴してやりたいくらいだ。(鎮静剤投与は、一応長男夫婦の了解を取ったらしく、また、長男夫婦は「穏便に済ませたい」ということで、訴えるつもりがないらしい。)
モータリゼーションが進んだこの地方では珍しく、駅からわずか徒歩5分で病院に着いた。この地方でも地球温暖化の影響は大きく、東京よりは若干気温が低いものの、下着+長袖シャツの2枚で寒くない状態。道行く並木や、周囲の山々の葉はまだ半分くらいしか落ちていない。
病室の中で、胃に直接穴を開けたチューブで栄養剤注入を受けている祖父。もうすぐ正月なのに、これでは正月になっても、もちのひとつも食べられない。食べられる筈だったのに。
長期にわたって独りでベッドにただ単に寝かされていた生活で、人との会話がなかったためか、それとも鎮静剤(=麻薬?)が精神も破壊してしまったのか、既に言葉がなく、こちらから話しかけても「あー」と声をあげるだけ。それでも話しかけているうちに、どうやら、こちらの話しかけに対して肯定の場合は「あー」と言い、否定の場合は無言ということが分かってきた。
あと、一日中寝てばかりで、せめてもの刺激と、予め買っておいたお土産を渡した。本当は、「癒し効果世界一」との折り紙つきの、あざらしのぬいぐるみ「パロ」をプレゼントしたかったが、生産が追いつかず、福祉施設へのリース優先で、個人への販売は来年2月以降開始とのことで、到底間に合わない。 そこで俺が選んだのは「夢こねこ」という、猫のぬいぐるみ。背中を撫でるとニャーニャーと声を出し、手足が動く。 「対象年齢3歳以上」とある、子供向けのおもちゃなので、明治生まれの祖父のプライドが許すかどうか不安だったが、もはや会話すら成り立たない容体なのだから、不安も何もなかった。むしろ、ぬいぐるみを反応させるだけの力が手に残っているか、ということの方が心配になったが、ちゃんと手を動かし、ぬいぐるみを反応させることが出来た。
あと、言葉の薬として俺が用意していった、法話を読んで聞いてもらった。寝たきりの生活では、「俺って何のために生きているんだろう」という、答えのない疑問にきっと突き当たっているに違いないと思って。その疑問の解決のヒントになると思って、昨晩、仏教系のホームページを回って(S学会とかそういう既存団体ではない。念のため。)人生相談コーナーのQ&Aから引用したものだ。理解してもらえたかどうか分からない。もう少し早ければ大丈夫だったかもれないが。
2時間半ほどいろいろ(一方的に)話をしたり、体をさすったりして、帰路についた。
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