diary of radio pollution
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2010年11月18日(木) 紅葉

踏みしめる足元の音。

もみじ狩りの語源が気になり調べてみると、どうやら平安時代にまで遡るようで、日々、京都の紅葉を近くに感じることは、今さらながら歴史と贅沢さを覚える。

観光客も多くなるこの季節、今年はゆっくりと愛でる暇も日中にはなく、枯れ落ちるのを道すがら眺めるだけで終わりそう。都を取り囲む山々の装いも、明るくなってきているのに残念だ。

また、この季節になると、夜間ライトアップのポスター等を見かけるが、昔から、これにはどうも引っかかる。植物の一日のサイクルを乱し、成長に影響がありそうな気がしてならない。派手な人口光源に頼らない自然な陰影の中にこそ、京の美しさは存在していたのではないだろうか。

落葉した木々の下から見上げる秋空に迫る冬を想う。

koji


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